学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

栄光の影にプラス思考が

2019-01-29 20:05:19 | 日記

玉鷲というモンゴルからやって来たお相撲さんがいる。日曜日に34歳で初優勝を勝ち取った。若くして日本に来て日本語もろくに理解できない状態で厳しい相撲の世界に足を踏み入れた。19歳の初土俵以来休みなしの皆勤だ。優勝を祝っているその日に彼の二人目の赤ちゃん(男子)が誕生するという二重の喜びだ。13勝目の勝利は絶対勝つという気迫が感じられた。
もう一人、優勝に輝いた人がいた。大坂なおみの全豪オープン優勝である。精神的に弱いと言われ続けてきた彼女、ついに苦しい競った試合をものにした。なんと彼女の試合を振り返っての言葉で、inner peace(インナー・ピース)、つまり精神的(心の)安定という表現を優勝の一因としたのである。彼女がそれを言ったことに本当に驚いた。相手はチェコでの事件で負った左手の負傷を克服しての決勝進出のクビトバ(28)である。お互いに意地をぶつけ合った素晴らしい試合であった。
荒鷲、大坂なおみ、そしてクビトバ、この3人、苦難の克服を経験したプラス思考の人達だ。スポーツの栄光の裏に隠れたさまざまなエピソードは人の心を打つ。人が学ぶことができる何かが隠されているのだ。
ぼくの頭を横切った英語の単語はpotential / potentiality (可能性、潜在性)である。英語のプラス思考の中にThere is potential everywhere.(可能性はそこら中に存在している)という文があったのだが、ただこの文章、続いてうしろに―if you have the right attitude、 もし正しい気持ち、(姿勢)を持っているならば、というものがある。
正しい気持ちや姿勢とはどのようなものを言うのだろうか。何もしないでただじっと座っていて文句ばっかり言っている人が行き着くところはない。例えば、飛行機の善悪を問題にして文句ばかり言う人と、あの鉄の塊が人を運んで連れて行ってくれる所を夢見る人の違いをつくるのは、プラスの方向をみる正しい気持ち、姿勢なのではないのだろうか。。

ユーモアはプラス思考の根源

2019-01-25 19:57:01 | 日記

最近話題となっている「サラリーマン川柳」のユーモアについて耳に挟んだ。NHK出版局もこの川柳に関するものを出しているという。明日は急いで本屋さんへ行って調べてみようと思う。数年前の知り合いの友人で歳をとって口喧嘩ばかりをしている70歳前後の不思議な夫婦を思い出す。軽い口喧嘩が二人の日常を活性化している。実際は二人は仲がいいのだ。“夫婦喧嘩 捨てた夫が また戻る”などといって大笑いしていた二人が懐かしい。季語などの制約の心配も特にはいらない五七五。川柳の作者達が発信する独特のユーモアの表現力はすばらしい。僕に言わせれば、これこそプラス思考のなにものでもない。

空き缶収集という作業を仕事にしている人達がいる。集まったアルミ缶はいろんな業者さんの手を経て、それから再生産している工場の存在も最近知った。街歩きでアルミ板を生産している会社の社長さんとも話しが出来た。つくづく世の中にはいろんな仕事が存在するのだと感心した。
大型ごみの収集日、家の前に捨てた不要品が数十分のうちに誰かが持ち去って無くなる物がある。最近、家の隣人が廃棄するために出した少し古びた椅子と灯油のストーブ、あっという間に姿を消した。自分には不必要でも、それらを必要とする人がいる。
アメリカのオレゴン州、ポートランド市の有名なサタデイマーケット(蚤の市のようなもの)も不用品を見事によみがえらせて人の役に立つように商品化して売っている店もある。自分には必要でなくなったものを捨てる時にはいろいろ考えて捨てる必要があることを思い知らされた。
I will take another look at things I am going to toss out.
(捨てようと思う物をもう一度見直そう)
知らない人が必要としているものかも知れないので捨てようと思う物は少なくともサッと拭いてどろどろのままで捨てないようにしようと思うようになった。

