大阪の桜の開花宣言は3月の27日であった。桜の開花の目安は3月27日であるという。な~んでだろぅ?“桜咲く=咲く3x9は27”だというのだ。なんという無茶な言葉遊びだろう。何故日本人は桜前線をやたら気にするのだろう。多分、マスコミの開花の喜びをあおる報道のせいだとは思うが、テレビで売れっ子のアメリカ人のジェイソンじゃないけれどWhy Japanese people…と叫んでみたくなる時がある。日本に“農事暦”というものがあることを知った。いつものように天気予報をテレビでみていると予報士さんがこの暦(こよみ)について話していた。昔から農業と天気そして暦というのはいつも一体で、田植えであれ野菜などの種つけであれ、そのタイミングをはかる目安としていたことは疑いの余地がない。これには納得である。気温や天候を気にしながら農業は営まれている。農事暦というものに無頓着では秋の収穫が期待できないということは農業に無知な僕にも容易に理解できる。
桜はパッと咲いてパッと散る。桜が人々を引きつける理由を考えてみた。短い桜の花の生き方に人間の生き方を重ね合わせることができるような気がしてくる。つまらないことに囚われずにその時々を大切に、桜の花のように悩みなどを引きずらず日々を暮らすという生きざまに魅力を感ずる時もある。Finish every day and be done with it. (毎日を完結して、それでおしまいとする=引きずらない)という英語を考えてみた。
さて、桜前線もさることながら、甲子園の高校野球の選抜大会が球春を告げる。日本ではセンバツ野球は春を告げる一大イベントである。高校生達がひとつのボールを追う必死でひたむきな姿は確かに見る人々に感動を与えてくれる。自分が高校生の頃のひたむきな姿を思い起こしてくれるのが高校野球である。
自分が高校生の時、何を考え、何を人生の目標にしていたのか。何に情熱を捧げていたのかを考えると、現在の自分の姿が見えてくる。TVの普及と共に当時の豊なアメリカに憧れた僕は英語の勉強にのめりこんでいった。英語の勉強は中学生のころから始めたのだから、もう60年も前のことだ。そんな時があったのだ。