学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

年の瀬だ。忙しそうにしておこう

2023-12-29 16:09:17 | 日記
 とにかく一年が「あっと」いう間に過ぎていく。あと何年元気で生きていけるだろうかなどと時々頭をよぎるようになってくると時間の経過速度が尋常ではないように思う時がある。兎にも角にも年末だ、「とりあえずは忙しそうにしておこう」などと考えていると周りでは連鎖反応のように車を洗うお父さんと子供の姿を見かけるようになってきた。仕事納めも済ませていよいよ車や家の掃除などに時間を当てようということだろう。僕としても俊敏さは無くなったがとりあえずは部屋の掃除で今年の埃などは払わなければならない。孫が来る正月に向けてやはり準備しなければならないこともある。お墓参りの仏花を買い求め、それから女房の買い物のお手伝いもしなければ。やっぱり年末は歳をとってもそれなりに忙しいではないか。
 部屋の掃除をしながら何故か大晦日に放送されるNHKの番組「ゆく年くる年」を考えていた。実を言うと番組そのものより僕は「ゆく年くる年」は言葉として好きなのだ。除夜の鐘を聴きながら“ゆく年”を振り返って終わろうとしている今年がどうだったかを総まとめしようとするのだ。一年、12ヶ月の中で良し悪しは別として少なからず自分の体調や考え方に影響を及ぼした出来事というものはあるものだ。何かが起こったからそれに対応して新しい知恵を会得する。僕の好きなアインシュタインに言わせると「何かが動くまで何も起こらないNothing happens until something moves.」言い換えれば “物が動くと何かが起こる”。“くる年”もまたペダルを踏み続けなければ自転車は倒れてしまう。(皆様の“くる年”のご多幸をお祈りいたします)

クリスマス、真の価値は見えない物の中にある

2023-12-26 16:29:51 | 日記
 クリスマス・イブの夕刻、いつもは静かな道路の一角で車の行列ができていた。意外なことで一体何ごとかと思ったら、行列の先にはピザ屋さんが、そうだ、クリスマスには何故か日本人はピザとフライドチキンでパーティーをすることに気が付いた。今年は膝が痛かったり、女房が風邪を引いたりであまり外には出かけていない。どうしてもクリスマスのムードから遠ざかってしまっていたことを思い知らされた。とはいえ、日本の商業主義に侵されたクリスマスを考えては“クリスマスの精神”は店から生まれるのではないと強調したい。「クリスマスは与える精神」、自分が得をすることばかりを考えている日常を離れて困っている人をはじめ、贈り物を受ける価値のある者にサンタクロースはプレゼントを用意する。
 日本の風習に目をやると、例えば大晦日には年越しそば、そしてもちろんお正月にはお節料理、などなどと季節の節目には何らかの食べ物が必ず対になって登場する。ある程度の人数がそろえばクリスマスであれなんであれ、やはり食べ物は欠かせない。それでもことクリスマスに関しては誤解されている節がある。キリスト教の文化ではクリスマスは主として家族でお祝いをするもの。日本の若者が考えているようにお酒やピザやフライドチキンというのはかなり本来の意味から離れている。かつてアメリカにいる時、窓の外に降る雪を見ながら日本の両親や姉や弟のことを想い、本当の価値は見えないものの中にあるなどと考えたことがあった。「クリスマスが毎日あれば人は戦うことはない」と言われる言葉が昨今の世界情勢の中で特に意味を持っているように感じた。

