学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

バカ騒ぎハロウィン

2018-10-30 15:38:35 | 日記

土曜日と日曜日の東京の渋谷。ハロウィンの仮装若者のばか騒ぎ。マナーも何もあったものじゃない。付近のお店に迷惑をかけ、犯罪すらを生むようになって暴走の祭りと化してしまった日本のハロウィンはそろそろ考え直す時が来ているように思えて仕方がない。日本では仮装だけが強調されてコスプレの若者や特に酒に酔った青年が好き放題に街を混乱に巻き込んでいく。

アメリカに住んでいた時に10月31日が来ると家にお菓子屋や飴玉を夕刻にやってくる子供たちのために用意して待っていたのを思い出す。
“Trick or treat.(トリック・オア・トリート)”と数人の子供達が家の玄関ドアをノックするのである。やって来た子供たちに一握りのお菓子を袋に入れてあげると嬉しそうな顔をして、礼を言って隣の家に移動する。のんびりとしたハロウィンのお祭りの喜びを思い出す。
先ず、トリックとは「いたずら」、「ばかげた行為」という意味で、トリートは「ごちそうする」、「人に何かをおごる」という意味で子供達が声を合わせて玄関先で言う“トリック・オア・トリート”は「いたずらされたいですか?それともお菓子をくれる?」というような意味だ。もともとは日本のお盆のようなもので仮装して悪霊を追い払いながらキリスト教の「万聖節」という聖人や亡くなった人を迎えるためのお祭りだ。そしてカボチャを代表に収穫を祝うお祭りでもあることも忘れてはならない。日本でも幼稚園などで子供たちが仮装を楽しんでいるようなレベルのものはかわいくてほほえましい。

日本でも西洋でも、秋は収穫を祝う季節である。日本各地で秋祭りがたけなわだ。何とかハロウィンもその意味を理解してもらい、バカ騒ぎをやめて素朴なお祭りの原点に戻れないものだろうか。

自分だけの時間

2018-10-26 19:52:11 | 日記

僕はなぜ街歩きをするのだろうかとふと考えた。先日、大阪駅の周辺の変化を見たくて出かけてみた。大阪駅は何度も電車で乗り降りしているし、グラン・フロントだって知っている。友人と大阪で待ち合わせをそこで何度もしているからだ。でも、大阪駅の周りには足を踏み入れないところが本当にたくさんある。周りの変化に取り残されたくないという意識が僕のどこかにある。そして歩きながらかつて自分が若かった頃の名残りを辿りながらひたすら辺りの変わり様に感動を覚えながらスマホで写真を撮って楽しんだ。足首から下が歩き過ぎで痛みを感じていたのだが、それでも歩き続けた。

何が目的でそんなことをしているのだろうかと不思議に思うようなことに精を出す人がいる。アメリカを旅行した時、ひたすら歩道にチョークで絵を描いている人がいた。バス停の後ろの塀に街の景色の油絵を描いている老人がいたことも思い出す。誰もそんな行為をとがめる人はいない。お金にもならない趣味(?)の世界に生きようとする人が世の中にはたくさんいる。
彼らはなぜそんなことをするのかを考えてみるとやっぱり理由があって、彼らにとっては何よりも好きなことに没頭している時が一番居心地が良いのである。生活は出来ていても仕事は嫌であったり、給料明細書に追われながら生きていることに疑問をもって自分の好きなことに時間を使いたいと思っていたり…どこかに自分の本心との葛藤があるようだ。
自分の時間を使って幸せ感を持つには何か没頭できることを見るけることなのだろう。
なぜそれをするのか、というような理由は必要なのだろうか。自分が没頭できるものを見失なわないように、自分の好きなことをし続けることに意味があるのだろう。
次のような英語を考えてみた。
You don’t have to know the why, but you should keep your urge in sight.
 (理由を知る必要はない、でも自分がしたいという衝動は目の届く所に置いておくこと)


ワクワク感に目を向けよう

2018-10-23 20:38:09 | 日記

最低気温が15度を下回るようになると肌寒さを意識するようになる。夜ともなると寝る前には長袖のパジャマを着こんで毛布の下に体を丸めて布団の中でじっとして暖まろうとするようになる。少し気が早いかも知れないが冬の足音が聞こえてくるようだ。

