学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

名前は名付け時の親の心情

2023-11-28 16:10:44 | 日記
 二人の女の子が庭に蹴り込んでしまったボールを取にきた。一人の女の子が「〇〇ちゃんがメチャクチャ蹴ったから」ともう一人の女の子を指さした。〇〇ちゃんと書いたのは意味がある。(人の名前を題材にすると色々支障があることが多々ある)いわゆるキラキラネームなのである。「名は体を表す(名前というものはその中身、実質をよく表す)」という言葉がある。名前はその人の青写真、名前がその人の性格にすら影響するということを僕が高校生ぐらいの年頃の時近所の年寄り達から聞いたことが忘れられない。これが僕の子供の名付けの時にも影響して随分慎重に考えたものだ。
 ボールをめぐる単純な出来事から“名前”というものを今日は考えてみた。自分の名前がどのようにしてつけられたのかを調べてみると面白い。自分の両親がまだ若い頃の考え方や性格、そして生活の状況が見えてくることがある。僕の場合は、生まれた時がちょうど第二次世界大戦の終盤、日本では食べ物が不足していた時である。お米に困らないようにという祈りを込めて両親がお米屋さんの精米をしている様子を見ながら思いついて名前をつけたと聞いている(個人情報保護の関係で名前は伏せておく)。名前とは自分が何者かというアイデンティティ。名前はそれ自体が特別なもので、唯一無二、ユニークさの具現化されたものであると名前を書く時にはいつも考える。あの女の子、キラキラネームのおばあちゃんになった時、時代を反映した自分の名前をどのように捉えているだろうか、などと余計なお世話と言われそうな興味を覚えていた。

勤労感謝の日」、先賢に学ぶ

2023-11-24 16:28:00 | 日記
 昨日は「勤労感謝の日」、“広く働く人々の勤労に向けて感謝を示す日”という位置付けだ。働くことや仕事をすることそのものを大切な習慣であるとして捉え、皆がお互いに感謝し合う日として制定された祝日だという。退職してこの数年、勤労感謝の日が来ると自分の現役時代を振り返って仕事で楽しかったことや辛かったことなどを思い出す。働くという行為は仕事をする日々毎日の日数を数えるのではなく、一日一日が何か意味のあるものにするための自己表現に他ならない。忍耐、犠牲、が過程にはあるけれど、自分のしている仕事が好きであることが不可欠だ。寝床で満足感を味わうときは決まってしっかりと仕事をしたと思える日の夜だった。
 発明王エジソンの働くということの意味は“もう一度やってみる”こと。失敗ばかりを繰り返しながら、もう一度工夫を加えてやってみる、エジソンの発明家たる所以である。『昆虫記』のファーブルは毎日一心不乱に働き続ける昆虫たちを観察しながら“1分間さえ休む暇のない時ほど幸せなことはない。働くこと、これだけが幸せである”などという名言を残している。
 思い返すに、自分の一生の仕事の成果や満足度とは偶然の産物ではない。一生懸命になった後の産物が成果であり、成功と呼べるものだ。「努力」という名の街角を曲がったら、何があるかはわからない。何かすごいことがあるかもしれないし、何もないかもしれない。でも「一歩一歩前に向かって歩いていたら、ある日後ろを振り返ってみると自分が山を登ったのだと実感する時が来る」と先人達が言っている。遅ればせながら僕もそろそろ後ろを振り返ってみようかな。

葛藤、相反する感情の絡み合い

2023-11-21 16:17:02 | 日記
 久しぶりに出かけたJRおおさか東線の電車の対面4人掛け優先ボックス席。時間は午前10時過ぎ、大阪駅行き電車は10人ぐらいの乗客が立っている程度の混み具合。気がつけば僕だけが座っていた優先座席は次の駅で全て埋った。そして電車がまたその次の駅に停車して老婦人(僕と同い年程度と想像する)が乗ってきた。座席の背もたれについている輪っかを握ってじっと立って身体を支えている。周りの三人を見回すと、一人は20歳前後の女性、一人は30歳代の女性、もう一人は長いごま塩混じりの髭を蓄えた50代の男性だ。驚いたことに皆目をつむっているではないか。つい先ほどまで、全員がスマホをいじっていたのに。僕の心の中で変な葛藤が始まった。
 自分が立つべきか、いや僕はいくら若く見えても白髪のれっきとした80歳の老人だ。ここはしばらく様子を見ようと思ったものの落ち着かない。他の3人は時々目を開けるのに全く席を譲る気配がない。他人に「このお婆さんに席を譲ってあげてくださいませんか」とは言いにくい。この老婦人の手を見るとその皺具合や手の甲の老人シミ、やっぱりここは自分が立つべきだ。周りで眠りを装う3人に当てつけになるような行動はとりたくない。ついに思い切った。電車が次の駅に滑り込むのを見計らって「どうぞ」と手で合図した。老婦人が何も言わずに会釈して僕の席に座るのを見届けて、僕は電車を降りてしまったのだ。降り立った駅のホームに差し込む朝日が暖かい。僕は優先座席には若者も座って良いと思っている。でも老人などが乗り込んできた時は席を譲ってあげる素直さが欲しい。どうやってこれを人に伝えればいいのかとずっと考えていた。

