学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

なぜか耳は二つ舌は一つ

2024-07-26 16:25:52 | 日記
 自分が老いてきたという意味の”歳を自覚する"きっかけは多分人によって違うとは思うけれど、僕の場合は右の耳がやや遠くなってきて「え?」と聞き返すことが少し増えてきて年を感じるようになってきた。人はその歳になってはじめて気づいたり、理解したりすることは多々ある。今、この時点で若いと言われる範疇の人はそんなことは多分全く関心の外にあることだろうけれど、彼らもまたいつか耳が遠くなってきただの腰や膝が痛いだのを経験する時がくる。
 さて、年をとってなんとなく人の言うことが聞き取りにくいというと、年寄りの耳は「勝手耳」と言って笑われることがある。僕はいっしょに笑うことにしている。だって勝手耳とは面白い表現だと思うからだ。勝手耳とは自分の都合の悪い時には聞こえないふりをすることだ。
 人間にとって耳がいかに大切な位置づけかを知るには耳に関する身近な表現を集めてみると面白い。耳が痛い、耳が肥えている、耳にタコができる、耳に残る、耳を疑う、挙げ句の果ては借金を耳を揃えて返す、などと数え上げればキリがない。そういえばアメリカで面白い耳の話を聞いたことがあった。たしか「女性は耳で恋をして、男性は目で恋をする」というものだ。僕は男だから後半は100%賛成とは言わないまでも理解することはできるけれど、女性は耳で恋をするということは耳触りの良い言葉に女性は心を動かされるということか。それにしても人は二つの耳を持ち、舌は一つしか与えられていないということは、昨今の社会問題を鑑みて、しっかり聞いて、発せられる(発する)言葉には注意が必要という教えかも知れない。

自分だけの夏の思い出を創ろう

2024-07-23 16:21:58 | 日記
 いよいよ夏休みが始まった。夏休み前の話で恐縮だけれど、近所のコーヒー・ジュースの自販機前での小学生3人の会話が耳に残る。「夏休み家族でどっか行く?」「金ないって!」…なんとなく投げやりで荒っぽい雰囲気を持った言葉を返した子がいた。親が言った言葉なのだろうか、子供が言うには言葉が露骨過ぎて身も蓋も無い会話であった。いや、もっと簡潔に表現すれば、にべもない、そっけない、味気ない言葉のやり取りに少し落胆を覚えた。
 昔、僕たちが子供の頃は、夏休みが楽しみで、蝉を捕りに出かけたり、大阪市内の親戚の家に泊まりに行ったり、友達と軟球の野球だの日没近くまでの遊びを満喫したものだ。気温も課題の絵日記を思い出すに当時は32~3度程度だったようにおもう。そして8月の終わりには宿題の課題に追われて連日半泣きで夜遅くまで取り組んだものだ。
 最近では、”夏休みは本当に必要なのか"ということが議論されているのだから時代の変化を感じざるを得ない。先日のテレビでは、嘘か真か、主婦の6割が長い休みを望んでいないと言う。最近は共働きの夫婦が多く、子供だけの留守番とお弁当、エアコンと電気代 子供の生活のリズムが狂うというのが目立った理由である。もっと微妙な理由はあるのかもしれない。親もまた「私にも夏休みください」と言う。大人にも、子供にも、いろんなことを考えさせる夏休み、どんな人の一生にも「自分を変えた夏休み」というものがあるという。思い出を作る夏休み、一昔前の時間はもっとゆったりと流れていたに違いない。

