学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

さあ、忙しくなるぞ!

2021-11-30 16:57:41 | 日記
 今日は11月の末日、明日からは師走、12月に入る。「師走」という言葉を聞くたびに “普段は慌てたり走ったりしない学校の先生すら忙しくなる月” などといい加減な説明をする人がいたのを思い出す。教師は年がら年中のんびりなどしていられないのをご存知でないらしい。特に12月は冬休みや来期への備えなどを含めて済ませておかなくてはならない準備が山ほどある。本当は “僧侶のような普段は落ち着いている人でも12月は多忙となり走り回る” という意味に由来しているらしい。多くの寺院で「仏名会(ぶつみょうえ)」と呼ばれる法会(ほうえ)が行われる。年末年始に菩薩の名を唱えその年の罪に懺悔して身も心も綺麗になるこという意味があるらしい。  
 一年の終わりであると同時に新しい年の始まりへと繋がっていく月であることは理解できるのだが12月はなぜかせわしく追い立てられている気がする。年賀状書き、部屋を掃除して新年を迎えたいと思う気持ちなどなど。花屋さんやスーパーに並ぶポインセチアはなぜか手を出したくなる。せめてあの赤い葉っぱと緑の葉、そして茶色の植木鉢、3色の組み合わせで家をクリスマスムードに華やかにしたいなどと考えているうちにクリスマス。パーティーがあるし忘年会のことも考えなければならないし、お正月の過ごし方まで考えなければならない。もう一つ、経済面はどうだろう。出費が気になる12月だ。「忙しい」という言葉が日本人の口癖のようになっている。物理的にしなければいけないことが山積しているときの“忙しい”、予定が詰まっているという意味でも“忙しい”、いま手が離せないという時も“忙しい”。“いちいち不平を言うな。釈明するな Never complain. Never explain. (女優キャサリーン•ヘプバーン)” という言葉をを思い出す。
 ピンポ〜ン(♪)…「お届け物です」「は〜い」やれやれ、忙しいな〜。

紅葉は木々の冬支度

2021-11-26 17:30:47 | 日記
 また紅葉の季節が巡ってきた。数年前に京都の清水寺に紅葉見物に出かけたことがあるが、人出が多くゆったりと木々の色づきを鑑賞したりちょっとした瞑想を楽しむ雰囲気ではなかったことに幻滅して、以来全く出かけていない。久し振りにテレビの紅葉の名所などの紹介に刺激されて腰を上げた。行き先は京都貴船の近く鞍馬。ローカル線でよく紹介される叡山電鉄に乗ることと途中に存在する有名な紅葉のトンネルをくぐりながら写真をとっって紅葉を楽しむという計画だ。最近は夜のライトアップに人気があるらしいが、僕は人工的に創られた幻想の世界より昼間の自然な姿の紅葉を見ることに決めたのだ。60歳前後の女性グループが多数を占める中、予想通り多数のお年寄りに混じって、カメラ女子など若い女性もかなりいることに驚いた。
 鞍馬の山は寒い。冷たい風にじっと佇んでいると耳が痛くなってくる。鞍馬寺の近くでの昼食の蕎麦屋の寒さは尋常ではなかった。コロナ対策で風通しをよくするためというが10㎝ほど開けられたガラス戸からの冷風に席を変えてもらったほどだった。
 紅葉は木の冬支度、太陽の日当たり時間が短くなるとともに光合成のためのエネルギーの減少が起こる。葉を維持するためのエネルギーの節約が起こり、冬に備えて紅葉、そして葉を落とす。紅葉鑑賞の意味とは繰り返される自然の営みを楽しむことで自分の人生がまだまだ続いていることを知り、また来年、そのまた次の年へと未来が続くという素直で前向きな考えに気づくことだ。歳を重ねても自然から学ぶことがある。 “人生の道に後戻りはない、そしてそれでも人生は続く There is no returning on the road of life, and life still goes on.”

紅葉は木々の冬支度

2021-11-26 17:17:14 | 日記
 また紅葉の季節が巡ってきた。数年前に京都の清水寺に紅葉見物に出かけたことがあるが、人手が多くゆったりと木々の色づきを鑑賞したりちょっとした瞑想を楽しむ雰囲気ではなかったことに幻滅して、以来全く出かけていない。久し振りにテレビの紅葉の名所などの紹介に刺激されて腰を上げた。行き先は京都貴船の近く鞍馬。ローカル線でよく紹介される叡山電鉄に乗ることと途中に存在する有名な紅葉のトンネルをくぐりながら写真をとっって紅葉を楽しむという計画だ。最近は夜のライトアップに人気があるらしいが、僕は人工的に創られた幻想の世界より昼間の自然な姿の紅葉を見ることに決めたのだ。60歳前後の女性グループが多数を占める中、予想通り多数のお年寄りに混じって、カメラ女子など若い女性もかなりいることに驚いた。
 鞍馬の山は寒い。冷たい風にじっと佇んでいると耳が痛くなってくる。鞍馬寺の近くでの昼食の蕎麦屋の寒さは尋常ではなかった。コロナ対策で風通しをよくするためというが10㎝ほど開けられたガラス戸からの冷風に席を変えてもらったほどだった。
 紅葉は木々の冬支度、太陽の日当たり時間が短くなるとともに光合成のためのエネルギーの減少が起こる。葉を維持するためのエネルギーの節約が起こり、冬に備えて紅葉、そして葉を落とす。紅葉鑑賞の意味とは繰り返される自然の営みを楽しむことで自分の人生がまだまだ続いていることを知り、また来年、そのまた次の年へと未来が続くという素直で前向きな考えに気づくことだ。歳を重ねても自然から学ぶことがある。 “人生の道に後戻りはない、そしてそれでも人生は続く There is no returning on the road of life, and life still goes on.”

