学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

静かに!世界がひっくり返るから

2024-05-17 16:37:20 | 日記
 後部の窓に”Baby In Car”というスティッカーを貼っている車をよく見かける。何を意味しているのかと考えることがある。「静かにしてください」「後ろから警笛で煽らないでください」「ゆっくり走るのでどうぞお先に」などなど。要するに赤ん坊を起こさないでくださいという伝言なのだと僕は理解している。
 僕と女房のアメリカ生活の出発点は大学の夫婦寮であった。夫婦のどちらか、もしくは両方が大学に通っていて、赤ん坊がいる夫婦もいるかもしれない。夫婦寮とはそんな大学施設のアパートである。「静かに!赤ん坊を起こさないで。世界がひっくり返るから」というドアの張り紙を思い出す。うまくユーモアたっぷりに赤ん坊の存在を周りに伝える文面だと思った。先日は我が家の近くで洗濯の物干し竿などを売っている行商の小型トラックの拡声器がやかましいと大声で怒っているバギーを押すお母さんを目撃した。「子供が起きるじゃないの!」と一喝、トラックの運転手が大急ぎでボリュウムを下げたのだ。すごい!母は強し!そう言えばバギーの中の赤ん坊と母親に対する対応の仕方で周りの人の人間性が見え隠れする。電車に彼らが乗り込んできた時に、迷惑そうな表情を見せる人、ニッコリ笑顔で道を開ける人、近くの年寄りは非常に高い確率で話しかける。「今、何ヶ月?」不意を突かれた母親の方が迷惑そうな顔になる。このご時世、あまり気軽に話しかけてはいけないのだと教えられる。そんな世間の喧騒はどこ吹く風、赤ん坊はスヤスヤ、天使の歌でも聴いているのだろうか。平和とは…と頭をよぎる。

いつまでもあると思うな親と金

2024-05-14 16:16:22 | 日記
 今年は大谷翔平選手のMLBドジャース移籍と山本由伸投手の同球団への加入で、この二人が日本のマスコミに取り上げられることが多くなった。12日の母の日にちなんでか、山本選手の母への言葉が「お母さん育ててくれてありがとう。お母さんはお母さんでしっかり人生を楽しんでください」というメッセージであった。山本選手が元日本のオリックスバファローズの選手であったことから、思い出したのが同じオリックスの宮城大弥(ひろや)投手のエピソード。
 母親の礼子さんとの二人三脚の野球人生だ。彼の父親が交通事故で左腕に障害を負ってしまったことから家族の極貧の生活が始まることとなる。電気代だのガス代だの、そして水道代の支払いすらままならない厳しい状況の中で野球を続けさせてくれたのは母親の礼子さんである。少年野球の時代からつぎはぎだらけのユニフォームにボロボロのグローブ、遠征費は監督に借りながらなどという状況であったらしい。今では立派にオリックスのエース、WBCにも大谷翔平と一緒に出場して母親に恩返しができるようになり出身地沖縄の宜野湾市に寄付したり経済的な理由で野球を続けるのが困難な子供達を支援する。これこそプロ野球選手の宮城大弥の大成した姿、本当の親孝行が実現した現在の姿である。昔からある戒めの諺を思い出す…「いつまでもあると思うな親と金」。僕などは、それなりに親の面倒は見たつもりだけれど、それでもああしておけば良かった、こうしておけば、などと数えるとキリがない。

「子の巣立ち」親の愛はどこまでも

2024-05-10 16:20:19 | 日記
 先日は女房に付き添ったスーパーの入口前の休憩用ベンチでペットロスの寂しさを話す主婦二人の会話を耳にした。ペットロスの乗り越え方をスマホで調べてみると誰かに悲しみを打ち明けることが第一位に挙げられていた。分からないでもない。人に話し、可愛がっていたペットとの別れを自分で納得できるのはきっとこの方法だろうと僕も思う。僕だって子供の頃から何度もペットの死を経験して来たからだ。ただ今日の話は息子、娘ロスである。連休が開けてこの時期になると高校を卒業して他府県の大学へ入学、親元を離れていく息子や娘の話である。
 息子や娘ロスを解消するためにペットでも飼って心の空白を埋め合わせてみてはというアドバイスをする人がいる。これも分からなくはないけれど、僕には考えられないアドバイスだ。ペットと人間を一緒にするような考えは僕にはいただけない。なぜなら人間の場合は必ずどこかで親離れ、いわゆる「子の巣立ち」がなければ大変なことだ。まったく無力で親の手助けがなくては生きていけない赤ん坊の頃からの子育ての愛情を誤解して、子供達を自分の持ち物と考えてしまう親がいることは残念だとおもう。子育ての愛情は、突き詰めれば子供の独立独歩への手助けではなかったのか。子はいつかは自分の部屋を出て行って極端な言い方をすれば親の生活から抜け出していく。親もまた子離れを学ばねばならない。空を見上げていると同じ空気を吸って共に生きているのだから少しキザな言い方をすれば“子への想いは旅する距離を乗り越えていく”。(ヒー、ゾクっとするほどキザな話し!)でも、これ本当の話。