舌も目も、口ほどにものを言う

2024-07-19 16:38:10 | 日記
 アメリカの大統領選挙の状況が毎日のように報道される。アメリカの大統領が世界に与える影響が大きいからだ。それにしても主張などがコロコロ変わってくると、不適切かも知れないけれど「二枚舌」という言葉が頭に浮かぶ。二枚舌とは手元の国語辞典によると”前後で矛盾したことを言うこと“とある。一言、付け加えてあって”嘘を言うこと”とある。アメリカの選挙で罷り通っている政治家達の「二枚舌」を新聞で読むたびに落胆を覚える。なんでもそうだが、政治家が全てそうだとは言わないけれど自分の支持基盤の人たちに話すウケをねらった演説と自分の主張が一時期と真逆になっていたりして「そんなんでいいの?」と言いたくなる時がしばしばだ。
 現役の頃、大学で「アメリカ現代社会」と言う科目を担当していて、選挙が近づくと大統領選挙の仕組みなどを何度か講義したが政治家の話をするのは苦手だった。「政治」の「政」を大昔は祭り事といっていた。古代に神を祀ることと政治が同意だったからである。アメリカ大統領選挙の演説会のフィーバーぶりを見ていて、意味が少し違うけれど「お祭り」になっている会場を見ながら僕が作った川柳がある。”皆が言う「そうだ、そうだ」に落とし穴」”
 二枚舌のことを英語では日本語と同じように”two tongues 舌が2枚”と表現したり”double talk もっともらしい言葉”と表現したりする。2枚の舌、一つは約束に使って二つ目は嘘をつくために使う、などと言われたりもする。舌には骨はないけれど、ひとつ間違えば”人の心"を傷つけるほど強力なものだということを肝に銘じておかねばならない。

今やるか、後に回すか

2024-07-16 16:09:40 | 日記
 昨日の朝、天気予報は曇りのち雨、少し溜まった洗濯物をどうするかで奥さんとしばし意見交換(トランプ銃撃事件が話題の時に年寄りは気楽なものだ)。理由は夏の太陽が出たり入ったり、空を見上げてみても雨が降るようには見えない。大阪の僕の住む地域の天気を予想するには雲の動きと西の空を見て明るいか暗く曇っているかだと子供の頃に祖母に教えられた。雲が東西のどちらかに流れている時は風が吹く、南に動いている時は晴れ、そして北に流れれば雨という。これが僕の天気予報、何十年もこれを信じてやっているけれど、当たる確率はほぼ8割越えといっても過言ではない。昔の人の観察力は半端じゃない。
 西の空はそれほど暗くない。雲もちょっと自信がないが南に流れているように見える。「よ~し、思い切って洗濯は今日する!」と決めた。雨は3時以降までは降らないと勝手に決めた。梅雨の真っ最中、洗濯物は「う~ん、後日にするか」「これをしたあとで」と自分を納得させて先延ばしする人が多いと聞いたことがある。(”それ、ダメ!”)先延ばしは泥棒、そう、時間泥棒である。先延ばしは後で後悔するのがオチである。何でもかんでもとまでは言わないまでも、僕の経験では失敗は先延ばしが元になることが多かった。体調不良の女房の手助けで洗濯物を干しているといつも思うのは皿洗いや部屋の掃除、ただひたすら一生繰り返される同じ作業…特に感謝されるわけでもないしオーバータイムのペイもない。僕の洗濯物は2時には乾燥、「やっといて良かったー」。雨は6時前に降り出した。雲がゆっくり北に向かって動いていた。

文句が多いのは齢のせい?

2024-07-12 16:27:09 | 日記
 テレビを見て1日を過ごす類の年寄りではないのだが、テレビを見ながらの文句が多くなってきた。歳のせいかもと思う理由は、若い人達はそんなことを考えている暇などないはずだから。
 お昼になると詳し過ぎる民放の天気予報、一般の人は天気予報士になりたいと思ってみているわけではない。簡単で的確な予報が聞けたらそれで大満足なのに、天気図から気圧の配置の理由、など詳し過ぎて”もういいよ”となる。夕方にはNHKのニュース番組、アイドルのような服装の女子アナ達、そして番組の終わりには軽装の出演者達のお辞儀が”丁寧過ぎ"て違和感を覚えたりする。時代が変化して僕らの時代とは違うのなら、にこやかに、手でも振って終わった方が親しみが湧いてくるのにと考えたりする。なにかがチグハグな感じがしてしかたがない。
 ところで、”過ぎる”、と言えば我が家にくる少し年配の宅配のおじさんは丁寧過ぎてこちらが恐縮してしまうほどの勢いだ。本当にありがたそうに「いつも利用していただいてありがとうございます」から始まって「またよろしくお願いいたします」で終わる。いやいや、そんなに言ってくれなくても…「ありがとう。ご苦労様です」と返事を返す。子供への過保護場合は「過」とは本人が望んでいないことを押し付けること、まさに、「過ぎたるは及ばざるがごとし」である。英語ではToo much is as bad as too little.となって、日本語訳は “(何事も)やり過ぎは何もしないことに等しく碌(ろく)なことはない” となるのだろうか。