学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

学校一斉休校!?

2020-02-28 16:59:17 | 日記
うっそう〜!昨日の夕刻に大ニュースが入ってきた。安倍首相の小中高校の休校要請である。新型肺炎のウイルスの拡散防止に向けての大決断である。容易に想像できるのは新たに生まれる大騒動と混乱だ。苦渋の決断とは言えその余波の大きさは本当に社会の隅々にまで波及していくだろうことは想像に難くない。
春の兆しを感じるこの時期は特に学校を中心に社会が回る。卒業式から入学式に向けて各家庭の生活も様々に変化する。スポーツイベントの熱情は冷や水を浴びせられたように一気にその勢いを削いでしまう。甲子園に出場を決めた高校の野球部の練習はどうなるのか、修学旅行はどうなるのか、入試の日程は調整できるのか、小学校の子供を抱える親子さんの仕事への対応はどうなるのだろうか。派遣で働く人々の困惑は想像に難くない。この時期に子供が一ヶ月近くも家にいるとなるとどのように対応していいのかの戸惑いは隠せない。多くの会社がテレワークで自宅での仕事に切り替えるとはいうものの、全ての会社が可能なわけではない。あらゆる分野の経済活動でコンピュータを主とする活動が可能なわけはではない。こうして考えてみると、学校での営みが社会の基盤となっている我々の近代社会が見えてくる。
さて、子供に目を向けるとこの長い休みをどう過ごすかが重要だ。英語に“使わない鉄(鉄製の道具)はすぐに錆びる (Iron not used soon rust.)”という格言があって、なんとかプラス思考の時間活用を考えて欲しいと思う。元教師の僕としてはどうか自分から働きかけて本を読んだり(復習したり)する時間を工夫して欲しい。開かない本は単なる紙の塊だ。僕の周りにももう一度開いてみたい本はたくさんある。大人も子供もこの時期の長期に渡る学校の休校は誰も経験したことがない。この一斉の臨時休校をプラスにするかどうかは案外近い将来に差を作ることになるかもしれない。ちょっと立ち止まって考える機会を与えられたと肯定的に捉えたいと思っている。

譲り合い

2020-02-25 16:22:49 | 日記
昨日のテレビニュースで野外でコタツに入りながら梅見物を楽しむという企画が受けて有名になった大阪の河内長野市にある『大阪府立・花の文化園』の梅園を紹介していた。訪れる人々の数が増えていることが春が近いことを知らせてくれる。コタツといえば、子供の頃の兄弟でコタツの中での足の位置の取り合いや譲り合いなどは楽しかった思い出だ。今日のテーマは「譲り合い」に決めた。
<早春や新芽同士の譲り合い>
プロ野球のオープン戦が始まっていよいよ春の到来だと嬉しい気分になる。庭に出て少し肌寒さはあるけれど日のあたる場所は気持ちがいい。家に庭の片隅に柿の老木がある。僕が物心ついた時からそこにある柿の木だ。50㎝ほど伸びた細くて若く元気な枝に小さく目を出す新芽が、お互いに上手に間隔を取りながら存在するのに気が付いた。それは木々が目を出す時の習性だとは言って欲しくはない。まるで喧嘩にならないような間隔を察知して整然と伸びようとでもしているかのように僕には見えた。
<譲り合う心ひとつで事故はなし>
僕が30歳代の頃に作った交通標語だ。当時は採用されてよく街角で見受けたものだが今はどうなっているのだろう。自動車のハンドルを握ると譲り合う心を失う人がなぜか増えると耳にした。普段は温厚で優しい人も、車の運転中はなぜか相手の運転を批判的に見がちになるのが不思議な心的な変化である。「譲る心」を誰にでもわかるように表現すれば「年寄りが道を渡ろうとしていたら先にいかせてあげようとする気持ち」というようなものになるのだろうか。僕が数年暮らしたアメリカでも道を譲る心がけは “老婦人には道を譲れ(Try to give way to the old lady and let her pass.)”というもので、なぜ老婦人なのかとと言われると…弱いものの代表ということかな。自己満足の自作の俳句と交通標語を紹介しました。

明日は明日の風が吹く

2020-02-21 17:25:07 | 日記
今日はなぜかバイオリズムが怒りと不満の流れになっていて、なんとか吐き出してしまわないと、などと考えながら自己調整を試みてみた。どうしてこんな心的状態が生まれるのだろうか、などと考えてみた。要するに退職とともにテレビを見る時間が多くなって徐々にテレビに影響されていることに気づき始めたのだ。
まずは昼間にはどの局も同様のニュースを事細かく解説を入れて扱うことだ。各局が競って取り扱うニュースは見る者の頭に焼き付けられてしまうほどの頻度で映像が目に飛び込んでくる。問題は繰り返し報道される事件などが刺激的で悲観的なものになってしまうのは仕方がないかもしれないけれど気が滅入る。世の中の出来事に遅れないようについていく姿勢は大切なことだ。しかし日本国中に流れる否定的なニュースが、見る人々の精神構造を変えてしまうこともあると思う。夕刻に集中しているニュースか夜にどこかの局で一つだけ見るようにしてやっと気持ちが落ち着いた。僕が言う昼に報道された否定的なものを列挙してみると、次のようなものだ。
虐待、裁判員制度の導入を無視したような不公平感を拭えない裁判の結果、封筒すり替えのカード詐欺事件、新型肺炎での死者の数(昨日もクルーズ船の高齢者が二人亡くなった)、さらに政治関係で気分を害するのは人を馬鹿にしたような醜い党派間のののしり合い。取り上げれば枚挙にいとまはない。怒りや悲しみを増長するニュースの数々は社会が乱れているから、と単純に言い捨ててしまう問題ではないような気がして仕方がない。放送局の番組制作を担当している人の問題意識や工夫の欠如も考えないと我々の意識方が冒されてしまう。偉そうに「なんとかならないか」と文句をつける理由の一つはいろんな番組でこれまた繰り返される芸能人たちの「仲良しクラブ」のふざけ合い番組。局の意向や司会に合わせた意見が主流の番組など、なんとなく“腹ふくるる思い”である。僕のブログはあまりこの種のことは扱わないのだが、やっぱり歳のせい?まぁいいか。明日は明日の風が吹く・・・気楽に行こう、Take it easy!    

