学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

クシャミをして

2020-04-28 18:27:07 | 日記
感染したくもないし広げたくもない。我慢して外に出ないという日が続いている。運動不足を解消するために歩数計のアプリが入ったスマホをポケットに部屋の掃除と片付けに毎日専念している。歩数計の数字が楽しみになるというなんとも情けない自粛の日々が続く。出口が見えない現状がかなりのストレスとなって気分を塞ぐ。掃除中の軽い埃のせいか、思いっきり大きなクシャミをしてスッキリした。おっと、ちょっと待て。外では安心してクシャミができないと聞いた。
クシャミの後のスッキリ感などと呑気なことを言っていれないのが今日このごろだ。クシャミをしてスッキリどころか周りの人に嫌な顔をされるという話をよく耳にする。僕の若い頃、クシャミ1回で誰かに褒められていて、2回すると悪口を言われていて、3回すれば「ルル三錠」などとよく冗談を言ったものだ。「ルル」とは第一三共製薬の風邪薬である。コマーシャルで “♪クシャミ3回ルル三錠♪” などと歌われて、皆が真似て口ずさんで笑っていた時代が懐かしい。今なら、クシャミを3回もすれば気まずそうに電車を降りたり、その場を立ち去らざるを得なくなる状況だ。
相変わらず自粛に応じないパチンコ屋さんは大繁盛だ。クシャミだの手洗いだのみんなが我慢して過ごしているこの時期に他人のことはまったく無視、自分さえ良ければそれでいいと恥ずかしげもなく遊興にふける人たちの存在に落胆を覚える。一昔前にミーイズムという言葉が流行ったことがあった。他人のことにばかり気を使わずに自分の意志や感情に忠実に、という訴えだったと覚えている。女性の生き方が云々されていた頃だった。人はすぐに自分に都合のいいようにこのような動きを解釈する。ミーイズムから四半世紀経って、人々の動きが徐々に利己主義の方向に変化してきたように思う。みんなで協力して頑張って我慢と辛抱を覚えよう、などという考えは影を潜めている。人生では “辛抱することを学ばねならない、もし成功を望むなら。You must learn to be patient, if you want to succeed.” 「辛抱する木に金がなる」とも言うではないか。

社会の見直し

2020-04-24 18:01:40 | 日記
BS-1のワールドニュースを見ていたら黒人女性が 数人“Don’t give in! (負けるな1)”という手書きのポスターを持って街がどに立っていた。つまりコロナウイルスに負けるなという意味のプラカードである。大学で教えていた時に ①give in と ②give up の違いが分からないという質問を何度も受けtたことを思い出した。もちろん現在のように新型コロナが問題になっている時ではない。どちらも同じような意味だから英語を学ぼうとする人には付きまとう質問だ。
①と②は共に「降参(降伏)する」という意味なのだが、日本では②のギブアップが「降参する」とか「あきらめる」、という意味に使われることが多いような気がする。抵抗を諦めるといった意味に使われていると思う。さすがアメリカ人はこの二つをよく使い分けていて①のgive in は「譲る」「降参する」「負ける」という意味に使われ、②はタバコや酒を止めるように「何かをすることをやめる」という使い方をして大体の区別をしているようだ。アメリカでは新型ウイルスのことを Covid-19 (コビッド19)と呼ばれることが多い。コロナ、ウイルス、ディジーズ(病い)で2019に起こったことを略してこのように読んでいる。“Don’t give in to Covid 19! ”ということになる。英語のウンチクはここまでとして、毎日の報道にどうしても目が向いてしまう。世間の最大の関心ごとがこのコビッドであるから自分だけが置いてきぼりにされないように世間の動きについていこうとする心の動きである。何をしても手を洗う僕の姿は外科のオペに向かうドクターの姿(ちょと大袈裟)。先日は真剣にある報道を見ていた。現在のウイルス感染への自粛が新しい動きを社会に見せ始めたとある。つまり、上司の決裁を得るためだけの出社という日本型仕事への疑問が浮かび上がってきたという。自粛でテレワークをすることで、家族間の濃厚接触を避けようとすると夫婦間まで希薄接触(?)に。今回の長い自粛生活が経済活動のあり方など日本の仕事環境や家庭の家族関係の改良などに結びつけば素晴らしい。大きく言えばいよいよ人間社会の活動の見直しが始まった。

