学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

除夜の鐘

2021-12-31 19:52:51 | 日記
 とうとう大晦日。夜12時に響く除夜の鐘を騒音で迷惑だという人がいるという。どこかに誤解というか本当の意味を知らない人がいることが残念だ。僕はといえば大晦日の夜に鐘の音を聴けることは本当に幸せだと毎年思っている。除夜の鐘の意味はいろんな説があるらしいけれど仏様の音や声を連想させるものとして耳を傾けることで苦から逃れ悟りに至る功徳があるとされていることに注目するべきだと僕は思っている。だから騒音だの迷惑などという人にはじっと聴き入る心を持って欲しいと思っている。
 除夜の鐘には世の中の幸せを願って梵鐘(ぼんしょう)をつき清浄な音として広がっていくという深い意味がある。梵(ぼん)はサンスクリットの神聖、清浄が語源だということを学んだ。今年もいろんなことがあった一年であった。振り返ってみればきっとどんな人にも嫌なことも沢山あった一年でもあったに違いない。しかし視点を変えて今自分がそれらのことをふりかえることができているということは、今日を元気に生きているということを意味していてありがといことだと理解する姿勢が重要なのだと思う。
 夜、12時ごろに外に出てみよう。マンションに住んでいる人はベランダに出てみよう。冷たい夜の空気を震わせながら遠くから「ゴ〜〜ん」「ボ〜〜ん」と響く音に自分が生きていることに感謝する心を感じとれたら明日から始まる新年に希望やワクワク感が芽生えることだと思う。
                              みなさんどうぞ良いお年を…

今年の漢字「金」に思う

2021-12-28 17:11:15 | 日記
 気忙しい(きぜわしい)と言う言葉がぴったりの年末に突入だ。年末年始の行事のための買い物で人々がレジを前に行列を作っている農協で年末の墓参り用の仏花を買ってひと息ついた。僕の住む東大阪では全国高校ラグビー大会が昨日始まった。ラグビーの甲子園と言われる花園ラグビー場から冷たい風に乗ってレフリーの吹くホイッスルや選手同士のぶつかる雄叫びのような声が家まで聞こえてきてまた年末が巡ってきたことをさらに身近に実感する。
 先日いただいたお歳暮は大吟醸と金文字で書かれた日本酒。お正月に関わるものに金文字が多いのには「金」にはお祝い事を連想させる力がある。今年の漢字に2016年以来二度目の「金」が選ばれた。2016年の「金」はリオ五輪、そして政治と金に揺れた年だったという。僕が「金」から連想するものが、豊臣秀吉、巨万の富、埋蔵金、経済力、などなどでそれほど崇高な意味の単語とは結びつかない。それでも「金」が二回も選ばれたということはこの一字から多くの人がオリンピックを連想したからなのだろう。コロナ禍のオリンピックでの選手たちの活躍で金メダル獲得数が大幅に増えて日本人の活躍に元気をもらった人々が多かったと言うのがその理由と言う。調べてみると2位が「輪」(10,304票)、3位が「楽」であった。僕の予想の「輪」は2位となったが一位の「金」との差はなんと180票というから本当に僅差であった。人々が輪を作って協力して成功させたオリンピックだから「輪」が一位だった方が夢があると僕は思った。コロナ禍の五輪の成功は周りの人達の協力や努力の輪があってこその成功であると信じている。それからメダルは金だけではない。何色であれメダルを獲った選手たちは確かに元気を我々に与えてくれた。昨日始まった高校ラグビー大会は防具をつけないで体同士をぶつけ合う競技だ。僕が大好きな理由は一にも二にもみんなの協力、輪が強調されているからだ。「輪」とはやっぱり “ひとりはみんなのために、みんなは一人のために” である。

笑う門には福来る

2021-12-24 17:04:48 | 日記
 クリスマスイブというといつも思い出す話がある。まだ大学で教えていた現役のことだから10年以上も前のことだ。或る大阪の一流ホテルでの友人数人との忘年会で耳にした話である。クリスマスイブの夜はホテルが若者のカップルで満室になるという。イブのロマンティックな雰囲気に飲まれてそんな現象が起こるのだ。男女関係がなんとなく軽薄になっている傾向にふと寂しさを覚えるとともに時代が変わってきたのだと意識させられた。(そんなに深刻に考えるな…)
 クリスマスのお祭りはキリスト教では人が「寛大 generous」になるときだ。日頃は自分の事ばかり考えている我々が友人の有り難さを感じたり困っている人を助けたり、自分以外の人達に思いを馳せることを意識するのが本来の姿だ。クリスマスが商業主義に振り回されて気が付けば本当に大切なものを忘れて興味本位に走っているのが先の若者の傾向をはじめ現代の我々だ。
 クリスマスが終わると各家庭ではいよいよ新年への準備に忙しくなる。コロナで右往左往した今年、来年こそは良い年になるようにと僕の住む近くの枚岡神社(ひらおかじんじゃ)では笑いの神事“注連縄掛神事(しめかけしんじ)が昨日行われた。人々が無理矢理にでも大声で笑っているうちに本当に楽しくおかしくなってくる。天照大神を天の岩戸から誘い出したという例の神話にちなんだ行事だといわれている。コロナ感染防止を考えながら “笑” と書かれたマスクをつけて三百人余りの人々がこの神事に参加したという。誰かに笑いかけられて心が晴れたり笑いが生まれたりすることはよくあること、でも自ら自分や周りの人たちに笑いかけてみることで社会が世界が微笑みを返してきてくれるかもしれない。この神事にはそんなメッセージが隠されているような気がする。しんどい事、嫌なことは笑い飛ばそう。笑う門には福来る。

