学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

苦難とは乗り越えるためのもの

2021-08-31 17:29:17 | 日記
 夏休みも終わりまた学校の生活が戻ってきた。マスクの装着に気をつけながら子供たちは人生とは思うようにはいかないものなんだ、ということを実感したのではないだろうか。なんとか小中学校も動き始めたとはいえなんとなくぎこちない様子が伝わってくる。孫の話を聞いていると午前中はいつも通り学校に出かけ授業は対面で行われ、午後は家でオンライン授業などと学校もコロナ対応に右往左往している様子が伝わってくる。気になるのが修学旅行の中止である。親から離れての旅行は自立の第一歩、自分で自分のことはしなければならないことを学び、友達との思い出などが形成される修学旅行の中止は彼らの年齢層にとってはかなりの痛手である。
 高校生は全国高校野球の仲間たちがコロナ問題と長雨に翻弄される様子に人生を見て取れたと思う。コロナの感染者が出た宮崎商高や東北学院高は出場辞退だ。自分の全てを賭けてたどり着いた甲子園、プレイできずに辞退に追い込まれた選手達の無念はどれほどのものだろうか。
 “世界は苦難に満ちている, しかしそれはまたそれらを克服した人たちで満ちている(事を意味している) Although the world is full of suffering, it is also full of the overcoming of it..”  見えない、聞こえない、喋れない、の三重苦を克服して立派な教育者、社会学者となったご存知、ヘレンケラーの名言だ。彼女ならではのこの名言は苦しみを乗り越えるという勇気を与えてくれる。そんな折、パラリンピックも佳境に入って障害を乗り越える人達の活躍が毎日のように伝えられている。明日もまた太陽が昇る。それが人生だ。

"経験”という名の先生

2021-08-27 16:43:53 | 日記
 全国高校野球選手権準々決勝2日目の昨日、サヨナラ勝ちで勝利を手にした学校が3校も出た。家で何やらと用があったので高校野球の3試合はいずれも8、9回だけを見て楽しんだ。ただ奇妙なことに観戦した3試合がすべてサヨナラで幕を閉じたのだ。逆転あり、追いつかれたり、1点を巡る攻防の展開にテレビの画面にグギ付けだ。まさに高校野球の醍醐味を味わった。
 野球というスポーツには必ず勝者と敗者が生まれる。昨日の試合でその両者が野球を通して人生の重要な「学び」を手にしたことだろう。サヨナラの試合というのは最終回で逆転が起こって負けた方の無念さと挫折感、勝った方の歓喜と達成感、と全く正反対の感覚を両チームが味わうことになる。その正反対の谷間に「学び」が生まれるのだ。一瞬の心の油断、一瞬の判断ミス、そして緊張や心の動揺が予想もつかない結末へと事態を変えていく。野球は人生そのもの、選手達は野球を通してその一端を肌で感じることができたのは素晴らしいと思って欲しい。
 人生は厳しい。「経験という名の厳しい先生はまずはテスト(試練)、それからレッスン(授業)を行う Experience is a hard teacher because she gives the test first, the lesson after.」とはアメリカのメジャーリーグではピッツバーグパイレーツで投手としてプレイしたというバーノン・ロー(Vernon S. Law アメリカ・アイダホ州出身)の素晴らしい名言だ。ただ野球好きの僕の記憶に全くないこの名前に僕は戸惑いを覚える。日本でも西武ライオンズでは1979ー1981年にコーチとして来日、おまけになんと息子バンスは中日ドラゴンズでプレイしたというから驚きだ。僕の記憶にはないけれど野球が好きで野球に打ち込んだ人が口にした心に残る名言である。

