学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

自分の居場所とは

2019-11-29 19:12:31 | 日記
夕刻、庭で西の空、夕焼けに向かって飛んで行く数羽のカラスを見上げていた。カア~カア~と鳴くカラスの声はなぜか物寂しさを感じさせる。童謡にもあるような光景は子供の頃の不思議な心情を呼び起こす。
今週は次々と明るみに出る子供の軟禁に関する事件が頭から離れない。大阪の少女に次いで埼玉でも同様の事件が明るみに出た。日本の子供たちに何が起こっているのだ。自ら「学校にも行きたくないし、家にも居たくない」などと言う子供たちが存在するらしい。「家出希望」、「家出するので今晩止めてくれる優しい人は連絡してください」、などとツイッターでつぶやく子供がいて、碌でもない考えに支配されている、これまた社会で自分の居場所を失った半大人が待ち受けている落とし穴がある。被害者となる少女や未成年の女性はこの連鎖になぜ気づかないのだろうか。被害者となる者が純粋すぎるのか、甘やかされて育ってきたからか、あるいは世間知らずの幼稚さや思考の未熟さと呼ぶようなものが原因なのか。社会の歯車が狂ってきている。私たちは人生には障害物、ハードルがあってそれを乗り越えなければ人生を生き抜くことはできない。どのような障害物が待ち受けているのかという事をひとつひとつ解説して教えて行かなければならないのだろうか。
「私たちは障害物を予想して成長しなければならない(We must grow to expect hurdles.)」 という英語があって、そんなことを教えなければならないのだろうか。僕は自分の幼少の頃のことを考えてみた。同年代の友人にも聞いてみたが「家にも居たくない」、「学校にも行きたくない」などと深刻なことを考えた記憶がないという人がほとんどだ。やっぱり現代は子供達を置き去りにする何か得体のしれない存在が人々に影響をあたえているのだ。「人生には山あり谷ありの乗り越えなければならないハードルがある…」などと悠長なことを言っている場合ではないような気がする。何とかならないものか、と考え思い悩みながら、自分の力ではどうしようもないこの無力感…。ム~ん…

思考改善

2019-11-26 17:17:35 | 日記
いろんなことが社会では毎日起きていて、この数日の間にも良いことも悪いことも世間の注目を集めている。グッドニュースはローマ教皇が長崎や広島を訪問されて追悼の祈りをささげられたこと。教皇は核の廃絶や利己主義的な傾向が世界に大きな影響を及ぼし始めていることに対する懸念を表明された。バッドニュースといえば行方不明となっていた大阪の小6少女が行方不明になった事件。何とか無事に生還したのでバッドニュースとするのは良くないかも知れないが社会の何処か片隅で自分の居場所を見失ってしまったり、そんな過程の真っただ中にいる青少年が存在するという事実だ。無視できない社会現象である。人生を生き抜くためにわれわれに要求されていることが多すぎるのだろうか。何かに失敗して被害者意識に支配されて不幸を他人のせいにしてしまったり、単に面白そうという興味だけで無謀な行動に走ったりする若者が増えている。
歳をとって老人と言われる領域にはいった僕も含めた高齢者はどうだろう。他人のせいにしていることはないだろうか。電車内の若者の態度などを一方的に厳しく批判する人がいるかとおもえば、場所や状況を考えることもなく熱中する若者のスマホ操作などを単に批判するだけの話を聞くと「チョット待て」と思うことがある。批判の前に、学校での教育も含めてどこかで道徳的なことや倫理を教えることを怠っている社会があるのではないだろうか。怒りを覚えたり、悲しんだり、不安になったりと人生はいろんな問題に翻弄されながら生き抜かねばならない。われわれはどういうわけかその感情の動きを他人のせいにしがちである。不満はその典型でそれがどこから来るのかを冷静に考えてみることで 案外、簡単に解消されることがあるのではと思う。どのような心の動きであろうとも、感情とはすべて自分の責任である。心の持ち様や考え方を変えることで気づきがあるし、ひょっとすると生き方そのものの改善が実現できるかも知れないのだ。

貧乏ゆすりと癖

2019-11-22 18:07:51 | 日記
電車を待っている時に駅のベンチに座った若い男性がスマホに熱中しながら休むことなく貧乏ゆすりをしていることに気がついた。それもかなり激しい貧乏ゆすりである。気づかないうちは気にもならなかったことが、気づいたとたんに妙に気になり始め、途端に神経にきだした。とうとうベンチを立ち上がってホームを歩いて別の車両に乗ることに決めた。この男性と同じ車両に乗りあわせてしまったら、これでは電車が揺れるのでは(?)などと考えてひとりニヤッと心の中で笑っていた。
貧乏ゆすりというのは不思議な行動で、これをすることによってストレスを発散することが出来るなどということを何かの本で読んだことを覚えている。そうかもしれない…でも、周りの人には何となくストレスになるのは不思議なことだ。
アメリカで或る家庭に夕食に招待されたとき、19歳の息子さんがとにかくこの貧乏ゆすりの癖があり、食事中に何度も父親が「貧乏ゆすりをしているのは誰?Somebody is shaking…」と注意していたのを今もはっきり覚えている。テーブルが震える程度の貧乏ゆすりだから、かなり激しいものだった。(Shakeシェイクとは‘震える、揺さぶる’、などの意味である)
特に貧乏ゆすりとは直接の関係はないのだが、“癖(くせ)”と言えばもう一つ、アメリカの大学に通っていた時、妙に心に残っていて、ある種学んだと思うエピソードがある。「どんなことでも習慣、癖になればそれがその人の進むべき道である」と話していた級友を思い出す。彼はとにかくギター演奏が大好きで常に自分の左手の指をそろえてギターの弦に見立てて右手で弦をかき鳴らすように揃えられた左手の爪をカシャカシャかき鳴らして歌うのが癖のようであった。この変なギター弾きの隣にはまた変なドラマーがそばにいて二人で最近はよく耳にする“エアー演奏”というのか、をやっていた。このドラマーはとにかく周りにあるものをなんでも鉛筆とボールペンでカチカチとたたいてまわるのが癖であった。何十年も前の昔の本当の話し、僕が留学していた頃の話しだが、彼らは今はどうしているのだろうか。もう歳をとっているだろうが、若い時にはギターリストとして、ドラマーとして成功していたらいいのに。