擬態語や擬音語

2021-12-21 17:53:37 | 日記
 御多分に洩れず夜のトイレの回数がどうしても二回を数えるようになった。歳をとってくるとほとんどの人に起こる現象であるという。土曜日の夜、つまりは日曜日の朝がた5時前に二度目のトイレにベットを離れた。トイレが異常に明るいことに気がついた。なんとトイレの西の窓からの月明かりなのだ。窓を開けてみると満月が西の空に煌々(こうこう)と輝いているのだ。深々(しんしん)と冷え込んで静まり返った冬の早朝の姿だ。朝方に西の空に満月を見たのは生まれて初めての経験だ。窓を開けると寒気が身に沁みる。“深々”や“煌々”は感覚的な印象を言葉で表現した擬態語と呼ばれるものだ。
 表現のし難いこのひっそりと音のない静けさと真逆なのが騒々しいというガヤガヤ、ワイワイと言う擬音語だ。なぜ先日の朝がたの西の空の月明かりが騒音の代表の擬音語と結びついたかというと、翌日にやかましく騒ぎ立てる忘年会はスルーという人の話を聞いたからだ。なんと一般にコロナの制限が解かれ始めて大歓迎と言われる忘年会が、一方でコロナのおかげで忘年会が中止などとなって救われているという人達が大勢いるという事実だ。特に職場の飲み会や忘年会は不要などと否定的な意見が大勢を占めているという傾向があるという。あいかわらず女性からのお酌を喜ぶ職場忘年会の男性上司の話やお酒の席で無礼講と言いながらそうではない実態にかつての男社会の姿が浮き彫りにされる。コロナのおかげで人と人のコミュニケーヨンが阻害されマスクが人の表情を奪って人間関係に深刻な影響を与えたと言われて久しい。人と人がリラックスして話せる場や機会はやっぱり必要だ。皆が嫌な思いをせずに楽しく過ごせる工夫された飲み会やコミュニケーションを大事にした生活様式が早く戻ってきて欲しい。

古城はひとり何偲ぶ

2021-12-17 16:52:20 | 日記
 大阪城天守閣復興90周年を記念したテーマ展「豊臣時代」が19日に終わるのを前に久しぶりに大阪城に足を向けた。1583年の築城から歴史に有名な大阪夏の陣で豊臣家が滅亡するまでの館蔵品が展示されている興味深い展示会だ。平日とはいえちょうど良い人出で賑わっていた。小学生の時以来という天守閣まで頑張って登った。大阪が一望されてこの街の発展の状況が手にとるように楽しめる。一人で見学を楽しんでいる地方からのお年寄りに突然話しかけられた。(ありがたいことに若く見えると言ってもらえる僕もそれなりの年寄りだ)
 「昔の人はすごいことをやりますね」「どのようにして大きな石を積み上げたのかがわかりませんな」…その通り、石というか大きな岩を船で運んでコロの上に乗せて動かしたという図は展示されたり動画で説明はあるけれど石垣高く積み上げる方法などは全くわからない。重機のない時代、軽々と持ち上げられる大きさの岩や石ではない。石積みの型式などの説明はあるけれど積み上げ方はスマホで調べても出てこない。いつもなんとなく釈然としない思いを抱く。美しい曲線を描きながら積み上げられた石垣にいつも圧倒されてじっと眺めて昔に思いを馳せる。昔の人はどのようにして積み上げていったのだろう。三橋美智也が唄った『古城』という歌がある。“松風騒ぐ丘の上 古城よ独り何偲ぶ 栄華の夢を胸に追い 嗚呼、仰げば侘びし天守閣:(作詞)高橋掬太郎(きくたろう)『酒は涙か溜息か』の作詞でよく知られている”。昔の人は偉い。城の遺跡を訪れるたびに見る美しい石垣の姿はまさに“知恵は力にまさる”である。知恵は貯めていてはダメ生きているうちに使うもの。古人に教えられる。