近所で家の解体が始まった。家というものはなんとたくさんの埃(?)を溜め込んでいるのか、と考えさせらた。解体業者はちゃんと水を撒きながら家を破壊していくのだが、それでも埃を抑えることはできない。どうしても風に乗って埃が霧散、僕の車も含めて近くの家の車のフロントガラスにうっすらと埃の層ができている。これは仕方がない。「お互い様。また自分も将来的に同じ迷惑をかけるかもしれない」共同体というのはそういうものだ。
解体作業を見ていて感じたことがある。最近よく話題にのぼる断捨離のことや、結局自分が死んでしまうと、家も含めて後生大事に残していたものは、自分以外の人にとっては文字通りお荷物となるということだ。昔、プラス思考の英語を勉強していた頃に学んだ「亀」の話を思い出した。亀は余計な荷物を抱えない。スローと言われようが、ダサいと言われようが気にしない。自分の所有物といえば自分を守る背中の甲羅だけ。時々首を伸ばして安全を確かめて、前進あるのみ。彼らは後ろへ進むことはできないのだ。
亀ほど人にとって最高の人生の教師はいない。我々人間はただ観察しているだけでいろんな想像力を掻き立てられて、「彼らは何を求めて生きているの?」「彼らの喜びは、楽しみは?」などと疑問や質問が湧き出てくる。アメリカの高速道路で横に並んだパトカーの警官から「もう少しスピードを落としなさい(You’d better slow down.)」とマイクを通して注意されたことがあった。注意だけで済んで止めらることもなかったけれど、今はウサギになるよりは亀の方がいい。
解体作業を見ていて感じたことがある。最近よく話題にのぼる断捨離のことや、結局自分が死んでしまうと、家も含めて後生大事に残していたものは、自分以外の人にとっては文字通りお荷物となるということだ。昔、プラス思考の英語を勉強していた頃に学んだ「亀」の話を思い出した。亀は余計な荷物を抱えない。スローと言われようが、ダサいと言われようが気にしない。自分の所有物といえば自分を守る背中の甲羅だけ。時々首を伸ばして安全を確かめて、前進あるのみ。彼らは後ろへ進むことはできないのだ。
亀ほど人にとって最高の人生の教師はいない。我々人間はただ観察しているだけでいろんな想像力を掻き立てられて、「彼らは何を求めて生きているの?」「彼らの喜びは、楽しみは?」などと疑問や質問が湧き出てくる。アメリカの高速道路で横に並んだパトカーの警官から「もう少しスピードを落としなさい(You’d better slow down.)」とマイクを通して注意されたことがあった。注意だけで済んで止めらることもなかったけれど、今はウサギになるよりは亀の方がいい。