マスクと手洗い

2020-02-18 18:49:57 | 日記
誰と会っても話しても、必ずと言っていいほど話題に上るのが新型ウイルスによる肺炎だ。日曜日に出かけた娘の家にも一歩足を踏み入れるや否や、手を洗い、うがいをするように促された。小学校と中学校に通う孫が二人いるので余計に神経質になっているのがよくわかる。(いいことだ。それくらい注意しないと家族を守りきれない)感染が毎日のように報道されて人々に自分を守る意識が浸透している。外出を控えたり、人混みに出ることを避けたりと、意識して予防に注意をしている人々が多くなって、マスクの着用と入念な手洗いが浸透してきた。ところで誤解を生みたくはないが聞いて欲しい。先日、バケット・ハットの帽子を深く被り大きなマスクをつけて薄い色のついたサングラスの女性とすれ違った。不気味な感じで違和感を持たざるをえなかった。一昔前なら世間から人目を避けて生活する人のようないでたちである。
感染の拡大を食い止められるのにあとどのくらいの日数を要するのか全くわからない。僕もそろそろ外に出て弟と一杯飲みながらの食事や談笑を、などと考えるがどうも決断できない。テレビの報道などがいかに大きな影響を及ぼしているかがよくわかる。マスクをして出かけなければいけないのが面倒だ、とは言えマスクをしていない人のそばに近寄るのが嫌だと言う人もいて、とにかく世の中生きにくい。それでも外に出るのは「今でしょ」と言う人もいる。理由は観光客が減って人混みも緩和されて大阪の街も昔に帰ったように歩きやすくなったと教えてもらった。なるほどそう言う考え方もあるのか。
外国人観光客といえば、厚生労働省のホームページの外国語への誤訳が話題になっている。いくつかある質問の5番目の質問の「潜伏期間はどれくらいありますか」という日本語を英語に直して How much is there 5 incubation stages of question.(質問の5つの潜伏期間はどれくらいありますか)などとなっているらしい。メチャクチャのでたらめ英語、どうなっているのだ厚生労働省の役人の英語力!

野村克也死す

2020-02-14 16:14:25 | 日記
毎日、起床後に最初にする事といえばコーヒーを沸かすこと。そしてそのコーヒーを飲みながら新聞を1時間弱の時間をかけて読むことである。ごくたまに僕の興味をそそらない記事ばかりの日があって、20分程度で新聞を畳んでしまうこともある。それでもなんと世の中忙しいことか。次から次にいろんなことが起こるのである。最近は新型ウイルスの肺炎が連日報道されていることはご存知の通りである。今週の水曜日の新聞は野村克也氏の訃報である。
彼が新聞を賑わしていた頃の選手としての活躍を知らない若者が現在ではほとんどかもしれない。長嶋茂雄さんや王貞治さんと同時代にプロ野球界で様々な記録を打ち立てた偉大な業績を残している。選手、監督、解説者として活躍したあの野村氏の訃報である。いつもぶつぶつと低い声で呟いたりしていたので、暗い、とか陰気だ、などどあまり彼にとっては嬉しくないことを言われている事が多かったような記憶がある。
それでも僕は彼の名言、迷言を集めた語録が好きで時々手帳に書き留めたりして楽しんだことを思い出す。プロ野球界の盟主、読売ジャイアンツの選手としてテレビの中で華々しく大活躍の長嶋、王と比べて、野村は今では姿を消した南海ホークスの観客もまばらな難波球場でテレビに映る機会も少ない環境でプレイしていた。「陽の当たる中で咲く花の’ひまわり’と日陰でそっと咲く‘月見草’」などと長嶋、王との対比で自分を表現していた。メジャーで活躍中の田中将大投手のことを「マー君、神の子、不思議な子」などと楽天イーグルスの監督時代の迷言もある。僕が好きな名言は「失敗と書いて成功と読む」というもの。失敗のない成長、成功はありえない、と野村は言いたかったのだ。人生が長いか短いかは別にして、野球のように人生にもチャンスは何度も巡ってくる。そのチャンスをものにするかしないかは努力次第。僕も巡ったチャンスは“自分の努力で掴め!”と自分を鼓舞してアメリカに渡った日々を思い出した。