学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

ブックマッチの火が消える

2022-07-29 16:19:42 | 日記
 兵庫県の姫路のブックマッチの老舗生産会社が製造を終えるという。現在ではブックマッチなど知らないという若者も多いと思う。アメリカ発祥のブックマッチ(a book of matches) 、大きさは3〜4センチほどで平均的には正方形に近い大きさのやや硬めの台紙の二つ折れ。紙のマッチ棒の先に頭薬と言われる酸化剤とヤスリ面が台紙についていて、擦ることで摩擦で発火するという代物だ。僕の若かりし時代は、喫茶店に入ってコーヒーを飲みながら、このマッチブック(喫茶店名やホテル、レストランの広告が印刷されている)で火をつけてタバコの煙を燻らせながら雑談ということが時代の先端であった。“パシッ”と音をたててブックマッチで火をつけるのが “かっこ” よかったのだ。喫茶店やホテルのバーなどでは、各テーブルの灰皿の中にブックマッチをひとつ必ず置いていた時代だ。
 僕も御多分に洩れずそんな調子でタバコを吸っていたものだ。おまけに僕はブックマッチを収集していたのだ。旅行中に入った喫茶店などのマッチを集めて悦に入っていたのだ。それはそれで楽しい収集品だった。だって、自分がどこに行ったか、誰と入ったのか、何を話したのかがマッチを見ていると不思議と思い出すのである。古き懐かしき昭和の時代の郷愁を呼び起こす。なぜ生産を止めるのか? タバコを吸うことが格好良くなくなった時代に誰もマッチなど持ち歩かない。おまけに現代の広告はブックマッチの広告よりももっと近代化、多様化されている。マッチはその役目を終えたのだ。あのアメリカで収集したブックマッチも、断捨離しちゃったよ〜、とほほほ〜。

地球は生きているー熱情は内にあり

2022-07-26 16:20:54 | 日記
 鹿児島県で桜島がまた噴火した。大きな噴石の落下や火山灰、警戒が必要と伝えられている。山体の膨張が続いているとの報告もあり、地元の人々にとっては悩ましいことだろう。お見舞い申し上げます。人間にとっていろんな自然災害の一つ、火山の爆発もまた人間の人智を超えたもので人力でこれを止めることはできない。甚大な被害を及ぼさないように祈るばかりだ。
 僕が火山活動に興味を覚えたのは、アメリカ留学中に履修した科目、地質学(geology)、地震学(seismology)がきっかけである。ジャンセンという先生の講義が、火山活動を若者のエネルギーに喩(たとえ)られて面白かった。人間が手出しできない力が地下奥深く、プレートやマグマ を動かし、それらの動きとともに噴出する地球エネルギーの爆発だという説明が僕の心をとらえた。(この先生のおかげで僕は “興味を引く授業とは?”、に気づいたように思う)ということで、地球を一人の若者としてとらえてみると、先生の言葉を借りると、心の奥深くに秘められたエネルギーが隠されたまま鬱積(うっせき)した若者の精神状態で、躊躇することなく噴火する火山は若い時の情熱、熱情の発散だ、などという主旨のことを先生が語っていたのを思い出す。 
 桜島の歴史を振り返って、2万5〜6千年前にできた鹿児島湾、そして桜島を囲うようにできた外輪山、それから幾多の爆発を経て現在の桜島は4千年前にその形ができあがったという。46億年前に誕生したという地球が、今まだ青年の域なのだろうか、溜め込んだエネルギーを人の都合を無視して、地球のあちらこちらで爆発させて、その存在感を人の記憶に呼び起こす。

