学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

居眠り

2020-03-31 19:19:04 | 日記
『居眠りは年寄りの自然』と題された黒井千次さんの小随筆を新聞で読んだ。最近の僕が「年寄りの特権」と呼んでいる”居眠り”についてさすが大作家、見事に表現されている。「食事をすれば眠くなり、テレビをつけては居心地の良いと自分が思う椅子の中で居眠りの世界へ…」と年寄りの日常が書かれている。特にこの頃のように不要不急の外出の自粛を云々されている時には、それを守って自粛中の僕の日常が覗き見されているようにすら感じさせる書き方である。
黒井氏は「80余年も生きてきたのだぞ——その間に心臓は不規則に打つ事はあっても、一度も止まった事はないのだぞ——疲れるのは仕方がないではないか」と叫んでいる。だから居眠りは自然で、生きていることの表現なのだと。居眠りの背後には通り過ぎた目には見えない個人の膨大な年月や出来事など他人には分からない背景が隠されているのである。僕もまた若かりし頃のさまざまなぼくの冒険の夢を見ながらしばしウトウトと居眠りを貪るのである。
さて、年寄りとは違って小中高校生のストレスは飛び跳ねて活動できないことに起因している種のものだ。彼らは昼寝などしている暇はない。とにかく身体を動かしていたいのだ。テレビのニュースを見ているとなんとも諦めに近い感情を抱くほどこの自粛要請を無視しているのは特に高校生以上の若者だ。不要不急の外出自粛などどこ吹く風、「街を見てみたかった」、「気にはしていたがやっぱり友達と会いたかった」、「ストレスを発散したかった」、などとインタビューに答えているのである。不要不急の意味が全く理解できていないのだ。この種の人達には「少しの間辛抱してくれないかな」、「我慢の連続が人生と言えるかもしれないのだよ」、と語りかけてみたいと思う。Please be patient for a while! (しばらくの間、辛抱してくれないかな)。本当は自粛を叫ばれている時にこそできることがあるのだ。若者に昼寝をしろというのではない。黒井氏や僕がしているように昼寝に若かりし頃を想うように、これから先の自分の姿を考える重要な時であることを認識してほしいなと思うのである。

外出自粛の過ごし方

2020-03-27 16:50:43 | 日記
冬籠りをしていた虫達が地上に這い出てくるのは大体3月5日の啓蟄(けいちつ)と呼ばれる日であるという。新型コロナウイルスで人間は世界中で蟄居(ちっきょ)状態である。つまり虫が地中にこもっている状態のことを言う。春の足音が元気よく人々を外に駆り出そうと誘っているのに家にこもっていなければならない今日この頃は全く異常としか言いようがない。とうとうオリンピックまで延期になってしまっった。
何か楽しい事はできないかと考えたのが川柳作り。川柳はどこかに軽妙なユーモアがなければならない。ニャリとするユーモアだ。僕は時々そんな川柳作りで自分時間を楽しむことがある。『トムソーヤの冒険』や『ハックルベリー・フィンの冒険』や皮肉屋で有名なアメリカの作家マーク・トウェイン(Mark Twain) は “ユーモアは 人を気楽にしてくれる(Humor puts people at ease.)” と言った。今日の川柳のお題を「マスク」ということで考えてみた。暇人だなーなどと言わないでくださいね。
人は相手の口元を見ながら、目を見ながら日常の会話を楽しむのが通常だ。しかし、“アイコンタクト(目の会話)マスクのお陰で上手くなり”という状況が続いている。
“難聴をマスクの精にする高齢者”ーーー歳とともに耳が聞こえにくくなる。テレビの音も大きくなる。補聴器をつけるのは嫌だと見栄を張るのが高齢者の傾向だ。
“マスクしてゴム手袋で手を洗う”ーーー実際に見た光景。胃のポリープを取るために入院していた女房の見舞いでトイレに入ったときに出会ったおじさんが本当にこれをやっていたのだ。
“鼻を出しマスクの意味を語る人”ーーー鼻出しマスクは感染防止のためには意味がないと言われている。それでも鼻出しで胸を張って歩いている人のなんと多いことだろう。