へぇ~そうなんや

2019-11-19 18:26:15 | 日記
何歳になっても、“「へぇ~そうなんや」の姿勢”を大切にしようと思う。どこへ行っても、何を見つけても、どんなニュースを聞いても、どんな記事を新聞で読んでも、「へぇ~、そうなんや」と心の中でつぶやきながら感心することを心がけるとなぜか体のアドレナリンが変化するのを感じる。不思議だ。脳が動き始めるのだ。
随分時間が経っているけれど、もう15,6年以上も前になる話だが大学の仕事で女房を連れてアメリカのオハイオ州のマウント・ウニオン大学を訪問したことがある。その時に僕の世話をしてくれたのが当時82歳の元気のよい大学を退職したベテラン国際交流課の元職員ホール氏だった。彼が口にしたことが僕のメモに残っている。僕の世話係と案内係りを引き受けてくれたことに対するお礼を言った時に彼が言った言葉が今でも鮮明に思い出される。人に会うことで“何歳になっても何か新しいワクワク感はあるものですThere is always something new and exciting, no matter how old you are. ”―――「なるほど。う~ん、なるほど。そうなんや」。どういういきさつがあるのかは分からないが高齢の彼が大学からの依頼で僕達の世話係をすることになったのだ。確か彼の息子さんだか娘さんだかが日本人と結婚して神戸にいるというような話をしたのを覚えている。
当時は僕も若かったのだろう、「いいことをいうな」と思いながらメモに残したのを覚えているが当時は感心はすれどもそれほどのインパクトは僕にはなかったように思う。最近になって思うことがあって当時の資料などを整理していたら彼のことを思い出した。今、この英文を読み返してみると、やはり外に出て人に会う事は自分自身の生活の活性化にとても大切な行動であることがわかる。これは自分の座右の銘にしなければと心底思った。
自分も歳をとってこのエピソードを振り返ってみると、「へぇ~そうなんや」と口に出しながら本や新聞を読んでみると、本当に楽しい。口に出さなくても、そういう姿勢で活字を追となんと学ぶことの多いことか。

烏は役立たず?

2019-11-15 15:48:12 | 日記
一週間ほど前から僕の住む住宅街に10羽程度のカラスの集団がゴミを漁り(あさり)はじめて、ゴミ収集日には住人達を困らせている。僕の住む家の周りを巡回してカラスを追い払って、カラスがまき散らしたゴミの掃除を呼び掛けている人が数人いる。街を美しく保つためにはそういう住人の存在は僕にとってはありがたいのであるが…いちいち「うざい」と思う人もいるようだ。
日本人の多くはカラスを全く役にも立たない公害をまき散らす害鳥以外なにものでもないと捉えている。アメリカに住んでいる時もカラスはあまり好まれていない鳥であることは知っていたが、日本ほど忌み嫌われる鳥でもなかったのではないかと覚えている。
僕も呼び掛けに応じて街角に立ってみた。一羽のカラスが盛んに狙っているゴミ袋があるので数メートル離れてカラスの行動を観察してみた。新発見!先ず辺りを気にしながら何度かゴミ袋をつつく。穴が開いたら中身を引っ張り出して食べ物がなかったらつつくのをやめて隣の袋をつつく。食べるものがあればそれを引っ張り出す、という行動だ。中身の確認からカラスはゴミ漁りをはじめるのだ。カラスにとっては人間が捨てる生ごみは栄養価の高い恰好の餌なのだ。カラスは賢いとよく言われる。ネコや犬より賢いと言われる理由を調べると知能の高さは脳の重さと身体の大きさ、つまり体重比だという事を学んだ。カラスの脳は体重と比べると大きいのだ。カラスは道路の信号の役割すら理解しているという。少なくとも赤になると車や人が止まるということを知っているのだ。頭の良いカラスは“羽の生えた類人猿”と呼ばれるらしい。カラスは動物の屍肉や昆虫、そして木の実を食べて生活している。「生きる」という意味では人間と同じだ。彼らの肩を持つわけではないが、カラスにとっては害をまき散らすだけの“役立たず”と言われる筋合いはないのだ。
“役立たず”という英語の表現を覚えたのは何十年も前のアメリカ留学時代。休みの日はテレビの前でアメリカン・フットボールの試合観戦とビールばかりの主人のことを奥さんが“He is good for nothing.(役立たず)” と言っていた。(カラスと何の関係があるねん?)