学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

未来はわからないから面白い

2023-02-28 17:22:52 | 日記
 先日、僕の兄弟(80歳後半の姉を含めて)三人で食事をする機会があった。三人が仲良く暮らせていることには満足している。それはそれでいいとして、待合場所のレストランに向かう途中、同じ電車に乗り合わせたご婦人がいた。優先座席に座った僕の隣に座った彼女、ハンドバックの中から取り出したのはカバーのしていない文庫本。「占」「古典」というタイトルだけがチラッと読めた。本を目から15センチほどに近づけて僕が下車するまでの15分間読み耽っていたのだ。身体は少し痩せ過ぎているような小さなご婦人だ。歳の頃は60代初期か。僕はこの人のことが何故か頭から離れなくて、夜中に夢を見たほどだ。
 若い頃、占いか何かの力で将来を見てもらおう…などと冗談半分に友達に誘われて京都ホテルの近くで将来を占ってもらったことがある。ぼくは大器晩成型の人間だ、と言われたことだけを覚えている。「あなたは何をしたいの?わかりません。何というか、私はわからないと言うことが好きなのです What are you going to do? I don’t know. I kind of love not knowing. 」…これはアメリカの俳優ジェニファ・アニストン(Jennifer Aniston)の言葉である。彼女は映画『マーリー世界一おバカな犬が教えてくれたこと』に出演していて僕はBSプレミアムで見て覚えている。「もし〜していれば」と思うことは人生には幾度かある。ちょっとした日常の選択が自分の未来を決したという類のことはよく耳にする。昔に時間を巻き戻してやり直しはできない。でも、だからこそ人生は面白い。わからない偶然の人生こそ価値のあるものなのかも知れないのだ。電車に乗り合わせたあのご婦人、このブログを読むことはないのだなぁ。

大工仕事にパーツの意味が見えてくる

2023-02-24 17:03:09 | 日記
 東大阪市で不動産が動き始めたのだろうか。最近は大小様々な古い家が壊されて、更地になって、気がつけば新しい家が建っている。僕の家の近くでも昨年の11月頃から古い家が壊されて、気がつけば更地になって、今では新住人の家の基礎部分が出来上がった。その家の部屋の配置などを想像することができるようになってきた。僕は特に覗き見や詮索好き的な趣味があるわけではないが、完成した姿を想像したりしていると好奇心が湧いてくる。思えば子供の頃から僕は大工さんの仕事を見ていて飽きたことがなかったことを思い出した。
 昔は家の改築などで庭に運び込まれた材木への大工さんのカンナの動きが大好きで、カンナから吐き出されるように浮き上がる薄い木屑(chip)に興味があってよくそれを使って遊んでいたものだ。それから、大工さんに釘の打ち方を教わったりして長い時間遊んだ。それでも大きくなったら大工になりたいと思ったことは一度もない。一番大きな理由は力仕事に自信がなかったことだ。大工仕事に興味を持ったのは仕事の一つひとつが形となって、気が付けば家が建つという事実だ。カッコよく表現すると、“全ては全体をつくるパーツから成る Everything must be composed of parts that make a whole.” 。大工さんの仕事では親方を模倣しながら学ぶことで自分も独り立ちできる日がやってくるという。書道、茶道、華道、その他色々、最初は観察から。僕の街歩き、周りを観察することから第一歩が始まる。「学びのプラスあるふぁ」の発想が出来上がった当時のことを思い出した。

ショッピングを楽しむ人は「うつ」にならない(?)

2023-02-21 16:36:24 | 日記
 昨日は機会があって日航ホテル大阪のロビーラウンジ・カフェでお茶をする機会があった。いつもの通り、ウオッチング(観察)開始だ。フロントを通り過ぎて右手にカフェがある。入口を入ったところにある最初のテーブルについていたのは三人のアメリカ人らしい男性達。コーヒやコーラをテーブルに、なんとカードゲームに興じているのである。どうやら奥さん達の女性軍は買い物に出掛けて男性軍はカフェで時間潰しということらしい。日本まで来て暇を持て余してゲームはないだろう、と思いながら男性と女性の興味の違いを考えてみた。
 何年も前、アメリカに学生を連れて行った時の現地モール見学のスケジュールでは女子は嬉々として買い物に走り回っていたことを思い出した。男子はフードコートで食べ物あさり。そういえば、アメリカに住んでいた時になぜ女性は買い物が好きなのか、といういつの世にも変わらない素朴な疑問を語り合って大笑いしたことがあった。「男性は自分の必要なものを手に入れるために買い物に行く。女性は自分は何が必要なのかを探すために買い物に行く」という面白い結論に到達して一件落着。女性はその時その時代の流行を知るために買い物に出かけるから、クローゼットの衣服の半分は不要品だ、という者までいてまた大笑い。とにかくビール片手に笑いの連続、でも女性を軽蔑しているわけでもない単なるお酒のおつまみのような会話であった。
 断捨離中の僕が「買い物とはいつかは捨てられる運命にある物を買うこと」、などと言ったら、ショッピング熱に取り憑かれている女性達から総スカンを食うだろう。そんなことは口が裂けても言わないけれど。

