学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

朝の来ない夜はない

2018-02-28 20:19:40 | 日記

大阪では久しぶりに15度を超えるような温かい一日。寒い日が続いたこの冬の終わりを告げるような太陽を起床と同時に味わった。朝刊を取りに庭に出ることで、その日の温度がなんとなく予測できる。真冬の厳しい寒さの中でも、太陽が出ていると確かに柔らかい温かみを感じることができる。太陽の力は本当にすごいとつくづく思うことがある。

思い切って外出、大阪城を歩いてみようと思い立った。家からたかだか20分強かかる距離である。理由はお城のすぐ横にある洋風の建築として知られていた旧陸軍の司令部の建物の新装の様子を見てみようと思ったからだ。この建物、大阪城の東側に位置していてなぜか魅力がある。観光客を惹きつけるレストランや土産物屋さんが入っていて活況を呈していた。たくさんの観光客のほとんどが話している言葉から中国からの人達のような印象を受けた。自撮り棒でお城を背景に写真を撮って楽しんでいた。
さんざん人々のいろんな動きを写真に収めてから、桜門からお城に隣接する豊国神社へ。鳥居の下でひとり、三味線を弾いている男性がいた。僕はすぐ横のお店で買ったビールと鶏の空揚げで休憩。鳩や雀がよってくる。男性の弾く三味線が近くの人々を楽しませているように思う反面、誰も本当に注意を払っていないようにも見える。何を思って彼は三味線をつま弾くのだろうか。

この日、三味線の音を耳にしているのは9割以上が外国からの人々だ。この光景を見ていると、自然と「がんばってね」と声をかけたくなる。その場の人々も、何かを感じながら、きっと聞いていない振りをしながら聞いているのかもしれない。「朝の来ない夜はない」という言葉は、頑張ればいつかは陽が当たる時が来るという意味だ。
どの国から来た人であっても、きっと感じることは同じで、どこかで応援している気持ちがあるのではないだろうか。
   
     In every country, the sun rises in the morning.(どこの国でも、太陽は朝に昇る)

「ありがとう」の一言にお金はかからない

2018-02-26 20:18:33 | 日記

昨日の日曜日、ちょっとした買い物にイトウヨーカドーに出かけた。日曜日は買い物客がいっぱいで、駐車場も当然満車状態になる。ちょっとお歳を召した男性が、買い物客が駐車場のそこかしこに置き去りにしたカートを整理して置き場に集める作業に黙々と従事していた。世間では「働き方」なるものがさかんに話題になっている。退職されてからも社会との結びつきを重要視している年配の人達がいろんな仕事に就いている。

この駐車場で僕の目に留まったことがもう一つあった。5~6才ぐらいの男の子。さかんに置き去りにされたカートを一つ一つ集めては指定の置き場に運んでいるのだ。働いているお年寄りのお孫さんかと思ったが、どうやらそうではないらしい。きっと母親の買い物に退屈して遊び半分にカートを集めているのだろう。遠くから「はよ帰ろ。もう行くでぇ」という声。元気よく声の方向にその子は走り去っていった。
カート整理をしているおじさんに話しかけた。「ええ子ですな」と言うとそのおじさん、「前に『ありがとう』と言ったらいつも助けてくれるんですわ」とうれしそうな顔を僕に向けた。

ショッピングバッグを持って自分の車へ歩きながら、盛んに感じる何かがあって、それから家に帰ってもまだしばらくその情景が頭を離れなかった。あの男の子とおじさんの関係、長い未来を持つ男の子と未来に対してある種の限界を感じざるを得ないおじさんのこと...

Good words cost nothing.(優しい言葉にはお金はかからない)という日本語訳があてはまるのだろうか。

「今、ここで」が日常を変える

2018-02-23 20:11:35 | 日記

昨日、ある近くのモールに出向いた。本屋さんが「丸善」で、充実した本のストックを持っている。そこで観察した親子のやりとりに一言、言いたくなったのが今日のブログである。子供が何かをねだっているのであるが、お母さんが「あとで」「ちょっと待ちなさいと言っているでしょ」と繰り返していて、子供さんがかなりイラついているという状況である。お母さんもイラついているのが感じられて、そばにいる僕までもがイラつきはじめた。変に誤解してほしくはないが、なにかが伝染するとはこの状況を言うのだと思う。

