学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

時間は生み出せる

2018-09-28 20:06:21 | 日記

「時間がないんですよ」“I wish I had time for that.”と人が言うのを何度も耳にした。
先日、友人とレストランで食事中、盛んにこの話で盛り上がっている7,8人の女性グループが衝立(ついたて)の向こう隣の席にいた。騒々しいなぁ、時間などはいくらでも作ることが出来るのに、と偉そうなことを考えている自分も、何度この悩みを人に訴えたことだろうか。自分では分かっているつもりでも、仕事に追われていた頃は「時間は自分で生み出すものである」ということを自分に自覚させるのに随分と‘時間’がかかったものだ。僕が試みたことは数日間、早起きをすることである。何をする時間が欲しいかにもよるのだが、朝早く起きることで悩みを解消したことは多い。結局は、“If you want time you must make it.”(時間が欲しいのなら時間を作れ)ということだ。

子供の頃は忙し過ぎて時間がないなどとはあまり思はなかった。そう、僕が中学生だった頃のことを思い出す。学校中心の規則正しい生活の中で、NHKのラジオ講座を利用して英会話を勉強することが習慣になっていた。朝早く起きて眠い目をこすりながらラジオを聞いたものである。ラジオ講座は何故15分間なのか。効率よく集中できるのは15分であるというだけでなく、15分という時間はどんな人間でも作り出せるのである。1日の内で忙し過ぎて15分を作れない人など存在しないと信じている。早朝の15分、昼間の電車の中の15分、そして寝る前の15分を見つけ出して工夫をすることで1日に45分が生み出せるのだ。

忙しくて時間がないと人が言う時は、結局自分の甘えを全面にだして、ゆっくりのんびりテレビでも見て時間を無駄にすることを望んでいることが多いのだと思う。無駄な時間は決して無駄ではないことも真実である。でも我々は忙しくて時間がないということをなにかの弁解に使うことが多すぎるのではないかと思うことがある。

人間観察

2018-09-25 18:59:58 | 日記

11,596は万歩計の示した数字である。日曜日、弟を誘って京都の嵐山近辺の散策を楽しんだ結果である。弟と言えばしょっちゅう“歩きエキササイズ”をしているので長距離を歩くことは平気なようだ。嵐山は外国からの観光客に人気のスポットで所々にある休憩所は彼らが小休憩しながら八つ橋や空揚げ、抹茶ソフトクリーム、串にさした冷たい胡瓜などを楽しんでいた。この賑わいを演出しているのは外国からの観光客がほとんどで、日本人の数は本当に少ないという印象だ。“レンタル・着物“なる看板を見つけてその前で立っているとこれまた出入りする人達はほとんどが外国からの観光客である。着物がよく似合う白人の女性や中国からの観光客もいて彼らを観察しているだけで楽しめた。

Try to find pleasure in simple things.(小さいことに楽しみを見つけよう)
関西空港が台風の影響で完全には機能していないということを知っていたので、少しは人出の少ない時期をと思って出掛けたがまったく予想外の賑わいであった。渡月橋の工事中もどうやら影響がないようだ。写真を撮っている人達は皆同じ場所で、同じショット。
天龍寺に向かう参道では中国人の家族連れ、子供が砂利道を靴を地面にこするように歩いて音を立て、小石の感触を楽しんでいるかのようだ。日本人の子供もよくするこの行動、どこの国の人も同じだなぁ。靴は砂埃で白くなっている。
竹林の中を進む“竹の小道”はテレビでよく目にする光景だ。一組のカップルが写真を撮ると、次々と同じ場所で写真を撮る人々、人は皆、周りの人の行動を見ながら影響を受ける。不思議と真似をしたくなる心理が働くのだろう。竹林の中で人力車の車夫の男性の案内する声が透き通って聞こえた。
ピープル・ウォッチング(人間観察)は本当に面白い。街歩きの楽しみの一つである。人々の行動を観察しながら研究する「行動経済学」なるものの意義が理解できる一日であった。

彼岸花の咲く頃

2018-09-21 20:20:40 | 日記

今週はテレビの報道の頻度に影響されたのか、樹木希林さんの生き方などに引き込まれて新聞記事を読んだりしながら考えさせられることが多かった。人は必ず死を迎える日がくる。彼女はしっかりとその準備をして身の回りを整理して一生を終えた人らしい。テレビを見ていて彼女の残した希林語録とでもいうのだろうかに頷いている自分に気が付いた。「周りを見回して、自分が存在している必要がなくなったと思う時が人生の店じまい」などという一言は考えさせられてしまう。映画の中でいろんな人を演じてきた希林さん、映画を通して演じながら人間観察をして人間性や生き方を学んでいたのだろう。
The more we learn, the more prepared we can be.
(多くを学べば学ぶほど、人は心の準備[覚悟]ができるもの)

