学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

君の時間はお金と思え!

2019-05-31 22:08:31 | 日記

JR駅前の本屋さんに立ち寄った。店の入り口に積み上げられていたのが「時間術」とタイトルのついた本であった。さっそく買って読んでみたが期待するほどでなかったので今日は紹介しないことにした。タイトルだけが素晴らしくて中身がもう一つ、というのはそれこそ時間の無駄である。広告につられてはいけないと再認識した。
“時は金なり”とはほとんどの人が知っている有名な格言である。時間を無駄に過ごすことは人生の無駄を積み重ねているようなもので、お金に換算するとどれだけ多くの損失を生み出しているかを教えてくれるきわめて重大な格言なのである。それでも、本当にその意味を、特に一部の若い人達は理解しているだろうか。彼らには時間が山ほどあって、自分が歳をとったときの時間の重要性などを気に留めることとは縁遠い日常を過ごしているのだ。
例によって英語でこれを置き換えてみると“時間はお金のように使いなさいSpend time like money.”と随分と具体的になってくる。無駄使いばかりをしてお金を粗末に扱っていると、歳をとった時に明日の食事を心配しなければならない状況になってくる。歳をとって、明日は食事にありつけるだろうかという類の心配は誰もしたくないはずだ。それなのに、そんなことを考えもしないで時間を浪費している人が多数存在するという事実は驚きだ。
時間とお金の無駄をなくすためには手帳を工夫することだ。僕は現役の頃、一日の時間が縦に刻まれた手帳を使っていた。無益な時間を見つけることと、すきま時間を見つける事、そして自分にとっての有益な時間を見つけることで一日の過ごし方が一目でわかる手帳であった。使いこなせばこれが出来るようになってくる。毎日毎日、まちがいなく多くの空き時間があり、そのすきま時間を自分のために有益に使えば人生はかなり充実してくることを学んだ。椅子に座って腕を組んでウトウトする昼寝だって自分にとっては有益な時間なのである。退職した現在といえば、なんとウトウトばかりの時間術である(笑)。

握手の意味を考える

2019-05-28 17:03:16 | 日記

訪日中のアメリカのトランプ大統領が帰国の途についた。今回は国賓での日ということでテレビでは彼のいろんな映像を流していた。天皇陛下や皇后さん、総理大臣との握手は当然とはいえ、相撲の優勝力士との握手など、実にいろんな人達との握手を見ていて考えたことがあった。
英語に“握りこぶしでは握手は出来ないYou cannot shake hands with a clenched fist.”というのがある。握りこぶしにもいろんなものがあって、相手に憎しみをもって「この野郎」的な感情がある限り握手は出来ない。握りこぶしでは握手はできないという意味は握手をする相手に対して敵意をもっていれば握手する手が開かれないということだ。
トランプ大統領の今回の訪問で彼が握手をした相手との感情は多分フレンドリーなものであったのだと思う。しかし、世界の政治の力学が働くまっただ中に居る大統領にお願いだ。何とか世界平和に向けて、宗教や民族、いろんな違いを乗り越えて共存共栄の握手を目指すことは出来ないものだろうか。理想だけではなにも起こらないことは知っている、だからこそアメリカの大統領が世界の平和に向けての積極的で真剣な取り組みや工夫を提案してくれたら、と心から願っているのである。

工夫というのは“何か新しいことをやってみようTry something new.”という意気込みだ。昨日も今日も同じことの繰り返し。明日もまた同じであろう、などと日々を暮らしていては本当に何も起こらない。日常の暮らしの中に、日々の仕事の中に、肯定的な工夫という挑戦する意気込みを組み込んでみてはじめて毎日にワクワク感が出てくると信じている。

今この瞬間に

2019-05-25 10:32:45 | 日記
(昨日のブログで漢字の転換の間違いをそのまま投稿してまったので訂正して再アップします)