日本のプロ野球、最後の日本シリーズを戦うチームが決まった。セリーグは広島カープ、パリーグはソフトバンク・ホークスである。広島カープはファンとの一体感と全体的な安定感が印象に残り、ソフトバンク・フォークスもまた熱心なファンに支えられながらの豪快な打撃力が印象に残る。勝ったチームを応援する人々の笑顔は格別だ。幸せ感もまた周りに伝染していって周りの人々が喜びと満足感に浸る姿はテレビを見ている僕をも幸せにしてくれる。まさに、Surround yourself with smiling people!(自分の周りに喜んでいる人々を!)である。
一方、日本シリーズ進出を逃したチームを応援した人々はどうだろう。熱烈なファンの様子をみているとしばらくは立ち直れないかもしれない。でもでも…である。選手たちは敗戦から学ぶことは多いのである。チームを立て直して来年出直しである。応援するファンにとっては来年は何かが起こるかもしれないというワクワク感に目を向ければ楽しみが出てくるのだ。Forget about the disappointments, but learn from them.(落胆は忘れてそこから学べ)ということになる。
考えてみれば人生はこの繰り返しである。人々がいろんな競技に一喜一憂する理由は自分の人生をそこに見ることが出来るからかもしれない。英語にある“生きて学べ”(Live and learn.)は僕の好きな格言である、

脳の活性化は身体を動かすことから

2018-10-19 22:05:05 | 日記

久しぶりに太陽が昇り空は真っ青で温かく典型的な秋晴れの日であった。女房と一緒に散歩に出かけた。前回に紹介した近くの広いラグビー場の公園である。全体的に整理されて年寄りには随分と歩き易くなった公園である。外の空気を吸っているだけで心がうきうき気が晴れてくる。大袈裟に運動などと言わなくても、歩いているだけで目を刺激するし、若い頃のその辺りの風景が思い出されたり、出会う人と声をかけ合ったりと気が晴れる。

歳をとって退職すると、何かしなければと焦ったり、また家に閉じこもってしまう人も数多くいることを新聞で知った。彼らは社会で必要とされていないような感覚に支配されて焦り、閉じこもってしまう人もいるという。人は皆、退職の意味をそれぞれ独自に理解する。確かに“社会が自分を必要としていない”などと思うと、人生は終わりである。時々家を出て、街歩きをすることで日常生活の中で自分を発見できるのである。外にでて体を動かすなど、なんらかの活動を始めると脳の活性化が起こり、積極性や挑戦心などが刺激される。家でじっとしていたいなどとは思はなくなるのだ。家でじっとしていると、なぜかろくなことを考えない。つまり年齢を言い訳にしてしまう傾向が出てくるのだ。「動け、動け、動け!」、身体を動かすことである。これは現役の若い人にも当てはまることで、迷ったり、悩んだりしたら外に出てみることが問題を解決できる第一歩となることがあるのだ。
Trouble often finds those who are feeling a little lost.
問題は(自分を)見失っている人の所にやってくる

生き切ることは工夫すること

2018-10-16 20:17:15 | 日記

大坂にある東大阪市営の花園ラグビー場(全国高等学校ラグビー大会で有名)が新装されラグビーワールドカップの準備が完全に整った。広大なスポーツ広場や公園が整備され、世界に誇れる規模である。僕の住まいはラグビー場の北の古くからある住宅地である。少し離れてラグビー場の南に近鉄奈良線の東花園駅がある。この周辺は子供の頃からよく自転車などで友達と走り回ったところである。久しぶりに自分が生まれ、育ち、暮らしてきた地域の街歩きを試みた。隣の花園駅にあった昔の商店街を歩いていると、所々に空地がある。コロッケ屋さんのおじさんと立ち話。覚えている本屋さんや、そろばん教室のおばさんの先生などの事を聞いてみると、まさに彼らの住んでいた場所が空地になっているのである。時代が変遷して、この商店街も半分シャッター街になっている。昔は栄えていた場所も、人の流れが変わるとともに廃れていく。

東花園駅と花園駅の立場は完全に逆転した。昔は東花園駅などはなかったので、人々は花園駅で降りて商店街を通り抜けてラグビー場に足を運んでいた。現在は東花園駅前のラグビーロードを歩けばラグビー場までは5分で行ける。
時の経過は残酷なものである。新しい駅が出来たことが人の流れを変えた。そして先の商店街に生き残った店と消えていった店を生み出した。環境の変化がその違いを作った一方で、家族の問題をかかえて無くなってしまった店がある。跡継ぎがいなかったための一代限りの商売であった。そんな店は結局は消える運命にあったと、言われればますます何とも言えない思いが頭を支配する。なにごとも工夫しなければ消えていく運命にあると教えてくれる。環境が変わる、跡継ぎがいない、などなど、生きていく上で、人生には私たちを失望させるものがつきものである。うまく行かないことがあったとしても、生きるということには常に工夫が要求されているのだとおもう。
Don’t dwell on the disappointments, instead learn how you can make things better.
(失望をくよくよ考えるな、どうすればよくすることができるかを考えよう)