学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

我慢からの脱出

2022-04-29 16:27:12 | 日記
 老人向けの書籍を読むと、老人になるということは”我慢(がまん)からの脱出”だとの話が優勢だ。我儘(わがまま)を奨励するものもあって誤解を生む。我儘と言われようがとにかく我慢からの脱出…ま、確かに残りの人生の時間を考えるとそういうことだろうとは思う。僕には長い間、酸いも甘いも共有してきた連れ合いがいる。心臓系の病いでやや体調を崩している彼女の我儘を受け入れながら自分の我儘も主張して残りの人生を、と考えている。同じ屋根の下に共に生活している人間がいる以上、相手を無視して自分を通す種類の我儘はもちろん人道に反するし、何がしかの妥協が必要だ。それでも自分の我儘も大切にという生き方を僕は選んだのだと思う。
 我慢という漢字を調べてみた。特に慢という字のしめすヘンは人の心、ツクリの曼は怠るの意味、全体では疎か(おろそか)にする、軽んじる、の意味を持つということがわかった。要するに、“我慢”とは自分の心を疎かにするという意味だ。考えてみれば、例えば、サラリーマンだった人達は、会社の期待に沿うようにある意味自分を疎かにしながら我慢してきた人が大多数だ。本当は、人は皆、自分の期待に沿うように生まれてきているはずなのに、他人の期待に沿うために我慢する。家族を養っていくためには状況に合わせて乗り切らなければならない苦難と我慢を我々みんなが経験した。“虹を見たければ、雨は我慢しなければ (If you want to see the rainbow, you gotta put up with the rain.ドリー・バートン;アメリカの女優)”と言い続けて歳をとったら、やっぱり“ガマンからの脱出”ということが意味を持ってくるのかな。残りの人生はそんなに長くはないのだから。(なんのなんの、まだまだ楽しむ方法はありマンネン)

余った残り物の話

2022-04-26 16:09:27 | 日記
 俳句の季語などを調べていると、日本語の奥深さのようなものを感じることができる。先日の日曜日はまた冬に逆戻りか、と思わせる寒さだった。この種の気温の変化を俳句では「余寒」という言葉で表している。余った寒さ、つまり冬の残寒をピッタリと表現できる言葉だ。秋になって冬の気配を感じる頃に暑い夏の残り、つまり「残暑」という割と身近に使い慣れた言葉もある。そして年寄りには一番胸に突き刺さるあの言葉、「余命」、余った命?、残りの命?、そんな言葉が時々頭をかすめることがある。僕はお酒もしっかり飲めるし、街歩きも楽しんでいるし、話もきちっとできるし、姿勢もしっかりしているし、あと10年は周りの人の迷惑にならないように元気で…などと考えること自体が歳をとった証拠なのかもしれない。
 なぜ「余命」などという残酷な言葉が頭をよぎるのかと考えた。責任はどうやら新聞の新刊広告だと気がついた。新刊書の広告文を書いているのではないのでこの際著者名や出版社名などははしよるが、新聞のページをめくると必ず一つや二つの老人向けの新刊書、例えば『うまいこと老いる生き方』『70歳が老化の分かれ道』『80歳の壁—-新しい老人の作法』『87歳、古い団地で楽しむひとり暮らし』などが目に…。書店にでも足を向ければ“老化や幸せな孤独の生き方”などの本が何冊も目に飛び込んでくる。僕の年齢の後に続く団塊の世代が増えていることを思い知らされる。何くそ、俺は違うぞ、運動をしっかりして余力を蓄えなくっちゃ…。う〜ん、やっぱり僕は年寄りの分類に入るのだ。ならば、『余命を考える人ほど早く死ぬ』なんて本を書いてみようか。(誰も買わない?)

モンシロチョウの白い翅(はね)

2022-04-22 16:36:43 | 日記
 一組のモンシロチョウが庭にやってきて忙しく上下して飛び回る光景を何度も目にするようになった。モンシロチョウは雄と雌の羽化する期間がづれていると言われているのでツガイかどうかはわからない。それにしても14、5センチの間隔で曲芸飛行のように飛び回る2匹の姿には見惚れてしまう。彼らは4月に最も元気が良いと聞いているが、まさしく春を告げる蝶というにふさわしい。平均寿命は短く、10日前後ということらしいが、夏だって目にするし子供の頃に追いかけ回した思い出がある。卵からサナギを経て翅(鳥や昆虫の羽)を持った蝶へと劇的に変化するこの生き物、なぜか猫や犬のように僕には身近な存在である。
 アメリカ留学中に僕が好きだったアメリカ文学の授業で頑張って勉強したヘンリー・D・ソロー
Henry David Thoreau(アメリカの作家、詩人、思想家:1817-1862) の言葉を思い出す。“幸せとは蝶のようなもの。追えば逃げるが、もし気にもしなければ自分のところにやってきて肩に止まったりする” などの名言を残した。自ら都会を離れてウオールデンという泉と森で独りで暮らし『森の生活—-ウオールデン(日本語訳本多数)』という本を出版して、慌ただしい都会生活に生きづらさを感じている人たちへ心に迫る名言をたくさん書き残したのだ。
 全く目立たないキャベツの葉を食べる小さい虫から空を駆ける蝶へ、そしてなぜか人間を魅了する白い美しい生物へと変化するモンシロチョウ。人生とは上手くいけば広い空に向かって飛び立っていけるという夢や期待を我々人間に感じさせるのもこのモンシロチョウという生き物だ。