去年の今頃、このブログで彼岸花について少し触れたのを思い出す。今年もまたちょうど同じこの時期に庭の片隅で咲き誇っている。夏から秋への季節の移行を告げてくれるこの花、彼岸(死)、毒、だのとうれしくない言葉と共に引用されるかと思えば、仏典などでは「天上の花」などともいわれるらしい。花言葉をウイキペディアで調べてみると、情熱、独立、再会、諦め、転生、悲しい思い出、などの言葉で表されるということだ。やはりプラスとマイナスが入り混じった“けったいな花(?)”であることが分かる。この花を見ていると秋に移っていく季節の動きとともになぜかセンチメンタルな気分になって心が落ち着くのも不思議なことで、この花の持つ魔性と魅力のせいなのかと思ってしまう。

千里の道も一歩から

2018-09-18 18:20:12 | 日記

Step by step one goes far. Step by step one makes progress.
千里の道も一歩から。    一歩一歩、人は前に向かって進む。
*one は一般に人の意
西日本豪雨大災害、大坂北部震災、強風が特徴の台風21号、そして北海道の大地震、次々と日本列島を襲う恐るべき自然現象が本当に甚大な被害を各地にもたらした。
どこから手をつければいいのかと本当にお手上げの被害状況をテレビの画像で見せられると、夢も希望も失いそうになってしまう。遅々として進まない復旧に気をもみながら、それでも最近は確実に前に向かって一歩ずつ進んでいることが見て取れる。
ボランティアの皆さんの汗水が、被災されたみなさんを勇気付けているのがよくわかる。涙ながらに喜んでいる女性が「自分たちだけでは傷んだタンスひとつ動かせないのです」などと訴えているのを見ていると、多くの人たちの人力が、文字通り一歩一歩状況を改善していることが分かるのである。
僕の住んでいる大阪では、やはり関西空港の天災に対する脆弱さに少し落胆を覚えることとなった。滑走路が冠水して、空港がその機能を全く果たせない、空港への連絡橋にタンカーが衝突、連絡橋がその役割を果たせない。これではとてもじゃないが大きな顔をして当初のうたい文句のようにハブ空港だのとは胸を張れない状況だ。ここでは大きなクレーン船が登場して橋桁を空中に持ち上げて移動している様子が伝えられる。人力と最新の技術を利用しながら、やはり一歩ずつ状況が改善されていくのだ。

何をするにも焦ってはいけないと思い知らされる。生きるということは、自分の歩む方向を探ること、そしてそれには先ず一歩を踏み出して千里の道を目指さなくてはならないと改めて思い知らされる。

集中力と時短の関係

2018-09-14 20:22:30 | 日記

今週は好きな英語の単語を楽しんでみようと思った(理由は後述)。
何と言っても僕の場合はenthusiasm(発音はカタカナで書くのは好きではないが人に話す時には参考にしてもらうために“インスーズィアズム”と教えることにしている。但し、英語には強く発音するアクセントがあるので、舌を軽く噛んでスーを強く発音して残りを素早く、と伝えることにしている)。この単語は「熱狂、熱中、熱意、夢中」という意味だが、僕はいつも口に出して自分自身を鼓舞することに利用してきた。
“何をするにもenthusiasm”と信じているということは、若い時には僕自身が怠け者で、意識しないとついダラダラとは言わないまでも普通に物をこなしてしまう傾向にあったからだと思っている。勉強も含めて、ついルーチン的に日常をこなしていく傾向だ。
アメリカ留学中はそんなことではやっていけない。勉強であれなんであれ、必死になって集中して素早く物を仕上げる習慣を身につけることが出来るようになったのはこの頃だ。
If I do something with enthusiasm, I can get the task done in half the time.
 (もし何かを夢中になってするのなら、仕事を仕上げるのに半分の時間しか必要でない)

急に気温が下がって風邪のような症状に週の初めから悩まされていた。実は軽い腎盂炎を患っていたらしい。熱はあるし、頻尿になるし、何となく身体がだるいという症状だ。急ぎ医者に診てもらい、毎日、朝夕二回の点滴と飲み薬で何とか菌を殺し消炎、危機を乗り越えられそうだ。まだ数日は薬を飲むことにはなるだろうが、病気という伏兵が出てきて元気がなくなると何をするにもその気になれない。読みたい本が机の上に積まれているのに、読む気にもなれないのが不思議である。好きなテレビのドキュメンタリーにすら集中できないのだ。やっぱり健康でなければ enthusiasm もその威力を発揮することはできないらしい。やれやれ、歳をとるということは、身体中の部品の傷みが目立つようになることを意識して暮さねばならないという現実を思い知らされることとなった。