日米雪の寒暖差比較

2023-12-22 16:20:42 | 日記
 今年もまた寒波が日本列島を襲っている。テレビのニュースを見ていると北海道の留萌の大雪の混乱が映っていた。雪に隠れたバス停の表示板、身の丈ほどもある除雪された雪の壁の間を歩いて行く数人の人たち。トラックの立ち往生で車の列ができている道路など、雪国の生活は大変だなーと同情の念を隠せない。今日は近畿地方の北部に警報級の大雪が予測されている。そこで気がついたことがあった。日本では雪は迷惑な来訪者以外の何者でもないのだ。
 一方、アメリカでは大雪は歓迎されているとは言わないけれど、家に閉じ込められて暖炉の前での家族の団欒と温かいチキンヌードルスープ、クリスマスに雪がなくてはなどと言いながら、挙げ句の果ては “Let it snow 🎵”という歌があるように「雪は降らせておけ(気にするな)」的な雪との関わりである。恋人とワインでも飲みながら語らうひと時を雪がくれるといった具合だ。
 僕が新婚の状態でアメリカ生活を始めたのは確か1967年か8年、記録的な大雪がアメリカ東部の北から南にかけて襲った特別な年だった。大学の夫婦寮の前は広々と広がった丘陵地である。学校はじめ休みになった会社のせいでお父さんが子供とソリを楽しむ姿がそこかしこにあった。空港などの大混乱を尻目に、街の人はそんな状態を楽しんでいる節が見受けられた。とにかく悲壮感がないのだ。町の行政がしっかりと対応する体制をひいているのだ。島国と大陸というスペースの大小が日本との風情の楽しみ方に違いを生むのだろうか。僕はといえば、足跡がない誰も歩いていない真っ白い新雪を踏む独特の高揚感を一人静かに楽しんだものだ。

ファッションは「インスタント言語」だって

2023-12-19 17:08:44 | 日記
 先日の日曜日の天候は大阪では急転直下、「寒!」。そんな中、久しぶりに街歩きを兼ねて所用で大阪市内に出かけた。早速目に止まった高校生だと思われる女の子の格好に目が釘付けになった。下半身は素肌の足が短いスカートから突き出している。上半身といえば長いマフラーというのだろうかを首にぐるぐる巻き、もこもこのダウンに身を包み下半身とのアンバランスといえば唖然とする異様さだ。天気予報をはじめ周りの人々が寒いと震えているこの日に彼女の出立はやはり異常としか言いようがない。驚いていたのもつかの間、乗り換えの本町駅ではまたほぼ同様の姿で電車を待っている女子高生だろうに出くわした。
 なんだこれは。新しい最近の女子高生のファッションなのだろうか。彼らの世代は今までにもいろんなファッションを生み出してきた。何年も前に京都駅の修学旅行中の女子生徒がお揃いのルーズソックスを足に改札口に並んでいる光景が今も思い出される。英語の Fashion を調べてみると、「ある時代の一時的な流行、the をつけて流行を追う人達」、などと興味ある訳があることを発見した。“ファッションに支配されるな、ファッションの餌食にならないように”などという言葉も聞いたことがある。ファションとは「インスタント言語」、自分を世間に主張する最も手短な方法であるという。でも本当の意味は先ずは着心地、そしてファッションとは朝目覚めてベットを出た時に始まるという言葉があることも知っておきたい。天気予報も参考に自分の主張の仕方も少し視点を変えてファッションの意味を考えた方が得策なのに、などと考えていた。

人生不可避の三漢字

2023-12-15 16:12:58 | 日記
 今年の漢字は「税」に決まった。そう言えば税金はどれほどに?、お金の使い道は?…と要らぬ興味をそそるのが大谷翔平選手の大型契約。ドジャース移籍に伴う10年7億ドル(約1015億円)、一年にすると100億円でその額はセリーグ6球団の全選手の年棒合計にも匹敵する額であるという。大谷選手のことだから世界中のいろんな所に寄付するのかも、などと考えていると僕ならどうするかなどと夢が膨らんでくるような気がする。お金とは手にすべき人が手にすると使い道はいくらでも良い方向に向かって夢が膨らむ。手にすべきではない人にお金が動く世の中の矛盾というか不条理に天を仰ぎたくなる時がある。
 昨日は読売新聞の時事川柳に「議員は脱税、国民は節税(兵庫・野田秀俊)」とズバリ世相をついたものが掲載された。ちょっとした税の引き上げが家計には響き、かなりの減税と言われる税ではたった数円の節約にしかならない。僕は“人は古くなる”という意味で自分の今年の漢字を探す中、偶然見つけたのが「估(コ:値ぶみ,値ぶみをすること)」という漢字。女房に付き合うスーパーで僕の作った川柳は「估、估、估、買い物客が皆値ぶみ」ということになる。
 人は自分の意思かどうかは別として、生まれた時から人生が始まる。生きている限り税金という厄介者ががつきまとう。物理的な税金と自らの成長のための経験税である。生まれた限りはいつかは死に直面しなければならない。人生で避けて通れないものといえば「生、死、そして税」という三つの漢字に集約されることになるのかなぁ。