見える物の裏に何かが

2021-08-24 16:40:56 | 日記
 食料品の買い出し以外に外には出なくなって日常生活にハリがなくなった。できる限り室内や庭で軽い運動をすることを心がけながら、頭の体操は英語の格言を調べたり日本語訳を工夫したりして老化が進むのを遅らせようと頑張っている。今日は少し哲学的に脳を刺激してみた。
 “シュルレアリスム(超現実主義)”と言われる絵画がある。絵画の描き方は現実にはありえない奇妙なもので懐中時計が飴のように溶けた絵や人間が空中に浮いているといったものである。この一派にルネ・マグリットという画家がいて彼が残した名言が心に止まった。「私たちの目に見える物は(見えない)別のものを隠している。見えるものによって隠された見えないものを私たちは見たがる」とあった。彼の考えは「見えているものを疑え」というもので目には見えない囚われない自由な世界を絵で表現したという。なんともややこしい言い方ではあるがなんとなく訴えようとしているものが見えてくるような気もする。僕は特に「囚われない自由な世界」という部分に注目したいのだ。例えば冒険家と言われる人達はなぜ冒険を繰り返すのか。
 TVのBSプレミアムに“グレートトラバース”という番組がある。田中陽希という冒険家が北海道の宗谷岬から九州鹿児島の最南端の佐多岬までの8200㎞を7ヶ月かけて人力踏破の旅に挑戦したという話だ。最終目的地の佐多岬には2016年元旦の3:00pmに到達したという。何を考えてこんな挑戦をするのだろうか。道中200座の山を踏破して彼はきっと何かを見たのだ。ひたすら歩くという過程の中で…。山岳登山家は山の頂上から下界の悲劇を笑うという。一般の我々も人生を歩きながら、それぞれ目には見えない何かを日々見ながら歩を進めているような気がする。

自分が大洋になる??

2021-08-20 16:23:13 | 日記
 僕の朝一番の日課は新聞を読むことである。最近のように雨が続く日は特に時間をとっていろんな記事を追う。最近の一面を飾る記事を書き出してみると次のようなものである。コロナと緊急事態宣言、そして病院の緊迫状況、アフガニスタンのタリバンの攻勢による混乱はアメリカのバイデン大統領の支持率の低下や、女性の人権否定の危惧にまで問題が発展している。日本では長雨が続く西日本の被害、甲子園の高校野球の順延試合などなど大なり小なり様々な問題を抱える世界の情勢や日常の変化などが気分的に僕を落ち込ませてしまう。
 雨やコロナで動きがとれなくて、英語の勉強も兼ねていつものようにアメリカの格言や名言を調べていたらレオナード・コーエンというシンガーソングライター、ボーカル・ギター(活動期間は1956〜2016年ごろで詩人でも小説家でもある)の名言が見つかった。“自分が大洋にならなければ君は毎日船酔いに悩まされることになる If you don’t become the Ocean, you’ll be seasick every day”という名言だ。2016年に82歳で人生を終えた人らしいが、彼が残した言葉はかなりの重みを感じさせる。世界で起こる全てを包摂する度量がなければ人生は生き切れないということを指摘しているのだ。日常起こる嬉しくないことも含めていろんな事が起こるのが人生だ。俯瞰的な視野を持って人生に対応していかなければならないということを言わんとしているのだとは思うけれど本当にかなり大きな度量、心の広さが必要だろう。彼の身に起こったいろんな試練を匂わせながら“人生とは”を問いかけている言葉であるように思った。

努力と工夫の高校野球

2021-08-17 17:21:30 | 日記
 先日のブログで書いた高校野球の降雨ノーゲーム(秋田・明桜高校vs北海道・帯広農高校)が日曜日に再開されてどうしても気になるのでしつこくテレビで試合を追いかけた。二日も順延されておまけにグランド整備で試合開始は3時間遅れ、体調や精神状態を冷静に保つのは至難の技だ。予想通りノーゲーム日の雨が試合の行方をややこしくはしたが両校とも工夫の跡が見受けられて僕としては大満足の試合であった。明桜の風間投手は投球に緩急を交えて試合を作り、相手の帯広農は好投手攻略のためにバットを短く持って試合に望んだ。帯広農は一時はリードしたが結局明桜の逆転勝利(4対2)で決着した。
 日曜日のもう一つの試合は小松大谷(石川) 対 高川学園(山口)。第一試合の開始が遅れたためにテレビは夜の9時半を過ぎてもまだ試合を中継していた。5対0の劣勢を跳ね返して勝利したのは高川学園だ。小松大谷はサヨナラの押し出し負け(6対7)。両校にはこの試合を教訓にまた新しい努力と工夫が始まることだろう。高校野球の面白さはチームの全員が一丸となって戦う姿勢と、劣勢をなんとかしようと工夫する姿である。若いということは本当に素晴らしい。いくらでもやり直しが効くし、失敗を通して新しい視野が開けてくる。
 「努力と工夫」、そして「やる気」を教える名言の中で特に僕の好きなものを紹介しよう。日本語に訳すのが難しい英語の名言だ。僕の和訳で恐縮だが “苦しくなった時、ガッツのある人は動きだす *When the going gets tough, the tough gets going.” とある。作者不明の名言だ。英語の格言や名言の日本語訳を考えるのも僕にとっては工夫の一つの現れで楽しい。  
(*the going は生活や活動、状況と訳し、the tough は the + 形容詞で ‘人’を表す)