学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

大晦日

2019-12-31 17:35:52 | 日記
一年の最終日、総決算の12月31日だ。「おおみそか読めても書けないと大騒ぎ」
漢字が書けないと辞書を探す大騒ぎ、正月の準備に大忙しの大騒ぎ。ところで、年寄りに限らず、大晦日という漢字を書けない人が意外と多いという事実をテレビで知った。元旦を控えて正月の準備を終える日である。
僕は正月よりも、この日、大晦日になぜかふと考えることが多い。今年の反省も含めて、次の新年に対する期待感や大げさなものではないが簡単に決意的なものをメモするのが長年の習慣になっている。年末になって手帳の年末を見てみると、すべて良し、満足、などという年は一度もなかったように思う。生きる難しさのようなものを感じる年が多かった。
「除夜の鐘」を公害という人が出てきて各地で鐘を鳴らすことを中止する寺院が増えているというニュースがある。「除夜の鐘」は人間の苦の根源である煩悩(ぼんのう)からの解脱(げだつ)を祈るという大祓(おおはらい)、つまりお祓いの意味を持っている。公害などと言わずに新年を迎える静かな夜にゴォ~~ンと響く除夜の鐘に人々が黙って聞き入るような心の余裕が戻ってくればいいのにと思う。今夜は世間の皆さんと同じように僕も年越しそばを食べて一年の締めくくりとしよう。
今年も一年間、このブログをフォロ―していただきありがとう。どうぞ良いお年を…

師走の掃除

2019-12-27 16:23:11 | 日記
師走が押し迫ってきた。あと4日で令和元年が終わる。今年も部屋の掃除や片付けが気になり出して年末の残りの毎日が忙しくなるということは想像に難くない。もっと早くに行動を起こしていれば慌てずにすむのにといつも思う。これは年賀状書きにも言えることで、とにかくギリギリ近くになるまで腰を上げないのでしんどくなる。「思い立ったら即行動」などと現役時代に学生には教えながら、時間に追われない生活の現在、ついついそんなことを忘れて‘先延ばし’の落とし穴にはまってしまう。
先日の水曜日、大阪では暖かく、快晴で空は雲一つない青空だ。思い切ってあまり使わない部屋を片付けた。どこから手を着けるかを一瞬迷ったけれど、やっぱり一部だけでも、と考えて始めると一時間を超える頃には部屋は完全に何時でも使用可能の状態に戻った。
昔、掃除に関して完全主義者の姿勢や考え方を本で読み学んだことがある。“始めから完璧にしようと思うとまったく手が出なくなる。そしてこれはお手上げだと諦めてしまう”。諦めるという事はもう掃除や片付けをしないということを意味する。諦めるという事は、もう自分からは行動を起こさないという事を意味していて、この姿勢が習慣になって、結局何事にも手を出さないことに慣れてしまうのが完全主義者という人達だ。つまり、いつのまにか彼らは,例えば荒れ放題の部屋の現状から目をそむけ自ら行動を起こさないことが習慣になってしまうという恐ろしい病気にかかってしまうというのである
英語にAll or nothing という言葉がある。調べてみると“妥協を許さない白か黒の世界”である。グレーがないのである。完全に物事を仕上げるか、あるいはまったく手を着けないかのどちらかの世界である。‘掃除は取り掛かれる一部から’という考えがないのだと思う。僕も歳をとってきて、行動が鈍くなってきたのだ、などと逃げ道を用意して自分を甘やかしてはいけない。体力が低下してきたのなら、少しづつもっと早くに動き出せばいいだけのことなのだから。

今年もやっぱりこの精神

2019-12-24 17:10:22 | 日記
12月24日、クリスマス・イブ。女房と話していたら、クリスマスはキリストが死んだ日などと言う若者がいるという事を聞いた。本当はキリストの生誕を祝う日であって、誕生日でもない。つまり、キリストが生まれた日はもちろん詳しく正確には解らないけれど、とにかく生誕をお祝いするという日なのである。なぜこの日に決まったのかは僕もよくは知らないけれど、それでいいとおもっている。僕は仏教徒なので、そこまで詳しく知る必要もないなどと逃げ道を用意している。それでも、異文化を知るために調査、研究をすることは大好きである。異文化を知ること、世界を知ることは人生に深みを与えてくれる。それはひいては自分をよりよく理解できるようになることを意味するのである。
僕がアメリカに行ったのは1960年代の真っただ中、日本の生活状況やアメリカのそれと比べてみると文化の違いというのだろうか、考え方や生活の仕方の違いに本当に驚かされたのを覚えている。細かいことはさて置いて、とにかく自分を中心に地球は回っていると考えるアメリカ人、そして和の精神というのだろうか「人を喜ばせることで自分が幸せになる」的な考え方の日本人。それでも自己中心的なアメリカ人が意を決してアメリカにやって来た僕には優しくて皆が助けてくれた。アメリカは歴史的にも移民の国なのだからはるばる太平洋の果てからやって来た日本人の僕のために何かの役に立ってやろうというようなキリスト教の精神がはたらいたのだろう。
キリスト教、そしてクリスマスと言えば毎年思い起こさせられるのがその中心に位置づけられている精神のジェネロシティ(generosity 寛大さ)である。いろんな意味で困っている人に助けの手を差し伸べるという精神が働いている。商業ベースに乗った日本のクリスマスとはチョット中身を異にする。異文化を知ることはこんな所にも小さな学びが隠されていることがうれしい。今年も沢山の子供たちにプレゼントが届きますように。