天は二物を与えた(?)

2021-11-23 16:19:19 | 日記
 藤井聡太竜王に続いてプロ野球大谷翔平選手のメジャーリーグMVP獲得の偉業、どちらの二人にも “異次元の偉業” との称賛の言葉。さらに二人に共通しているのは人に好かれる人間性だ。藤井竜王についてはすでにこのプログで取り上げたので今回は野球の大谷翔平選手だ
 藤井竜王は将棋という分野で最高峰を極めてまだ全冠制覇の途上である。彼の場合は一点集中が分かり易い。自分の得意分野の将棋に集中して高校中退、他のものには目もくれず集中力と技術を磨いた。一方、大谷選手も国民栄誉賞を辞退して自ら「もっと上を目指して努力します」と公言している。しかし、投と打の両方を追う選手と人にとられて「二兎を追う者は一兎をも得ず」と或る種の批判も巷にはある。ちょっと待て、大谷翔平もまた本当は一点集中、二兎を追ってはいないと言えば「え!」と驚く人もいるだろう。彼は野球という競技に一点全力集中、その過程で走攻守の技術を鍛錬している中で人がいう二刀流という称号を勝ち得たのである。そう言う意味では本当は走るのも速いので三刀流なのだ。人は一般にあれもしたいこれもしたい、いやしたかった、と欲が深い。それを戒めようとしているのが “二兎を追う者…” の格言だ。
 大谷翔平は本当は二兎を追っているのではなく一つのことに集中、度力邁進している若者だ。自分の得意分野を見つけてそれに向かって努力する姿はなかなか我々一般の凡人には真似ができない。「完全」というものはないとしてもその領域に近づこうとする喜びは多分エベレストやマッターホルンの登頂を目指す人のそれと同じなのだろうと想像する。人間性を磨きながら自分の得意分野でさらに上を目指す大谷翔平選手は“二兎を追う者…” の格言云々より、「天は二物を与えず」という格言が「天は二物を与えた(?)」ようにも見える。

外づらが良い言葉

2021-11-19 16:45:10 | 日記
 歳をとってくると物忘れがひどくなるとよく聞く。全くその通り、特に漢字のど忘れが突然起こって全く書けなくなるのである。電子辞書の国語辞典のヒストリーを調べてみると最近では祭壇の「壇」が書けなくなったり、「嫉妬」の漢字が思いつかなかったことが分かる。「なんで??」理由がない。読むのはなんの支障もない。書けない焦りが突然起こるのである。
 辞書といえば一昨日の水曜日の読売新聞朝刊スポーツ欄大相撲記事に写真とともに貴景勝の調子が良いとある。僕は毎日夕方に大相撲を楽しむのでよく知っている。昨日も勝って危なげのない相撲で5連勝。今までのような足腰の不安定さが全く影を潜めている。さて一昨日の新聞記事だが「得意の突き落としで大栄翔を仕留めた。けれんみのない内容に観客からも大きな拍手が…」とある。けれんみ(?)なんとなく聞いたことがある言葉、でもどういう意味だったか確かめなければならない。違和感を覚えながら広辞苑を引くこととなる。
 新聞は漢字をはじめとしていろんなことを教えてくれる。とはいえ時々違和感のある言葉が使われていることに気がつく。「けれんみ」という言葉は僕の一生で何度使ったことがあるだろうか。「けれんみが無い」などと使われるのだが使ったことは一度もないしこれからもきっと使うことはないと思う。なぜならわざわざその言葉を使わなくても “受けを狙ったいやらしさ、ハッタリ、ごまかし” という言葉で置き換えて事足りるからである。その方が遥かに読み手の人々に親近感がある。先の新聞記事は「自分の得意技の突き落としで(ごまかしのない)真っ向勝負、大栄翔を仕留めた。観客からも大きな拍手が…」と置き換えてみるとよほどその方が分かりやすい。ちなみに“けれんみ”は漢字で外連味と書くらしい。外面(そとづら)が良いような感じがある。