僕たちは日常に「ちょっと待って」という言葉を使いすぎると思っている。家庭内での「ちょっと待って」、と仕事での「ちょっと待って」、は大いに違うとは思うけれど、状況によっては「ちょっと待って」がその場の空気を不穏なものに変えてしまう。「もういいよ、自分でするよ」と言うくらいなら始めから自分ですればよいのだが。

英語で Focus on the Here and Now.(ここで、今に、集中しろ)というのがある。僕が非常に好きな言葉で、結局は集中することの大切さを教えているのだと思う。注意散漫はやはりよくない。勉強であれ、なんであれ、今に集中することで何らかの成就感を味わうことができるのである。「今」、「ここ」、に集中できるのは、やっぱり自分の好きなこと。人生、自分が集中できることを見つけた人が成功に一歩近づくのではないだろうか。

先ほどのおかあさん、どのように対応するのが答えなのでしょうね。

「昨日はゴメン」が今日を明るくしてくれる

2018-02-21 19:28:55 | 日記

就寝前や昼間の自由な時間にラジオを聞くことが増えた。何もしないでやたらと時間を消費するテレビと違って、ラジオは何かをしながら聞くという「ながら活動」ができるのがうれしい。胸のポケットに収まるサイズのラジオで、イヤーホーンで聞くこともできるし、それでいて番組によってはハッとするような学びもある。
悩み相談をとりあげている「相談コーナー」などを聞いていると面白い。適当に自分の意見をつぶやきながら聞いていると、不思議と自分の意見がまとまってくることに気が付いた。
「相談コーナー」では、特に若い人が前日、つまり昨日の言動に悩んでいる人が多いことに気がついて驚いた。若い人に割と繊細な人が多いのに驚かされている。
「済んだことをあまり気にしていたら、生きるのがしんどくなってくるよ」、と教えてあげたい。昨日は昨日、今日は今日。昨日は絶対に戻ってこないから、済んだことにあまり気をとられていると人生に無駄な時間が増えてしまうよ、と教えてあげたい。偉そうにそんなことを言っている自分も同じ無駄をどれだけ経験したことか。

英語を調べてみると、やはり同じような教訓を発見した。
  Don't let yesterday use up too much of today. (昨日という日のことで、今日の大半を使い切ってはならない)
   ⇒(昨日の言動の失敗に、今日という日の大半を悩みながら使い果たしてはならない)

人生、確かに将来や未来があるから生きていけるのだけれど、やっぱり今日を楽しく、充実したものにしようとする努力が大事なのではないかを思う。昨日に人を傷つけたのなら、今日、誤ればよい。「昨日はごめんな」と、一言いえば済むことだ。

時間とは人生そのものを造っているもののこと

2018-02-19 20:04:29 | 日記

時間の使い方についての本を読み見返してみた。僕の本棚にいつもあった本で、30年も前に買ったものだ。ここかしこに赤鉛筆で線が引かれている。本を読んでいて自分が大切だと思った箇所に赤鉛筆で下線や傍線を入れるのが僕の習慣である。赤鉛筆を買うと先ず三分割して短くして、芯の部分にキャップをして、それを背広のポケットにいつも忍ばせていた(赤の下線などを引くときは絶対に赤鉛筆を薦めます)。なんとなく勉強した気になるし、派手だし、余り濃く引かなければいつでも消せる。昔の受験勉強の習慣にとりつかれてしまったのだろうか。
今日はこのような出だしになったのには理由がある。だんだん歳をとってきて、毎日の時間の使い方が気になったからである。

  Today, I decided to pay special attention to how I use my hours.
     (今日は自分の時間の使い方に注意を向けてみようとおもいました)

若い時はあまり注意を払わなかった“時間”が最近はやたらと気になるようになってきた。どうしてだろうか。人生の残りの時間を意識するようになったから以外に考えられない。時間の無駄遣いをしないように心掛けようと思い立った。若い時に冒険したアメリカに、思い切ってもう一度、いや、あと2~3度行ってみようと思い立った。

   I'm not going to squander time, for it is what life is made of.
   (時間の浪費をしないようにしよう、なぜなら時間こそ人生を造っているものなのだから)

よ~し、行くぞ。50年以上も前にぼくを駆り立てたアメリカへ。今回は女房も、娘も、そして孫も連れて。