異文化の中で知る「人生とは人との出会い」

2024-05-07 16:07:19 | 日記
 大型連休終盤の関西の道路渋滞状況は明石海峡大橋の車の動きが予測の目安になるようだ。今年は5日の午後6時過ぎにUターンラッシュのピークになるだろうとの予測が出されていた。ということは昨日の連休最終日は家で日常を取り戻す日と決めている人が多いようだ。
 さて僕はと言えばもちろん遠出するような元気はない。予定通り家で庭の草抜きと読書、そして孫の勉強の手伝いを少々、という過ごし方だ。読書に関しては今年は三冊の本の読了で何か元気をもらった様な気がする。その中で僕が気にいった本は『パリでメシを食う』(川内有織、幻冬社文庫)。僕が注目したのはこの本の著者のパリでの活動だ。安定した収入を期待できる国連職員としてパリで働き始めて気がつけばノンフィクション作家に転身という彼女の経歴である。引っ越し当初、フランス語もままならない状況で自分には何が必要なのかの思索を通してたどり着いた結論は「文章書き」。なんとなく興味をそそる展開を予測させるこの人の人生にぼくが興味を持つのは当然の成り行きだ。彼女のテーマは”パリに住む日本人”、異国の地で奮闘する彼らの生き様をルポ、本にすることだ。パリに住む異文化人種に紛れてさまざまな経歴を持つ働く日本人がいる。この人達への取材を通して描く人間模様と生きざまがこの本の描く世界である。
 この本は、結婚、独立、そして女房と二人で日本からの援助なしに始めた僕の学生夫婦のアメリカ留学生活を彷彿させる。「文章書き」、他人の話を書けても自分のことは書けない不思議な仕事だということを僕は知っている。多人種都市パリで“メシを食う”が意味することとは…

「五月病」が蔓延する時節というけれど

2024-05-03 18:19:02 | 日記
 5月に入って連日の雨。この時期の雨としては冷たくて僕たち年寄りにはベストでも羽織らないと寒く感じるほどであった。さてはこれを五月雨(さみだれ)と呼ぶのかとおもったけれど五月雨とは旧暦で6月の梅雨のことを言うらしい。今日は一転素晴らしい天気、朝の太陽の暖かさで午後の天気を予想できる。きっと暑くなる。雨が上がると庭の雑草が一気にその勢いを増す。そこで見つけたのがクローバーに似た葉っぱのムラサキカタバミ(オキザリス)という野草。紫色の可愛い花を細長い茎の先端で咲かせる。周りのクローバーに似た緑鮮やかな葉とマッチしてじっと見ていても飽きない。この花は昼前に開花して夕方には閉じてしまうという性格だ。
 そこで思い切って鉢に植えて育ててみようと考えた。少し掘って根を起こしてみると小さな球根が絡みあっている。球根ならなおさら鉢に移しておけば来年も咲く。「花」という字は草冠に化けると書く。しっかり育てると花を咲かせるのが植物だ。ふと人間に当てはめた。最近はこの時節、五月病なる病にかかってしまう若者が増えているという。草冠が化けて思いがけない花が咲くように、もう一人の自分をつくって自分を観察するような第三者的な姿勢をもてばこの五月病の落ち込みを抜け出せるかも、ということを耳にしたことがある。そうだ、自分を育てるという意識をもてば思いがけない花を咲かせることが出来るかも知れない。5月という月は草木に正気を吹き込んで、本当は期待の月、精神の昂り(たかぶり)を感じる月、そんな月であるはずだ。