除夜の鐘は公害?

2019-12-20 12:39:25 | 日記
先日から気になるニュースが二つほどあって、どちらも日本の文化に係る重要項目である。
「除夜の鐘」がうるさいと大晦日の鐘の音を公害だと主張する人がいるという。長い間、日本の一年を終える風習として伝えられてきた年末の風情(ふぜい)という除夜の鐘を公害と捉える人がいる事実にショックを受けた。“風習”とは長い間日本の人々の間に伝えられてきた習わしやしきたりのことを言う。また、“風情”とは日本に息づいてきた趣のある雰囲気を指す言葉である。そんな風習や風情を理解しない日本人はどのような生き方をしてきたのだろうか。僕には全く理解できない主張である。
「就活年賀状」という言葉が巷に飛び交っている。僕が歳をとったせいでこの言葉が特に強調されて耳に入ってくるのだろうか。こと年賀状に関しては歳をとるに従って身辺整理、人間関係の整理に目を向けることは間違ってはいないと僕は思っている。とはいっても、ラインだのフェイスブックだので常に連絡をとりあって親しくしている人には年賀状は不必要なのかも知れない。しかし、めったに会う機会がないけれど、お互いに元気で人生を生きているという事実を伝える手段としては年に一回の年賀状も意味があるように思えて仕方がない。だってかつての懐かしい顔や思い出を浮かべながら書く一年の挨拶は自分の人生を振り返るきっかけでもあるのだから。書く体力を失って初めて本当のけじめの時がやってくるような気がするのだ。
毎日の朝ができれば新しい一日に興奮や期待をもって始まればすばらしい、済んでしまった昨日までの失敗や悩みの過去を忘れることが出来るような前向きな日の繰り返しになるように朝を迎えられるとうれしい。一日に朝や夜があるように一年にもまた何かけじめがあることは僕は大切だと思っている。除夜の鐘も、年賀状も、そしておせち料理にも終わった一年と新年のけじめが僕たちの精神的な切り替えをもたらして、人生を良い方向に向けてくれるのが風情や風習というものではないのだろうか。

家族と老人

2019-12-17 12:38:12 | 日記
ある雑誌で“歳をとったら素直に生きる事”という記事を読んだ。後期高齢者と言われる年齢に達した人が誕生日に娘に「おめでとう」と言われた時の反応を書いている。「歳をとったら誕生日もうれしくもなんともないわ」などと可愛げのないことを言ってしまった反省の弁だ。素直に「ありがとう」となぜ言えなかったのか…という話しである。
歳をとってくると、確かに毎日空気を吸って無駄な時間を過ごしているという自省の念と言うのだろうかを無意識の内に繰り返している傾向があって、だんだん気持ちが素直でなくなってくるらしい。今までできたことが出来ないという体力の低下、顔のしわ、腰のない髪の毛とその白髪化などなどだ。とはいえ、一方で年寄りはやはり素直に明るく息子、娘、そして孫に囲まれて残りの人生を生きたいとも勿論考えている人は多いのだが。
BSテレビの番組に僕の大好きな「イタリアの小さな村」というのがある。なぜか毎週、内容に対する不思議な期待感があって楽しみにしているのだ。この番組、僕達日本人が失った家族観を呼び起こしてくれる。先日の内容には、一線を退いた男性が毎日孫の世話をしながら、あれやこれやの女房の命令にハイハイと喜んで手伝いに精を出している姿が物語の中心だ。なぜかほほえましさとホッとする安心感を覚えた。日本での核家族化はどうも年寄りを置き去りにしてしまう制度なのでは…と考えさせられる。
家族といえば、僕の年代の人達(特に男性)は自分の仕事や目標を達成するために真っしぐらに走り続けた。その過程でいろんな失敗を重ねて家族のあり様も変化させ、気が付けば家族の誰かを傷つけてしまったり、自分が老いる時のことすら考えずに仕事一筋という日々が続いたことであった。「イタリアの小さな村」の物語は、日本では生活が忙し過ぎるということを思い起こさせてくれる。これは何十年も前に僕がアメリカから帰国して、最初に感じた日本の生活に関する印象でもあった。