学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

平成最後の日

2019-04-30 20:26:02 | 日記

昨日はNHK総合テレビでは朝から天皇と皇后の特集である。『天皇、運命の物語』と題されて平成の時代を振り返っていた。敗戦国の皇太子としての世界デビューから始まった平成天皇の歩みを振り返るものであった。
〝象徴としての果てない道“と言う表現で話されたこの天皇の歩みは象徴の意味を問う長い旅路を想わざるを得なかった。陛下の人生85年の歩みである。彼の旅路の中では沖縄を始めとする戦没者慰霊の旅路が僕には一番心に残っている。戦争とその後始末という大きな使命を背中に背負って今日まで生きてこられたことに対して心からの畏敬の念を覚える。更にまた阪神大震災はじめ東北の大震災や津波、そして両膝をついて被災者と話し、皆の健康を気遣かわれた旅が重なって、この天皇の運命的な位置づけを考えざるをえなかった。
元号というものがあるためにひとつの時代の区切りという意味でノスタルジックな面と、これからの未来に対する期待感を同時に味わうことが出来る。(日頃は僕の場合、西暦で一年を考えて生きているようにおもうのだが)。
テレビ放送の番組にあまりにも頻繁に使われる「平成最後の…」という言葉の軽々しい使い方に時として不愉快に感ずることがあるし、また「平成最後のたこ焼き」などと書かれた看板などには呆れてしまう。平成最後の“巨人阪神戦”などと盛んに連呼するプロ野球のアナウンサーにはうんざりである。(阪神が完膚なきまでに打ちのめされたからよけいにうんざりである,,,笑)
さて今日は本当に平成最後の日である。テレビを見ながら平成を振り返ると、自分の人生の歩みと重ね合わせて実にいろんなことがつい昨日のことのように思い出される。明仁天皇の最後のお言葉は世界や日本の国民に対して「安めいと幸せを祈る」というものであった。「天皇の象徴」の意味を問い続けた彼の人生が表現されているような気がしてならない。
“時代が変わり、我々も共に変わらねばならない Times change and we must change with them.)”それでも歳月は速やかに流れつづけていくのである。

スマホの自撮り

2019-04-26 18:18:45 | 日記

カメラを使うことが少なくなった。特に僕が持っている一眼レフのカメラなどは重くて荷物にもなるので近頃は使うことが少なくなった。仕上がった写真を比べてみると高質レンズの一眼レフのカメラとスマホの写真とは深みなど違うと言われた。でも、実際に撮ってみるとスマホの写真もいろんな編集ができて工夫によっては一眼レフの写真の出来具合となんら見劣りがしない。多分、芸術的な写真を期待しているのなら一眼レフを使いこなせた場合はすばらしい写真が撮れるのだろうとはおもうが。
ところで最近挑戦しているスマホによる自撮りに苦労している。いくら頑張っても、スマホを睨(にら)んでいる目つきから解放されない。やっと気づいた。自撮り棒というのがあって‘他人の迷惑になる場合があるので使用には注意を’と言われているのに使い続ける人がいる。その理由がやっと理解できた。カメラであるスマホを出来る限り自分から遠ざけることでこの睨みの表情から解放されるのである。つまりスマホを出来る限り被写体である自分から遠くに離すために人は自撮り棒を利用しているのである(「そんなことも知らないの」という声が聞こえてくる)。おもいっきり腕を伸ばしてシャッターを切るコツを覚えればうまく行く。やっと少し表情にスマイルのある写真をとることができるようになった。後は編集して自分の思う構図に調整すればいいのである。
スマイルということで思い出した。英語に“A smile is the best make-up ever invented.
スマイルとは今までに発明された最良の化粧(法)である” というのがある。女性は化粧することに幸福感を味わうとよく耳にする。本当は軽い化粧と微笑み、つまりスマイルを鏡の中で工夫すれば他人が見て‘魅力ある女性’を作ることが出来るのではと思うことがある。(先日入った心斎橋の喫茶店。漫画「妖怪人間ベム」に出てくるベラのような赤い紅と真っ黒の髪のウエイトレスさんの化粧をみてそんな思いが頭をよぎった)。今流行りの化粧なのかもしれないので批判めいたコメントをお許しください。

自分の隠れた才能の発見法

2019-04-23 19:44:12 | 日記

90歳を超えてまだ挑戦しようという人がいる。奈良県在住の‘ちぎり絵’のおばあさん。新聞のカラー刷りの広告ページを切りとっておいてそれを利用してちぎり、貼り付けては野菜をはじめバーガーなど見事に描いていくのである。彼女の芸術的なセンスにひき付けられてテレビの画面に見入っていた。彼女は、静かにそして嬉々として残りの人生を謳歌している。どんなことにも興味のあるものにはとにかくやってみる、挑戦する、という姿勢の素晴らしさを学んだような気がした。挑戦しなければ自分の持っている能力の発見はない。

“やってみよう。隠れた才能を発見しよう
(Give it a try. Discover your hidden talents.)”

