学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

“怒り”に大した理由はほとんどない

2017-10-30 21:25:14 | 日記

‘木枯らし一番’が大阪でも吹いたとテレビが伝える今日は、冬が来たと感じさせる寒い一日だった。本当の冬はもっと寒いのに。
 我が家の前をランドセルの小学生が二人、2、3年生だろうか、大きな声で話しながら通り過ぎた。「あの子、なんであんなことで怒るんやろか」「さむー」と言ってと言って急に走り去っていった。標準語に訳すと、「あの子、どうしてあんなにつまらないことで怒るのだろうか」とでもなるのかな。最後に「さむ―」といったのは、体感的に寒いことを表すのか、最近はやりのバカみたい、つまらない、と言う意味なのか定かではない。

 社会生活を送る上で人との関わりは欠かせない。会社の中で、夫婦の間で、学校の中で、どこかで誤解が生じて喧嘩になったり言い合いになったりする。なんらかの誤解があって、人間関係に摩擦が生じる。“怒る”と言う感情には必ず理由がある。ところが、ちょっと一息ついて「なんで?」「どうして?」と考えてみると、大抵の場合、あまり大した理由などないことに気づく。

 アメリカに留学していた時に、人間の'怒り’について学んだ心理学の授業を思い出す。
「理由のない怒りというものはない。しかし、大した理由であることはめったにない。」と言うものだ。誰の言葉だろうか。たくさんの名言を残したBenjamin Franklin(ベンジャミン・フランクリン)である。例の凧上げの実験で雷と電気の関係を学んだ人である。アメリカの独立宣言の起草委員の一人でもあり、100ドル紙幣にも顔が印刷されている。

  英語では“Anger is never without reason, but seldom with a good reason."

 大した理由でもないのに怒りがいろんな事件を引き起こす今日この頃。立ち止まって「バカみたい!」と叫んでみればどうだろう。

つまずくこと―“倒れたら起きろ”

2017-10-28 14:57:29 | 日記

年寄りがつまずいて倒れて、はじめて歳をとったことを思い知れされるということを耳にするようになった。自信を無くすきっかけになるということらしい。だいたい倒れるという行為自体、痛みを覚える以外にきまりが悪い。3年ほど前にそんな経験をした。歩道のちょっとした段差に気づかづに、足をひねったというのが実際に起こったことである。それでも、まわりを見ながら、なんと気まずく、きまりがわるいことか。痛みをこらえながら平気をよそおって立ち上がり、一歩を踏み出す以外になにができるのだろうか。
 きまりが悪く恥ずかしいのは一瞬、永久に続くものではない。立ち上がることができるということは、次に希望があるということだ。だって新たな一歩を踏み出すことができるのだから。
 大学で教えながら、今日はうまく授業ができた。学生達も楽しんで勉強してくれた、と思う日があると思うと、「う~ん、今日は大した授業ではなかった」と少し落ち込むこともある。それでも次の一歩があるとおもうと、やる気がでてくる。
 考えてみると、家族間であろうと、夫婦間であろうと、また仕事のなかで、そして人間関係で、つまずくことは数多くある。しかし、よく考えてみると、つまずくことには、「もう一度起き上がって次の一歩を踏み出さなければ、そのままずっと地べたに這いつくばっていなければならないんだよ」という励ましが隠されているのだ。必ず近くにいる人が「大丈夫?」と手を差し伸べてくれる。

 人間はなぜつまずいて倒れ、失敗ばかりするのだろうか。If you fall down, just get up.(倒れたら、起きろ)なんのことはない、たったそれだけのことなのだ。まわりに自分を助けてくれる人がいる、だから今の自分がある。まずは自分にとって身近な人に感謝して生きましょうね。

街歩き、ハッとひらめく時がある

2017-10-25 20:29:02 | 日記

 30年も経つだろうか。アメリカのラスベガスの街はずれで寿司屋をやっていた岡田さんと言う人に出会ったことがあった。回転寿司などまだなかった時代である。砂漠の町、ラスベガスで寿司屋などあり得ない、そう思って立ち寄った。カウンターもあったし、奥にはなんとカラオケの装置を備えた部屋も用意していた。
 アメリカでは人の過去をあれやこれやと聞きまくると、お前は市役所の調査員か、などといやな顔をされる。自由を大切にするアメリカでは、個人の過去等どうでもよいことなのだ。ただ、彼がラスベガスにたどり着くまで、東京、大阪、福岡と街歩きで自分が何をしたいのかを模索していた流れ者の時期があったということを、チラッと口にした瞬間があった。