自粛期間の予定表

2020-04-21 14:32:10 | 日記
「人生は山あり谷ありの登り降り」、ということはよく耳にする。英語ではこれをどのように表現するのかと調べたら、What makes life is the ups and downs.(人生を作っているものは登り降り)と日本語を英語に直しただけの文になる。表現はいろいろあるけれど、ローラーコースター現象( a roller-coaster effect )というのが簡潔で分かりやすくて面白いと僕は思っている「ヒィー」と叫んで登ったら、「もうイヤー」と悲鳴を上げて急降下。それが人生だ。
うんざりする程に気持ちを萎えさせるコロナウイルス問題は下りを意味するのかな。人生に山あり谷ありは納得できる。山があって登頂を目指して頑張ることも、うまくいかなくて谷底にまっさかさまも、自分の心の持ちようでしんどい試練を乗り越えることはできる。今回のウイルス問題は自分の力ではどうしようもない。それでも、この自粛の期間を利用して、自分の人生や生き方を考えたり、見直したりすることが唯一われわれ一人ひとりにできることだ。
僕の場合は自分の日常を書き留めたり、周りの人々の生活の様子を観察してメモっている。それだけでも少しは退屈な日々を明るく楽しくできるように思っている。予定表にやたらと目立つ「ゴミ出し」の文字は在宅生活で少しでも運動しようという意志の表れか。「どうですか?」とご機嫌伺いで声をかけてくれる近所の人達はみんなマスクを付けている。「大変ですね、この頃は」と受けてその場を大急ぎでやり過ごす。お互いマスクしている意味を忘れないようにしないと。3年前に引っ越してこられた新築の家、「いってらっしゃい」と送り出しているのは親を見送る子供たちだ。人々を観察していると、ふっと沸いたアイディアで文章が書けることが多い。自粛期間は文章練習を頑張って、どこかにユーモアが隠れたような軽妙なタッチの書き方を勉強していきたいと考えてる。

間違った確率

2020-04-17 19:22:18 | 日記
自粛要請をきっちり守って在宅を続ける毎日に早くも弱音を吐く言葉が多くなってきた。この1週間で外で人と話したのはスーパーに出かけてレジの女性と交わした一言二言のみ。お互いにマスクをつけて二人の間には透明のビニールの幕が降りている。年齢のせいで耳が少し遠くなってきたのに気づいているがこのような状況ではそれが余計に気になる。この年齢になるまで「助け合い運動」などはいろんな場面で耳にしてきたが、このような形の助け合い運動は初めてだ。つまり、3蜜を(密閉、密室、密集)避けるために人と人との距離を取ることがお互いの助け合いということだ。とにかく人との距離を注意しながらレジに並んだのである。
人けが少なくなった街中ではいろんなことが起こっている。新聞では ’コロナにかかるリスクの確率’ と ’店を休業して生きていけなくなる確率’ を比較して、ギリギリの居酒屋商売を続けるという人がいるという記事があった。どういう意味かと読み返してみたら、この人の意見は感染するかどうかわからないコロナの確率の方が低いと判断したというのである。店を開くことでコロナが拡散したらどうするの、他人のことは考えないの、店を開いても飲み客は来るの、と直接質問してみたい気がおこる。現時点での公的機関からの休業支援金が彼にとっては充分でないこともあるのだろうが、どうか冷静にもう一度大きな視野で考えて欲しいと思った。この人にとっては店が潰れるという恐怖に負けそうになっているのだろう。
でも、でも、でも、“全ての挫折には別の選択肢が存在する For every failure, there is alternative course of action.”という教訓が英語にもあるように、店は健康さえあれば立ち直らせることができる。命をなくせば終わりだ。新型コロナはあまり甘く見ない方が賢明ですよと訴えたい。

希望と失望

2020-04-14 16:07:51 | 日記
アメリカ、オハイオ州のコロンバス市の空港から高速道路270号線で西に走ると30分弱でダブリン ( Dublin ) という小さな町に着く。昔、僕が留学中に世話になった家族の子供たちの一人が住んでいる。奥さんがアイルランド人ということでこの町に越してきたという。ダブリンと言えば当然のようにアイルランドの首都を思いつく人が多いと思うが、この町はアイルランド系の人々が集まってできたのだ。アイルランド系の人なら知らない人はいないと言われる George Bernard Show ( バーナード・ショー1856—1950 )はノーベル文学賞を授与された劇作家だからである。僕はこの町を数回訪れているが、何度かショーが話題になったことがある。
なぜ今、突然 G,B ショーかと言えば、彼が残した数多くの名言の中に“希望を抱かぬ者は失望することもない ( He who has never hoped can never despair. )”というのがあって、これを利用してコロナで苦しんでいる人を励ましたいと思ったからだ。ショーは教育者で評論家でもあったので彼のコメントはちょっと立ち止まって一瞬考えなければならないようなものがたくさんある。この「希望を抱かむ者は…」の名言は「失望を味わいたくなかったら希望を捨てるな」「諦めるから失望するのだ」ということになる。人が惨めな気持ちになったり、落ち込んだりするときは、決まって暇な時間を持て余している時に起こる。考えなくてもいいようなことをさかんに考えてみたり、起ってもしないことを先取りして悩んで落ち込んでいくのである。人間の脳は時に不思議な動きをして我々を苦しめることがある。
自分の仕事や家庭の悩みなど、いろんな場面でこの名言を思い出して悩みからの脱出を試みてみると、問題を良い方向に向かって舵をとろうとする意識が芽生えてくる。今回のコロナウイルスは確かに厄介だ。でも人々の協力があれば少しでも感染の抑制につながるのではと思う。それこそ「がんばろうニッポン!」である。