生態系がうごめいている

2023-02-17 16:32:19 | 日記
 立春を過ぎれば三寒四温、寒い日と比較的暖かい日が数日づつ繰り返される。春がそろそろ待ち遠しくなってくる時節だ。時々、ふらっと散歩に出かけたりすると木々が各々のペースで蕾(つぼみ)を成長させながら春に備えていることがわかる。自然の営みは人間の知らぬところで確実に季節に備えていて、本当にすごいと感心する。次元が違うかもしれないが、数週間前に庭の片隅にネコのフンを発見した。ゴミ収集の日までと放置して紙袋に入れて捨てるのを忘れているうちに少しづつ何者かに分解されてほとんど土の状態になっていた。
 ふと、思い出したのが先日淀川の河口で死んだと伝えられたクジラの”淀ちゃん”のこと。和歌山県の沖合の深海に向けて沈められたと新聞が報じていた。その記事を積み重ねた新聞の古紙の束から必死になって探し出したら2月13日の記事だった。それでも淀ちゃん死亡から1ヶ月が経っていたという。深海の生態系などを研究している人の話によると、クジラの死骸は深海に生活する生物にとっては『2,000年分の食べもの』にあたるという。骨の分解まで含めるとそんなに長い時間をかけていろんな細菌や生物が作用を及ぼすのだ。自然というものは本当に無駄がない。「地球とは我々皆が共有しているものだ (The Earth is what we all have in common.)」と言ったのは農夫で作家のウエンデル・ベリー(Wendell Berry)。僕の留学した大学からそれほど遠くはないケンタッキー州の人で、今でいうSDGsを主張していた人だと聞いていた。地球に生きている人間、僕を含めた動植物や微生物、ずっと以前に生きていた生物(化石)を思う瞬間だった。

他人の過ちを受け入れる寛容性

2023-02-14 17:48:26 | 日記
 スマホの“ながら操作”で起きる事故が散歩中の僕の数メートル後ろで起きた。普段は静かな古い住宅街に「危ない!」の悲鳴のような叫びは通りすがりのおばちゃんが発した叫び。歩きながらスマホに夢中の若い二十才頃の女性と僕の横を自転車に乗ってスマホを操作しながら数秒前に通り過ぎた30才過ぎの男性の“ほぼ”追突事故。“ほぼ”と言ったのは完全な追突は避けられたようだからだ。事故寸前に男性は自転車を放り出して飛び退いて、女性はポケッとした顔で固まっている。自転車が大きな音を立てて近くの家の塀にぶつかった。お互いに「すみません」を何度も繰り返して口論もなくことなきを得た。怪我がなかったから喧嘩にもならずに終わったのだろうか。知り合いでもなさそうな二人、同じコミュニティの住人同士だからの寛容性のなせる技なのか。それとも二人のどこかに後ろめたさが潜んでいたからだろうか。ま、「よかった!」ピース!
  かつて政治学だったっけ、で学んだ平和について…“平和の始まりは周りの人に対する寛容と敬意から Peace begins with tolerance and respect for everyone.” 英語のピース(peace )という単語は「平和、平穏、安心、治安」いろんな意味を含んだ言葉だ。文の前後関係でいろんな意味に日本語に訳すことができる。その時々、状況に応じてそれぞれ対応する単語が存在する日本語はやっぱりすごい言葉だと感心する。今日のようなブログは「日本のような人口密度の高い国の社会では寛容(tolerance)や赦すこと(forgiveness) とは支払う税金のようなもの」、な〜んてカッコ良く締めるとするか。