学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

師走とは周りを観察して考える時

2017-12-30 21:44:16 | 日記

大阪のおばちゃん、なぜ人に聞こえるように大声で笑い、話すのか。師走でそれなりに混雑している電車の中での会話を盗み聞きというより、無理やり聞かされていた。大阪のおばちゃんは下品だと考えている他府県の人は多い。そういう面がないとも言えないかもしれないが、本当は世話好きで、優しくて、わりあい主婦業などを完璧にこなす人が多いのだ。
 いずれにせよ、Some people want to be everywhere at a time. (どこにでも顔を出したい人がいる)と言うイメージを考えてみると、いわゆる大阪のおばちゃんのそれと一致するところがある。元気で、活発で、楽しい人というイメージだ。
 否定的に考えると、どこにでも顔を出したいと積極すぎる元気者は結局はどこへも行き着かないとも言えるのだ。大阪のおばちゃんが誤解されているのはどうもこの系統の考え方からきているように思う。

 一年を振り返ってみることは、やっぱり大切な作業なのだろう。ゆったり、まわりを見渡しながら、「人のふり見てわがふり直せ」と言われるように、観察することで、考えさせられること、学ぶことは多い。

 師走とは、仕事収めと同時に、案外一服、ゆったりと考える時なのかも知れない。

  On this hustle-bustle December day, we should take time to enjoy one cup of coffee.
   (12月の大忙しの日に、私たちは一杯のコーヒーを楽しむ時間を持つべきなのだろう)

              来年が、誰にとっても、それぞれ、良い年でありますように。

クリスマス―幸せと言う喜び

2017-12-25 21:47:00 | 日記
 
 アメリカから送られてきたクリスマスカードに次のような文が書かれていた。
 Today I will revel in the joy that surrounds me. (今日は自分を取り巻く喜びの中で浮かれることにしよう)

 喜びの意味を誤解すると、ネオンやイルミネーションに誘われて、飲んで飲んで大騒ぎをして、といったようなバカ騒ぎにつながってしまう。東京や大阪など、都会では現実にこんなことが今夜は起こっているのだろうと、余計な心配をしてしまう。
 娘夫婦の家族を訪れた。妻と孫の二人とともに6人で、ささやかなクリスマスを楽しんだ。簡単な食事とパーティの後は、ケーキで締めくくった。子供たちは「楽しい、楽しい」を連発して、これが本当の a joyful Christmas と言うことだろうと思う。
 次の機会はお正月のお祝いだ。新しい年を迎える喜びを、若い世代に伝えたい。難しい儀式を強要する必要はない。社会がどんどん変化していて、伝統のにおいを味わいながら、“喜び”という意味をうまく教えられたら最高に幸せである。

 このブログを読んで下さるみなさんに。
 Best wishes to you for a joyful Christmas! (あなたにとって楽しいクリスマスでありますように!)





光と影、クリスマスに思うこと

2017-12-21 21:27:19 | 日記

 またクリスマスの時がやってきた。街中に流れる喜びの歌。モールに行っても、それこそコンビニでさえも、定員さんがサンタクロ―スの衣装を着ていたりして何やら師走の雰囲気が街中にあふれるようになってきた。商業ベースに乗ったこの雰囲気、またか、とうんざりする反面、心の中のどこかでなぜか子供のころに感じたワクワク感を覚える。
 今年はなんとなく自分の思うようにうまくはいかなかった。忘年会などに参加しながら、「来年は少し雰囲気を変えてみよう」などと心のどこかで自分に語りかけたりしている人は多いのではないだろうか。一年のけじめをつける、そんな意味では師走、12月は大切な月なのだろう。キリスト教を信じている人達は、クリスマスが近づくに従って、The best time of the year.(一年の最良の時)と言うのを何度も耳にした。僕はキリスト教徒ではないので、いつもこの季節には一つ考えることにしていたことがある。

 つまり、I should let go of all the things that brought me down during this year.
           (この一年に自分を落ち込ませたことを忘れよう)

 済んでしまった失敗に憑りつかれていると、ますます落ち込みが激しくなって、立ち直れなくなっては人生意味がない。「明るく、楽しくやりましょう」の精神は絶対に大切だ。やってしまった失敗は、何度悔やんでも元に戻ることはない。それなら、前を向こう。明日は自分次第で何とでも変えることができるのだから。人生は長い。前を向けば、太陽に向かい、見たくもない暗い影は常に後ろにあるのだから。

予定を立てる=明日があることの証し

2017-12-18 21:28:05 | 日記
予定があることの重要性を考えてみよう。

Tonight, I don’t have to think about my to-do-list.
明日の予定をたてなくてもよいのはうれしいことだ。
I'll have a cup of coffee, a babble bath, and relax, all in the morning tomorrow.
明日の朝は、コーヒを飲んで、バブル風呂にはいって、そしてリラックス。

映画の中で、大金持ちが呟いているようなこの文章。バブルバスはさて置いて、歳をとって退職すれば、こんな生活はその気になれば可能なのかもしない。でも、予定を立てなくていいということは本当は非常に苦しいことなのだ。特にすることがないのだから、何かすることを見つけないと、何もしないで時間だけが刻まれていき、残りの人生が削られていく。

若い人達のなかに退職したお年寄りの生活を妬(ねた)ましく思っている人がいるということを聞いた。そんなことを羨ましがっている暇があったら、しっかり働け。人生何が起こるかわからない。人生が終わりに差し掛かった時に気づくことは多くある。現在をしっかり働ききらないと、人のことを羨ましがっているだけで終わってしまう。
毎日の行動の予定を立てて、ひとつひとつをこなしながら“済”のチェックを手帳に入れることは本当は楽しいことであると気づくことである。なんといっても、何かをやり切ったというあ成就感を手に入れることが出来るのだから。

観察は“ひらめき”を生む

2017-12-15 21:29:39 | 日記
歳末の市場活況を肌で感じる季節になった。どこへ行ってもなんとなくあわただしい歳末セールの真っただ中。モールであれ、スーパーであれ、展示されている商品を追いかけるのではなく、周りの人々の顔や店の広告の方法など、観察という作業を楽しんでみることをお勧めしたい。発想の刺激を感じるものが必ずある。

         If you feel curious about something new, go for it.
          (もし何か新しいものに興味を持ったら、それに向かって動け)

 モールやスーパーに出かけて何も買わなくてもよい。ただ見て回るだけでいい。ただし、展示されている商品を見て回るという意味ではない。手に入れたい商品を求めて活発に走り回るお客さんを観察することだ。
 男性は一般に「スーパー歩きと観察」という機会をあまり持たないのではないだろうか。男性はだいたい、自分の求めているものを手に入れるために一目散にその売り場に向かう。仕事熱心で時間を無駄にしたくないと考えている“働き蜂”は特に観察するということが頭にない。仕事の分野がなんであれ、本当は観察力がその人の仕事の成功を左右するのに。つまり仕事がなんであれ、観察と言う行為がどれだけ役に立つ情報を提供してくれるかに気づいていない人が多いのだ。

 考えてみれば、われわれは時間に追われすぎているように思う。そういう僕も同類で、仕事に集中していた頃は観察の重要性を見逃していたように思う。買い物であれなんであれ、自分の目標に向かってだけ一目散。ちょっと待て、じっくり周りを見てみる作業を無視していたのだ。
 巷ではいよいよ歳末セールが活況をむかえている。モールであれ、スーパーであれ、展示されている商品を追いかけるのではなく、周りの人々の顔や店の広告の方法など、観察という作業を楽しんでみませんか。今だから言える。観察からは何か閃くものがあるのが不思議です。