鐘がなりますキンコンカン♪

2022-04-19 16:52:18 | 日記
 僕がまだ小学校に通い始めた頃、ラジオしか楽しみがなかった時代にとにかくいつも歌っていた歌がある。NHKの『鐘の鳴る丘』というラジオドラマの主題歌「とんがり帽子」の歌が不意に口をついて出てきた(75歳以上の高齢者は歌詞を見ないでいつでも歌えるという)僕の好きな明るいテンポの良い歌だ。それも庭の草抜きを始めた時だった。本当にボクの脳がどのような刺激を受けたのか、口をついて出てきたのだ。『鐘の鳴る丘』は戦争孤児に生きる場を与えるといった主旨のドラマだったという。僕はその歌以外のストーリーは何も覚えていない。
 不思議なことに今日のこのブログ、まるで僕が物語を創作して書いているように思えるかもしれないが、この「とんがり帽子」が突然、テレビで報道されるウクライナ情勢と結びついた。女性に手を引かれた子供が黒く荒れ果てた街を行く姿が映し出されていたのだ。彼らはどこに向かうのかわからないが黒く煤けたトンガリ帽子の教会だろうか、が遠くに写っていた。
 ♪緑の丘の赤い屋根、トンガリ帽子の時計台、鐘が鳴りますキンコンカン…♩は「とんがり帽子」の歌の1番の前半部だ。東欧の日本から離れた遠い国で、戦争孤児がたくさん生まれているという。人間はどうしてこんなに残酷で冷酷になれるのだろうか。21世紀になって充分戦争の悲惨さは経験して学んできたと思っていたら、歴史はまた繰り返されようとしている。この歌の歌詞は胸を打つ言葉が繰り返される。2番の後半は…♪…鐘が鳴りますキンコンカン、鳴るなる鐘は父母(ちちはは)の、元気でいろよと言う声よ、口笛吹いてオイラは元気♪(本当に元気でいろよ、ウクライナの子供たち)————みなさん、スマホで歌を聴いてみてくださいね。

犬の一生は重荷を負うて…

2022-04-15 16:55:03 | 日記
 戦争の真っ最中、砲弾の音とサイレンが交錯するウクライナの首都近郊のマカリウという町に置き去りにされた1匹の犬がいると読売新聞の報道があった。飼い主の女性はロシア軍の砲弾に倒れ命を失った。この女性に飼われていたのは、なんと日本の秋田犬。帰らぬ女性を待って玄関先のドアの前でおすわりをした姿で動こうとしないという。どこかで聞いた話の再現だ。そう日本の“忠犬ハチ公”の再来だ。リチャード・ギア主演のあの映画、『Hachi—-約束の犬』の影響で秋田犬は世界各地で大切にされて可愛がられて暮らしている。ウクライナの“マウカリのハチ公”に強烈な親近感を感じながらなんとも言えない誇りのようなものを同時に感じた。犬の一生をじっくりと考えたことなどないけれど、遠い日本から海を渡り秋田犬のDNAを引き継ぎながら忠犬としての誇りを胸にじっと玄関先のドアの前に座っている写真の姿はまさにあの東京・渋谷駅前の銅像そのものだ。「犬の一生は重荷を負うて遠くの異国で…」
 「人の一生は重荷を負うて遠くの道をゆくが如し」と言ったのはあの徳川家康。戦国の世を生き抜いて、多くの家臣や兵の犠牲を目にしながら、それでも天下統一と国の基礎を築こうとした家康のなんとも重い一言である。ウクライナで話題のこのハチ公、“待てば海路の日和あり”と言う諺もある、海の時化(しけ)が収まるのを待って(国に平和が戻るのを待って)穏やかな天気の下で彼の秋田犬としての航海を完結できるように祈るばかりである。ウクライナの愛犬家に引き取られたという話が聞こえてきた。戦渦のハチ、頑張れ!