 なぜ今頃になってそんなことを思い出したのだろうか。今日のブログはどんな話にしようかと、庭を歩きまながら考えていた時にフッと思い出した。
 昨日は年寄りの特権を利用して、大阪の近鉄奈良線沿いの数か所を街歩きした。昔とずいぶん変わった町の風景は感慨深い。店をのぞいたり、店の人と話したり、確かに街歩きは不思議な刺激を与えてくれる。ラスベガスの岡田さんも、そんな街歩きのなかでひらめいたことがあったのだろう。やっぱり人間は動かないといけない。行動することで閃きがある。確かにハッとする刺激を感じる瞬間があるのだ。
 
さて、今日の英語は Make the most of each minute.(その時々を有効に使いなさい)に決めた。
          (make the most of ~:~を最大限に活用する、~を有効に使う)
 
そうだ! 時間は無駄に過ごすべきではない。人に会い、行動することで、なにかがひらめく瞬間があるのだ。

 

生まれつきの自分のタレントに気づくこと

2017-10-19 19:35:07 | 日記

 教育の現場、学校でのトラブルが頻発している。今日は教育について考えてみようと思った。

 人は皆、退職する時が来る。特に後期高齢者と言われる年齢に達するとただ単に死ぬのを待つだけの人生は送りたくないと一般に思うのが人情だろう。ぼくも退職で時間ができてNHKのプレミアムやBSの番組を選びながら観る機会が多くなった。地上波で芸人たちが仲良しクラブの集まりのような番組でさわいでいるのをみると、番組をつくっている人達に疑問を感じることが頻繁にある。笑いも必要、おふざけも必要、難しい番組ばかりではいけないけれど、あまりにもバカらしくて、ふと日本の将来を心配したりする。

 僕は人生の大半を教師として過ごし、教育、つまり教え育むという意味をずっと考えながら学生と向き合ってきた。学生は、実に様々なことを学校で学ぶ。こと学業に関しては、宇宙のことを学んでも、数学の微分積分を学んでも、それを結び付けて自分と言う個人のタレントを学ばなかったら、いったい教育とはなんだろうと思う。学校で過ごす長い時間、それを無駄にしないようにするにはどうすればいいのだろうか。

 今日は中学を卒業して、自分があこがれた漁師になった青年の話しをテレビでみていた。一生懸命生きている。将来の夢を語る彼の姿に考えさせらることが多かった。学校で教えるということは、“ひとりひとりの学生の中にある生気、生活力、バイタリティを刺激すること”なのだとあらためて確認した。

   生きるということは自分の持っているナチュラル・タレント(Natural Talent 生まれつきのタレント)に気づくこと。

もしもし亀よカメさんよ、甲羅の外に首を突き出せば...

2017-10-16 21:05:27 | 日記

 Sticking your neck out. と言う英語がある。“あえて危険なことをする”とか、“火中の栗を拾う”、と言う意味である。
ここでは甲羅に守られた亀のことを思いだしてほしい。stick out は突き出すという意味で、亀が頭を甲羅から外にグッと突き出すさまを思い浮かべてほしい。ビクビクしながら世界を、まわりを見ている人がたくさんいる。
 neck、つまり首を甲羅につっこんで、知らんふりをするのも生きるコツの一つかもしれない。甲羅の中に首をつっこんで知らんぷりをして人生を過ごすのもたしかに一つの生き方かもしれないけれど、やっぱり首を突き出して、まわりを探検して、前に進んで行くというのが人間の生きざまではないだろうか。
 自分を危険にさらしながら、前を向いて進んで行く、それがわれわれ人間の人生なのだろう。
僕は若い時から、とにもかくにも、あまり心配せずに、気にせずに、一歩を踏み出すことを心掛けてきた。それで良かったと思っている。ほとんど家出状態でアメリカ留学を果たした、そんな冒険心が今の自分をつくったのだと思っている。

 亀は堅くて強い甲羅をもっていて、その甲冑(かっちゅう)で守り一筋、動物王国を生き残ってきた。だからのんびり、ゆったり、今もしっかり生き残っている。でも、人としてこの世に生を受けた限り...やっぱり挑戦心、冒険心、という言葉が教えてくれることがある。首を外に突き出した時にはじめて進歩と言う意味がわかる.....と。