このおばあさんのように高齢者の生活の充実を目指して、挑戦しようという姿勢はいろんな年齢層の人達にプラスの刺激を与えてくれる。どうすれば自分の生活や生き方を充実させることができるのだろうか。僕がアメリカに住んでいた時にプラス思考を教えてくれた大学の先生が、自分がやっていて楽しいと思うことをどんなことでも小さな手帳サイズのノートにメモするということを1ヶ月続けるとよい、と言っていたのを思い出す。そのメモ帳を必ず肌身離さず持ち歩き、独りになる時に書き加えたり見返したりという事を繰り返すと自分に関する不思議な発見があるという。その不思議な発見とは、自分の中に隠された才能の発見だというのである。
僕は今でもこのメモ方式を利用して、後期高齢者となった自分は何をしたいのかを考えたりしている。歳をとったからこそできることがあると僕は信じている。それは何かを考えながらメモノートが増え続けている。

ノートルダム大聖堂火災で…

2019-04-19 19:25:25 | 日記

4月17日の朝刊はノートルダム大聖堂の火事が1面トップの記事になっている。実際の火事は現地時間15日の午後7:00頃という話である。誰かの過失が火事の原因である可能性が高い。世界各地で歴史的な建造物や文化財が自然災害や人為的な被害にあって損失する様子を見聞きするたびに心が痛む。自然の力による破壊ならまだしも、他人の過失や故意の破壊には本当に怒りを覚える。何世紀にも渡る人間の歩みを伝える遺跡は大切に保存したいと思うのが人情だとおもっていたら、バーミヤンの大仏立像のようにイスラム国の暴力行為で破壊されるものもある。いくら自分たちの宗教的考え方と違っているからと言って遺跡を抹殺する人達がいることに絶望感すら覚える。今回の火災が人為的なものとして、先ずは補修などの工事にかかわる人の丁寧な仕事を望むことを切にお願いしたいと思う。
マクロン大統領が声明を出した。「フランス国民にとっての悲劇だが、希望は残されている。われわれは一体となって大聖堂を再建しよう」
‘希望が残されている’という言葉に注目したい。人が生きていく道の上には様々な障害が待ち受けている。いろんな障害に諦めてしまうのではなく“希望を持って(前を向いて)そして真剣に希望に働きかけよう( Have a hope and hope for it with all your heart.)”という僕の好きな英語の表現がある。しんどい時に、本気で希望に働きかけるという後半の部分が大好きである。
トートルダムの大聖堂には何百年に渡って、いろんな思いや悩みをかかえて足を運んだ人々の祈りが詰まっている。テレビの中で燃え盛る大聖堂の炎を見ながら、阪神淡路大震災、東日本大震災、などと人の力を試すかのように起こる辛い出来事にいろんな思いを馳せていた自分がいた。

挑戦に不安はつきものだ

2019-04-16 20:08:57 | 日記

最近は朝に庭の掃除や家の雑事を済ませた後、テレビの前に座って過ごす時間が少し多すぎるように思って反省している。もっと外に出て運動をしないと筋肉が痩せて歩けなくなるという強迫観念に襲われるからである。それでもテレビから学ぶことも多くある。
今日は数日前に偶然別々の時間帯に異なるテレビ局で放送された二人の話をまとめてみようと考えた。二人の詳しい経歴などはスマホで検索すればすぐに出てくるのでここでは取り上げない。
一人は立命館大学のアメフト選手だった浅尾将大さん。彼は現在滋賀県の彦根でユニークなスパイスカレー店を経営して奮闘している。アキレス腱断裂がアメフトを諦めた理由である。そしてもう一人はサッカーの選手でガンバ大阪を戦力外で首になった嵜本晋輔さん。高級品の買取商で大成功を収めて、ガンバ大阪の強力なスポンサーとなっている。二人とも失意からの浮上である。成功談は面白い。そしていろんなことを考えさせてくれる。
“変化”というものに必ず付きまとう,不確実で不明瞭で曖昧(ambiguityアンビギュイテイ) と いうあやふやな状態を乗り越えて初めて成功が見えてくる。 何かを始める時には恐れずに不安感が付きまとうのは当たり前という認識で始めなければ何も見えてこないということを改めて思い知らされた。分析や工夫、そして本気になること、自分をその気にさせることで何かが動き出すのだと思う。
50年も前、アメリカ留学を必死に頑張った二十歳前後の頃の僕を思い出す。あの頃の不確実であやふやな心の状態を僕は忘れることはない。Accept the discomfort! (不安を乗り越えろ!)Go for it!(やってみろ、挑戦だ!)さて、後期高齢者になった今、残りの人生になにができるか挑戦だ。