学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

フィッシング・メール?

2019-08-30 16:50:05 | 日記
文面は正確ではないが「支払上の同期に不都合が生じましたので…」という主旨の、送り人がアップルとなっているメールが入った。なんのことかわからないのでアップル・サポートに電話を入れて調べてもらったら、フィッシング・メールだから削除してくださいということだった。つまり詐欺メールである。下手に「同期します」をクリックしようものならクレジットカードの情報やパスワードなどのいわゆる個人情報があっという間に盗まれてしまうというのだ。なんという世の中だろう。何ともいえない絶望感にものも言えなかった。変だと思って、よけいなことをしないでサポートに電話を入れたことで助かった。
不思議なことにその夜、僕の寝る前の儀式、いつものようにラジオのNHKのニュースを聞いていたらこのフィッシング・メールが最近横行していて人々をおとしめていることを知った。世の中を支配する拝金主義がさまざまな悪行、犯罪を生み出していく。複数人の若者強盗が年寄りの家に押し入って強盗するという事件も新聞で知った。平和に生きてゆくということが当たり前に出来なければならない世の中が、明らかに悪い方向に変化している。正しい人生の目標を持たずに間違った道に踏み外してゆく若者に言いたい。“生きるためにお金は必要だ。でも正しい目標を無くしては人生は虚無の世界なのだ。(We need money to live, but life is empty with no right goals.)”
オレオレ詐欺など人をだますことに知恵を絞っている人達のことをテレビや新聞で知るたびに、歳をとって周りの出来事にビクビクしながら生きなければならないという現実に何とも言えない絶望感をもってしまう。世の中いろいろあるさ、などと笑い飛ばして生きれるような雰囲気にないのが残念だ。
人間の世界で起こっていることとは関係なく季節がめぐってきて、空の雲を見ていると秋が確実に近づいていることを感じさせる。なんとか平和にゆったりと日々を暮らせるような日常はもう期待できないのだろうか。じっと夕焼けの空を見上げていた。

“前を向く”という言葉

2019-08-27 15:32:45 | 日記
大学教えていた現役の時代、学生と向き合う時は褒め言葉(4)に対して激励的な叱り(1)という比率を大切にしてきた。褒めてばかり、かばってばかり、叱ってばかりでは学生の学びをプラスの方向に導くことは出来ない。“褒め言葉は人の気分をよくさせるCompliments make you feel good. ”という事は解っているが英語のコンプリメント(compliment)という単語に当てられている訳語のように褒め言葉はいろんな意味合いをもっていて注意を要する。 この単語の辞書の日本語は「賛辞、褒め言葉、挨拶、お世辞」などである。お世辞と言えば日本語では口先だけの褒め言葉という意味になってしまう。状況の前後関係は考慮に入れなければならないが、日本語ではあまり肯定的な意味があるようには思えない。僕は学生との接触では誤解のないように優しい言葉をかける(Say a kind word.)という意味に比重を置いてこのコンプリメントを使っていた。
甲子園の全国高校野球が終わった。いろんなドラマがグラウンドで演じられて感動を呼んだ。高校野球の選手には褒めたり叱ったりの微妙な“さじかげん”が選手を伸ばすと言われる。最近の若い人は“前を向く”という言葉をよく使うように思う。特にスポーツ選手はこの言葉を使って肯定的に挑戦するという姿勢をとっているようだ。“前を向いて”という言葉はまさにプラス思考そのものだ。後ろを向いて済んだことや終わったことに引きずられていては苦しんだり悩んだりしているだけで行き着く所はない。
NHKのBSプレミアムで放送される『ガイロク(街頭録音)』という番組を時々見る。街を行くさまざまな人々にマイクを向けてインタビューするという番組だ。「人生のピンチをどのように切り抜けましたか?」などというタイプの質問を投げかけて、その答えに視聴者が何かを学ぶという番組だ。昔の苦しかった時のピンチを皆さん“前を向いて”くぐり抜けて元気に今を生きているという。視聴者はインタビューされた人々の前向きな姿に感激したり安心したりしながら番組を楽しむ。「悲しみや怒りは、時が経つにつれて和らいでくる」と言った人がいた。ちょっとした前向きな言葉にも人をその気にさせる力が宿っている。

閃き(ひらめき)の意味は

2019-08-23 17:50:51 | 日記
先日、大阪市内に出かけた時に電車内でふと気付いたことがあった。前に座った女性が携帯の扇風機を使っているのだ。そう言えば電車の中の冷房のおかげで昔からの扇子を使う人が少なくなってきたように思う。ま、それはそれでいいとして携帯の扇風機は面白い。車内の冷房とこのポータブルの扇風機はいかにも心地良さそうだ。更に周りを見渡してみるとなんと3人もがこの車両で小型のファンを使っているのには驚いた。一人は親子連れで子供が帽子をとって頭に風を送っているのである。外で何をしてきたのか子供の顔は真っ赤である。そんなにこの小型扇風機は世に浸透しているのだろうか。
そう言えば、外出着の両脇に小さな扇風機を埋め込んでいるものがあると最近知った。腋や首筋から空気を排出して、服の中では扇風機が回っているという仕掛けである。時と場合によっては汗臭い空気が排出されて、周りにいる人には迷惑にならないのだろうか。それは主に外で着る作業着などの発想らしいので大丈夫とは思うが、肌着にまでこの扇風機をとり付けることも考えられているらしい。
電車内の冷房も、衣服につける扇風機も、アイディアはすべて大阪で始まり実用化されてきたという事を知った。‘新しい物好き’で、アイディアマンで、ある意味“うれしがり”と呼ばれる閃きの大阪人の考えそうなことだな~とひとまず感心しきりであった。
国語辞典で「閃く(ひらめく)」という語を調べてみると、感覚的に鋭い急に思い浮かぶ考えや発想などを“ひらめき”というらしい。何かに没頭して研究している学者がよくこの“閃き”という言葉を使うという。研究には閃きこそ答えであることが多いと聞いたこともある。英語では“最初に頭に浮かんだことを行動に起こせ(Do the first thing that comes to mind.)”というのがあって、あれやこれやと思いを巡らせている内にうまく行かない理由ばかりに気をとられてしまうようになるのが人の頭の動きであるというのだ。そういわれれば、考えている内に徐々に否定的になってきて、できない理由ばかりが頭を支配してくるという経験を何度もしたことがある気がする。「思いついたら即行動」から学ぶことは多い。