もしも摩擦がなかったら

2022-07-22 16:25:12 | 日記
 新聞を広げてみると、国際面をはじめ、なんと世界は摩擦で溢れかえっていることだろうか。
ロシアのウクライナ侵攻、独裁大統領に反対してスリランカの人民蜂起、アメリカの民主党と共和党の軋轢、まだまだある。おっと、忘れてはいけないのが夫婦間の摩擦、”夫婦愛、摩擦があるから今日がある” な〜んてことを言いながら日々を暮らす人も多い。”摩擦” を国語辞典で調べてみると、次のような定義がある。①物と物が触れ合うこと、②物体が動く時、その動きを妨げようとする力が働くこと、③意見、感情、立場の違いによって生ずる軋轢、などと記されている。我々が一般に理解している摩擦は③の意だ。
 されば物理の摩擦の①と②を考えてみると面白いことがわかってくる。もしも摩擦がなくなったら物が全て遠心力で宇宙のどこかにバラバラに飛び散ってしまう。英語では “地球上の全てが宇宙に飛び散るだろう Everything on earth would fly into space.” と書かれていた。学校で習った「慣性の法則」で物体に一旦外的な力が加わると永久に動き続けるどころか、どこかへ飛んでいってしまう。摩擦でしっかり柱どうしを固定している釘も外れて家が崩壊、家はバラバラになってどこかへ飛んでいってしまう。摩擦で記録するノートに字が書けなくなる。摩擦力(F) の計算式は…僕の理解では、F=(表面のザラザラやツルツル係数)X(物体の重さ)で計算できるらしい。ま、ツルツルの面の上では重いものも滑っていくということだろう…摩擦があればの話だが。そんなことより深刻なのは摩擦がなければ夫婦がすれ違ってしまって愛が生まれない、てなことも考えられる。そうだ!民主主義は摩擦③が認められるから存在するのだなあ。

どんなモノにも「締め」が要る

2022-07-19 16:14:22 | 日記
 コロナの感染者がまた増加し始めた。やっと以前の日常の落ち着きを取り戻せるかもしれないという淡い期待を抱いていたのにやはり第7波はやっってきた。折りしも大相撲の名古屋場所が始まり、プロ野球もいよいよ佳境に入ってきた。(コロナは大丈夫かな…)大相撲の体育館も阪神タイガースの甲子園も満員御礼の状態で観客席は“リッスイ”の余地がない程の混み具合だ。あれツ、「リッスイの漢字はどうだっけ。手元のスマホを調べてみれば瞬時に答えは出てくる。メモをとって家に帰って字を調べるなどはもう全く必要がなくなった。(…立錐の余地がない…)
 僕がメモを取らないという悪い習慣を覚えたのは、数年前、若い女性がバス停の時刻表をスマホで写真を撮っている姿を目撃して以来である。「そうか、これは便利、いちいち書き写すことはないのだ」と気がついた。この悪癖に増長されて最近はメモを全くとらなくなった。まずメモ用紙が不要になってきて、書かないものだから漢字をどんどん忘れてしまう。先日、いつものように机の引き出しの整理など、断捨離に励んでいて思い出したことがある。機会があるごとに買い求めたメモ帳や一時期流行したシステム手帳のリフィルの用紙の保管ボックスである。僕にはアメリカのメモ帳(B-6版大のメモパッド)をはじめとして小型ノート収集の趣味があって、多分、僕の残りの人生では絶対に使いきれないほどの大量のメモ帳が残っているのである。娘や友人に小分けして使ってもらう以外に妙案が浮かばない。それでももらった人には多分迷惑以外の何者でもないことだろう。“収集癖、始めあれば終わりあり”、忘れてはいけない「締め」がある。

鏡が映す真実とは

2022-07-15 16:32:22 | 日記
 歳をとって髪の毛が白くなったり、薄くなったり、皺が増えたりに気づくようになると、鏡を見るのが億劫になる。僕も例に漏れず、鏡に映った自分に対して「あんた誰?」などと呟いたりすることが増える。「鏡はその人が見るものを写す」という言葉があって心を清潔に保ち周りの物を見ることで鏡に写る自分もまた爽やかな気持ちで相対することができるという教訓だろう。(姿勢を正して鏡に写ろうなどと自分に言い聞かせる…)
 昔、イギリスにルイス・キャロルという作家がいて『鏡の国のアリス(1867年)』という童話を書いた。どこかで聞いたような本のタイトルだ。そう、『不思議の国のアリス(1870年)』の作者である。この人は女性を匂わすルイスという名を語るけれど、本名はチャールズ・L.・ドジソンという名の男性だ。児童文学の話が出ると必ず彼の名が出てくるほど、その世界では多くの作家に影響を及ぼした(とはいえ、少女写真家としても知られ、ちょっと怪しい面も持つと言われる)。怪しいという面はさておいて、先の『不思議の国のアリス』では「時間がない、時間がない」と時計を持って走り回るウサギを追ってアリスは不思議の国に足を踏み入れる。また『鏡の国のアリス』では、鏡に映る自分は自分が近づくと近づくし、離れれば自分も遠ざかる。思い切って近づき続けて想像の世界、鏡の中の世界に足を踏み入れる、というお話だ。二作ともアリスという少女が、“不思議や鏡の国”での冒険を通して社会のルールを覚えて成長していくという展開だ。“時間”と”自分を写す鏡”、年月を重ねて歳をとるという我々全ての人の現実の重要テーマである。