暑い夏に備えて教室の冷房温度設定を改正したという新聞記事を読んだ。教室の望ましい温度環境は10~30度以下という今までの室温を17~28度以下に変更したという。
僕の時代の環境は暑さも寒さも耐えることが教育の方針だったと覚えている。今日、エアコン設備の利用は学校の都合で温度を決めるのではなく、要するに大切なことは子供達が勉強し易い環境をつくることなのだ。僕は長年、教室で学生とともに授業という環境の中で過ごしてきた。強制はされたことはなかったけれど、世間でいう30度以下に、いや28度以下だ、という設定に随分悩まされたものだ。
冷房に関しては女子は寒い、男子は暑いと訴える教室の中では、「つけたり消したりで調節しようね」と学生を納得させる以外に方法がなかったことを思い出す。
さて話はがらりと変わるが小学生のランドセルはコンクリートのブロックを運んでいるように重い。背中の痛みを訴える小学生が増えているということを耳にした。整体に通う子供達が増加しているのだ。ここでも、学校は教科書など、教室に残して帰宅してはいけないというルールをつくっているらしい。現状を理解しない教育現場を改善しなければならない。
これら二つのケースは教育の現場に存在するいわゆる乖離というものである.
英語にdiscrepancy という単語があって、“二つのものが別の方向を見ていること”、つまり乖離である。誰かが良しとするものと現場での現実には何らかの乖離があることが多い。
There are two sides to every question. (すべとの問題に二面あり)