本当に必要なものとは

2020-03-24 17:47:13 | 日記
ウイリアム・ブレイク(William Blake)はイギリスの詩人で画家などといろんな才能を持っていたけれど、生前はあまり受け入れられなかった人である。別にブレイクの紹介をしようとしているのではないので興味のある人は現代の便利機器、スマホで検索、調べてみて欲しい。ブレイクがどう言う状況の中でこの名言を残したのかは忘れたけれど僕が留学中にイギリス文学の授業で学んだ次のような文である。
“人は「充分」であることを理解することはない、何が「充分」以上であるかに気づかない限り You never know what is enough unless you know what is more than enough.” 何のこっちゃ??? 日本の「吾唯足知(われただたるをしる)」に通ずる文だろう。
不要不急の外出を控えましょうと言うことで、我慢して家にいて時間の利用を工夫している人がいるかと思うと、感染など自分には関係ないとばかりに人出の少ない街に出かける人もいる。他人への配慮のかけた利己主義的な考え方といえるだろう。いろんな催しや劇場、飲食店が閉鎖している現在の状況は外に出れないというモヤモヤの中で、ウイリアム・ブレイクの“充分以上の物”という名言の箇所を考える機会であるような気がする。つまり我々は充分以上のもの、必要以上のものを享受して暮らしているのかもしれない。自由が制限されるとなんとも表現のし難い閉塞感、ストレスを感じる事からこれがわかる。
女房が胃のポリープの除去手術で入院していた病院から今朝、晴れて退院した。良性のポリープで
あることが判明したけれど、病院の狭い部屋に閉じ込められた2週間弱の日々だった。家族の人間が入院などすると健康の重要性を思はざるを得なくなる。健康であることの意味を考えると同時に自由だの自分の生活のあり様などを再考させられる。充分以上のもの、つまり最低限というのか本当に必要なものは健康や自由ということなのだろうか。 

コロナの閉塞感

2020-03-20 18:15:31 | 日記
大阪の昨日の最高気温は22.0度。昼過ぎからどんどん気温が上昇して午後3時頃には気分が悪くなるほどの暑さになっていた。急な気温の上昇で血管が開いて起こる現象なのだろう。自分の周りに目を転じてみると草木が急に芽をふき始めたのに気づく。例年の春の訪れならば本当に気分の高揚でウキウキする時期なのである。ところが…
コロナウイルスの拡散に振り回されて人が出会うと必ずと言っていいほどこの話が持ち上がる。マスク、クシャミ、飛沫、など今日のお彼岸にまで影響してなぜかお参りしている人がまばらであるように思う。道端に捨てられているものと言えばタバコの吸殻やお菓子の包紙と思っていたら、なんとマスクがあちらこちらに捨てているのである。使い捨てのマスクとは言うものの、自分の家に持ち帰らずに道中で捨てる人が増えているのは困ったものだ。
不要不急の外出を控えようと言うことで、1日で外の空気を吸ったのは門扉のそばの郵便受けに新聞を撮りに行った時だけと言って笑っていた人もいた。今朝の新聞では大阪と兵庫の往来の自粛まで取り上げられている(本当なの?大阪も特に兵庫県は日本海側も含めるとかなりの広範囲だよ。大阪梅田と神戸の三ノ宮界隈の話ではないの?)ま、感染拡散を抑えるためにはある程度の効果はあるのだろうが、この自粛の要望は人々にとってはかなり行動が窮屈になることは当然である。大阪と兵庫の神戸などとは仕事を含めてかなり一体化された地域で、特にこの三連休は若い人々を中心にデイトや観光など予定をしていた人がたくさんいると考えられる。今日に予定されていたプロ野球の開幕も中止されて社会にかなりの閉塞感が出てきた。いつになったら大手を振って外出できるようになるのだろう。それまで、なんとか自分を見直したり、仕事の段取りを考えたり、家族のことを考えたり、時間利用をリセットしてプラス思考で乗り切ることを考えましょうね。

在庫チェック

2020-03-17 19:38:05 | 日記
それにしてもコロナウイルスの拡散がジワジワと世界に広がるさまはまさにパンデミック(世界感染拡散)と呼ぶにふさわしくなってきた。長引く学校の休みに子供も親もストレスの蓄積が顕著になってきたと言う。無駄な外出や外での遊びを禁止されている子供も多く、家の中だけの行動では当然のように運動不足に陥る。トイレットペーパーが無いに始まって、皆さんの努力の甲斐もなく、あれがないこれがないと街の中でも不満が蓄積されて嫌なムードが溢れている。
そんな状況の中で、なんと女房が入院することになった。胃の中にポリープが見つかって、そこから滲み出るように少量の血液が出ることで貧血を起こしたのだ。輸血などのおかげて本人は病院の中では元気なように見える。あとはポリープを除去する手術を我慢しなければならない。
コロナウイルスの大騒動のおかげで病院は大変である。入り口には消毒のアルコール液が置かれていて、手の殺菌やマスク装着のお願いの注意書き、入院患者への面会は親族に限るだの各階のエレベーターを出ると小さな台の上に体温を測るための体温計などが置かれていて面会者は自分の体温を報告しなければならない。各部屋へ行くためには関所を通らなければならないのだ。
女房が入院したことで、僕は自分の三食を考えなければならない羽目になった。手元にあるもので、自分のできることでこの状況を克服しなければならい。英語には次のような表現があることを思い出した。“Take inventory of what you have, and then make the most of it. (手元にあるものをチェックしてそれを最大限に利用すること)” inventory とは在庫、その目録、などの意味だが、自分で食べる都合をつけることは、まさに冷蔵庫の在庫をチェックする事から始まる。
今回の学びは、「〜が無い」を繰り返していると精神的に落ち込んでしまうことは明白である。食べることに限らず何事も、自分のできること、自分の持っているもの、を最大限生かして工夫すると言う心の切り替えがかなりのストレスを解消してくれるというプラス思考だ。