否定語を否定する

2019-08-20 16:13:41 | 日記
お盆休みが終わった。今年の夏もいろんな事件や出来事があった。水難事故は川泳ぎや中洲でのバーベキュウ、それから海水浴場での事故などがあった。ちょっとした気の緩みや自然現象に対する軽視などが原因だという。
そうそう、お盆の真っただ中に台風までやってきて陸海空の交通の便は大混乱というのも忘れてはいけない。帰省していた人達など、想定外の不便が降りかかって気のどくにおもった。テレビはいろんな世間での出来事を伝えてくれるので家にいながら生きる楽しさや難しさなどを学ぶことができる。
はらはらしながらも楽しくテレビに見入ってしまったニュースがひとつ。東京丸の内のカルガモ親子の引っ越しであった。丸の内のビルの谷間にある人口の小さい池から皇居のお堀に向かっての親子大移動と母親カモの奮闘物語である。20センチほどの高さとその手前の溝を超えられない8羽の子ガモの必死の挑戦と母ガモのなんとかならぬかと心配そうにやきもきする姿に“生きる”という意味を重ね合わせて考えている自分がいた。
その時には出来そうで、でも出来ないことに何度も挑戦する姿が難しい言葉や理屈抜きに人生を教えてくれているように思った。数日をかけてこの障害を乗り越えた時の親子の姿は諦めなかった努力の偉大さを教えてくれているようだ。諦めることと諦めないことの差はわれわれ見る者の頭の中に無形の学びという経験を教えてくれる。
「きっとできる。頑張れ!」などとわれわれは子供を励ます。でも僕は時々思うのだが、否定語を否定する言葉の方が学ぶという肯定的なインパクトを人に伝えてくれるような気がすることがたびたびある。英語にも時々みうける表現なのだが“出来ないと思ったとたんに出来なくなる If you think you can’t, you can’t.”というものだ。プラス思考の出発点は案外、否定語を否定するという試みの中にあるのかもしれない。大阪弁にアカン(だめ、むり)というのがあるが、アカンことはない。きっとアクさ(何のこっちゃ…?#?*?)。

裏の道に本道あり

2019-08-16 18:02:02 | 日記
お盆休みで町から人が消えたようで僕の住む住宅街が何とも言えない落ち着きを取り戻したような気がする。お正月の三が日のように独特の落ち着きを感じる。スズメや小鳥の声がいつもより強調されて聞こえてくるように感じるのである。夏休みというのに、どこへ行ったのか子供の姿を見かけないとおもったら、そうだ、親について帰省しているのであろう。外にでてみると道路もゆったりと運転しやすい。車の数が明らかに少なくて、いつも渋滞する所がスイスイと走れるのである。
日本ではなぜかみなさん一斉に休暇をとって民族の大移動である。逆発想で休暇の取り方を変えてこの連休に働いている人を数人知っている。仕事にもよるのだろうがこの人達のように周りの人と逆を行く考え方も‘あり’である。人とは違いゆったりと自由に動ける時に休みをとって楽しむ方法だってあるのである。“人生に余裕を(Make room in your life.)”を実行しようと思えば逆発想で周りの人と違う行動を起こすと面白いことが起こりそうな気がする。
大阪ではメトロの御堂筋線で梅田に向かうと人、人、人。大阪駅から新しくできた‘グランフロント大阪’へ行くにはまともにまっすぐ歩けない。人が人を呼ぶのだろうがどう考えても効率が悪い動きになってしまう。昼食を取るにも、どの店も満員だ。何とかならぬかと発想を変えてみる。大阪は難波と梅田に人が集まる。それではその間にある地域はどうだろう。例えば天満橋。周りのビル内の上階にはさまざまな料理を提供する店がたくさんあり、中之島公園や川の流れを見ながらゆったりと食事を楽しめる。文房具店や本屋さんまでどこか違う雰囲気だ。近くには大阪歯科大学や大阪府庁もある。新しい発見をしたようでうれしかった。昔、どこかで桜の花見で大勢の人が行く様子を皮肉った格言(?)を聞いたことがある。“人の行く 裏に道あり 花の山”…人とは違う裏の道を行く方が、ゆったりと桜を楽しめる本道がある、というものだ。商売や一般の仕事にも利用されるこの一言。時には必要な逆発想の大切さを教えてくれる。人と同じことをしていても…。