行き詰まった時は上を見よ

2023-11-17 16:14:54 | 日記
 昨日の話。早朝は厳しい冬の予感があったが、朝も9時を過ぎると素晴らしい天気が楽しめた。我が家の前で乳母車に赤ちゃんを乗せて散歩する若いお母さんが、通りすがりのどこかのおばちゃんと話している。「かわいいねぇ。目が真っ黒!」「ありがとうございます」とお母さんの方は嬉しそう。これが本来の赤ん坊や乳幼児と大人の関係だ。自力では何もできない無力だが純粋な小さい人間に振り回されながら大人は幸せだ。そうなんだ、大人は無力な赤ん坊を自分が支配しているように見えるけれど、本当は赤ん坊に大人が支配されている、それが大人は嬉しいのだとふと考えた。テレビ、新聞で報道される幼児虐待のニュースに耳も目も塞ぎながら虐待などをする人は多分この感情が欠如しているのではないかなどと考えていた。
 自宅前を学校に通う小中学生を見ていると彼らの人生の行く手が開けていることを祈らざるを得ない。少なくとも学校に通えるまで大きくなったのだから。そんなことを思っていたら、今度は新聞に小中学校の中でのいじめの話が取り上げられている。統計的にはなんと全国で60万件を超えているという。人はみんな違うことを認め合いながら共存することを教えなければとは思うけれど、世界で起こっている戦争を考えると、大人は偉そうなことを言える分際ではない。それでも人は後ろ向きには生きれない。未来があるのは前を向いて進む時だ。“前を向いても後ろを振り返っても二進も三進(にっちもさっち)もいかない時は上を向けばひょっとしたら答えが見つかるかもしれないよ”とアドバイスしてあげることしかできない苛立ちを覚える今日この頃だ。

長寿とは人の自分への記憶年月の長さ

2023-11-14 16:31:11 | 日記
 最近たて続けに88歳で社会で活躍する女性のことを新聞で知った。一人はプログラマーの若宮正子さん、そしてもう一人は主に沖縄を中心に活躍するジャズシンガー、齋藤悌子さん。二人とも米寿の元気者だ。日本では長寿のお祝いの年齢が決められていて、80歳を超えると順に傘寿、半寿、米寿、数え年90歳の卒寿、そして数え99歳で白寿、100歳となると百寿と続く。(それぞれのお祝いの名前の由来は今回は端よることとする)
 人生は長寿かどうかではなくその質が問題なのだ、と言ったのはあのマーチン・L.・キング牧師。
人生の質とはどんなものを言うのだろうか。社会への貢献度など色々な度量衡はあるだろうが、一般の我々にとっては、簡単に言えば仕事があって、心配事やストレスがなく、不安もないことを言うのだと思う。あ、それから健康も大事だ。仕事と家庭のバランス(身体的な健康と精神的に健康な心)を手に入れた人が長寿を楽しむことができると言う人もいる。人は一般に長寿への憧れがあるけれど、それは我々が生活してきた文化的背景が作用しているということは言えると思う。そして我々はまた死への恐れを持っているとも言える。人は生まれてくると同時に死への時計が時間を刻む。僕は歳をとるに従って、何歳まで生きられるか、などと考える前に自分が生を終えた時、人が自分をどのように覚えてくれているかが問題で、もしも長く覚えてくれていて時々思い出してくれるとしたら、それが長寿というものではないだろうかなどと考えてみたりする。自分の周りにいる人々と元気で楽しく暮らせたらいいと思うようになってきた。