夜中、就寝中に突然右足の膝の関節が痛みだした。変な姿勢で眠っていたのだろうか。どんな姿勢をとってもキリキリと傷みが走るのである。ちょうど一週間前の夜中である。若い時のように動けないという事を歳の性にしたくない、などと恰好を付けている僕に加齢という現実を突き付けてきたような気がした。今日は足に少し違和感が残っているのを感じながらやっと通常の行動ができるようになってホッ。
今日は朝から、足を引きずっている間に先延ばししていたことをやってみた。緑の葉っぱが濃く繁りはじめた樫の木の剪定、ちょっとした簡単な大工仕事、庭の雑草抜きなどである。動けるという事はすばらしい。汗をかくと何かをやり遂げたという達成感のようなものを味あわせてくれる。痛みで膝がむくんで、動きがにぶってさっとさっさと物事ができなくて、イライラが溜まっていた時に、最近読んだプラス思考本の中で気に入ったものをもう一度拾い読みをして楽しんでいた。なぜか“グズグズしないで即行動”という主旨の文に付せんが何か所も貼ってあることに気が付いた。どんなに簡単なことでもいい、今この瞬間にできることをするという‘やる気’が大切だ。
英語に“Take care of this moment. (今、この瞬間を処理しなさい)”と言った意味の表現がある。学校で習う take care of は‘~の世話をする‘という意味で教えられた。ここでは‘~の処理をする、始末をする’という意味だ。本屋さんには即行動を起こす人が結局は成功すると言った種の本がたくさんある。
今回考えたことは出来ない理由を何かの所為(せい)にするという事である。心のどこかで歳の所為にしてみたり、痛みの所為にしては、自分を甘やかせているような感が心のどこか片隅に存在している事実を味わった。ウ~ン、それでもやっぱり歳をとったのかなぁ(笑)。暑い日が続くらしい。体調に注意しないと、

今この瞬間に

2019-05-24 18:42:55 | 日記

夜中、就寝中に突然右足の膝の関節が痛みだした。変な姿勢で眠っていたのだろうか。どんな姿勢をとってもキリキリと傷みが走るのである。ちょうど一週間前の夜中である。若い時のように動けないという事を歳の性にしたくない、などと恰好を付けている僕に加齢という現実を突き付けてきたような気がした。今日は足に少し違和感が残っているのを感じながらやっと通常の行動ができるようになってホッ。
今日は朝から、足を引きずっている間に先延ばししていたことをやってみた。緑の葉っぱが濃く繁りはじめた樫の木の剪定、ちょっとした簡単な大工仕事、庭の雑草抜きなどである。動けるという事はすばらしい。汗をかくと何かをやり遂げたという達成感のようなものを味あわせてくれる。痛みで膝がむくんで、動きがにぶってさっとさっさと物事ができなくて、イライラが溜まっていた時に、最近読んだプラス思考本の中で気に入ったものをもう一度拾い読みをして楽しんでいた。なぜか“グズグズしないで即行動”という主旨の文に付せんが何か所も貼ってあることに気が付いた。どんなに簡単なことでもいい、今この瞬間にできることをするという‘やる気’が大切だ。
英語に“Take care of this moment. (今、この瞬間を処理しなさい)”と言った意味の表現がある。学校で習う take care of は‘~の世話をする‘という意味で教えられた。ここでは‘~の処理をする、始末をする’という意味だ。本屋さんには即行動を起こす人が結局は成功すると言った種の本がたくさんある。
今回考えたことは出来ない理由を何かの性にするという事である。心のどこかで歳の性にしてみたり、痛みの性にしては、自分を甘やかせているような感が心のどこか片隅に存在している事実を味わった。ウ~ン、それでもやっぱり歳をとったのかなぁ(笑)。暑い日が続くらしい。体調に注意しないと、

自分の道をいくって?

2019-05-21 20:10:16 | 日記

“他の人の進んだ道を行くなDo not follow the paths of those who have gone before.”と言ったのは誰だっけ。アメリカの思想家、詩人のラルフ・ワルド・エマーソンだったと記憶している。社会通念などから離れて個人の無限の可能性などを説いた人でアメリカ留学時に授業で少しは影響を受けた人物だ。
日本でも現在の企業社会のスタンダードに染まれない人は多くいる。最近のBSのテレビでスズキ・コウジと名乗る絵本作家で画家のことを取り上げていた。彼もまた自分の持つ創造性や美術への好奇心のために素直に他の人の道を行けなかった一人である。美大を受験したけれど受からず、そのおかげで「自分は美大卒からデザインなどの社会への道には向いていないとおもった」と若い頃を述懐していた。
書店に行けば彼の絵本がたくさんあるのに驚く。人であるべき所に動物の顔が描かれていたり、ちょっと変な(?)、個性的な作風である。色合いは割と原色が多いような印象だが何となく見入ってしまう要素がある。日常は時々、ライブ・ペインティングとか言ってかっこよく名前を付けて活動しているらしいが、要するに路上絵画である。神戸の北野にあるカフェのテラスなどを借りてその場で大きなキャンバスに素手で、また筆を使って、と忙しく自分の印象や感情を描いていく。道行く人はそのさまを好奇の目でじっと佇んで見ているというやり方である。2~3日をかけて絵を完成させるのだ。別に観客からお金をとっているわけではない。自分の持つ表現能力を形にしていくことが楽しいのだろう。
日常で何か新しいことをやってみる、という精神は生活に活力を生み出すようにおもうことが多々ある。僕がときどき出かける街歩きの喜びは観賞したい絵画や写真展の会場を目指して歩き、それからいつもとはちょっと違う道を歩くと味わえる小さな発見だと思っている。