学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

この世に俺の代わりは存在しない

2024-05-28 16:20:48 | 日記
 読売新聞の「人生案内」欄(5/27付)―17歳の少年が「人生は何の意味があるのか」と言う疑問を投稿した。僕が大学で現役の頃もときどきそんなことを言う若者がいたことを思い出す。時代がなせるわざなのかなぁ…半世紀以上前の僕の時代はどうだったろうかと考えた。皆それなりに前を向いて頑張っている感はあっても人生を諦めている様なムードは周りにはなかったと思う。さていつもの様に僕ならこの青年にどのように対応するだろうかと考えた。
 まずひとつ、政治や社会に落胆してそんなことを思うのなら言っておく。大統領や総理大臣はいくらでも代わりがあるけれど、君の代わりはあるはずがない。もうひとつ、もしも五月病の倦怠感というか環境不適応のような状況があるのなら、先ずは大声で笑ってみる。人は幸せだから笑うのではない。笑っていると幸せになってくる。どうも幸福とはどこか遠い所にあると思い込んでいる節が今の人には見受けられるときがあるけれど、幸せとは本当は自分の足元にあるんだよ。もっと歳をとって僕ぐらいの年齢、残りの年月のカウントダウンをするようになると忘却すらが自分を幸せにしてくれると言うことに気づくんだ。島崎藤村「千曲川旅情の歌」にある「今日もまたかくてありなむ」、昨日のことを思い出してみると「昨日もまたかくてありけり」と1日1日を振り返ると、人生が見えてくる様に思う時がある。昨日も今日も何事もなく過ぎ去って、明日もまたそうあればいいと思う。幸せとはそんなものだと思う日がいつかはくるのである。人生は君だけの特別なもの。気を楽に、でも懸命に日々を過ごしていると人生の意味が見えてくる。

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