もののありがたさは苦しい時に知るもの

2019-01-22 20:48:23 | 日記

土曜日から鼻水に悩まされている。どこかで何らかの理由で身体を冷やしたのであろう。原因が思い付かない。睡眠中に布団がずれて身体を冷やすことも考えた。庭でちょっとした片付けをしたのが原因か。少しずつ熱も出てきて昨日の月曜日に医者に診てもらった。念のためということで長い綿棒を鼻に突っ込まれて検査をしたが結局インフルエンザではなくてほっとした。
僕は冬はそれほど嫌いな季節ではない。夏は虫が出てくるし、蚊に悩まされる。暑さで庭で作業をして汗だくになるのがうれしくないのである。とはいっても冬は風邪やらインフルやら病気が付き物だ。電車の中で咳をしている人が同じ車両に乗り合わせたら、神経質すぎるくらいに反応する。次の駅で車両を変えるほどである。
冬になって風邪に悩まされる人は数多くいることを知っている。病院の待合室は苦しそうにうずくまる人々のあつまりである。この光景ほど僕にとって恐ろしいものはない。風邪の菌をもらいに病院に行っているようなものであると思ってしまう。まさに病気になって初めて健康の価値がわかる(Health is not valued till sickness comes.)。プラス思考的に考えると、冬という季節が我々に教えてくれているものは“健康の価値”を考えろ、ということなのかな。僕たちは健康で元気よく生活している内は健康のありがたさを全く認識していないのだ。
視点を変えることがプラス思考の第一歩とすると、視点を変えれば自分の意志ですべて未来志向に考えられるようになる。たとえ鼻水がスッとノートや新聞の上に落ちてきても熱でフウフウ苦しんでいてもである。
“いや~何でもいいから早く元の健康体に戻れますように…”との祈りが通じたのか、今日はすっきり9割程度日常を取り戻したようにさえ感じる。鼻つまりや鼻水が止まるとなんと世の中はすがすがしいことか。やったぁ~~~!


オッ気合が入ってるね!

2019-01-18 20:41:43 | 日記

最近は夜、睡眠中に教壇に立っていた頃の夢を見る。そこで今日は以下のような話をまとめてみた。
日本語にも英語にも肯定語と否定語がある。気持ちのいい単語となんとなく気分的に暗くさせる単語がある。僕は街歩きを趣味のひとつにしているけれど、昼食時にレストランに入ると確かに一生懸命に働く人と、なんとなく疲れた様子で接客する人がいる。周りを見渡して人があまり注意を払わないようなものに気付くとなぜかうれしくなることがある。
僕の好きな英語の単語のひとつにencouraging(エンカレッジング) がある。‘元気づけられる’とか‘励まされる’というような意味なのだが、とにかく気分がよくなる語である。It is always encouraging to see somebody working hard. (一生懸命の人を見ると元気付けられる)とでも訳しておこうかな。

新米のウエイトレスが盆から水を入れたグラスを落とした。店中に大きな音がする。「オッ気合が入ってるね」と声をかけてあげると本人は「すみません」となるのだが、店の他のお客の気も和む。日本語もこのように使うと人の気を和ませる。状況に応じて言葉は使いようだといつも思う。encourage という単語はこのようなプラスの単語なのである。
大学で英語を教えていた頃に外国語を教えるにはどのような方法がいいのだろうかとよく自問自答したものだ。テキスト全体の中から鍵になるencourageのような単語を選んでその単語の意味と裏に隠れたニュアンスを教える。さらに例文を5文程度示して何度も口に出させてみるというような方法を使ったものだ。あまり長くこれをやると飽きが来るのでせいぜい10分から15分の練習である。それでも確実に何かをつかんで学生たちは教室を出る。それを見るのが楽しかった。

老人と若者の接点

2019-01-15 20:15:04 | 日記

日曜日の昼、弟と飲みに出かけた。少しゆったりとくつろげるようなレストランを選んだ。昼間からビールだの日本酒だのと、歳をとると気楽なものである。
ところで二人ともスマホを持って悦に入っているのだが、実際はいろんな機能を何十%使っているだろうか。1時間半をそこで過ごして、そろそろレストランを出ようかという時に若者の男女が隣の席についた。時々は話すのだが余り話が弾んでいるようにも見えない。二人で居ながら時々スマホを操作している。それでもこれが今の若者のデートなのかと自分を納得させようとした。
不意に思い付いた。僕と弟はメールでは盛んに往信するのだが、LINE が繋がらない。IDがわからないだの、いやフリフリを使うのだのだとビールを飲みながらいろいろやってみたがうまく行かない。僕の方が思い切って隣の注文が来るのを待つ若者の男女に話しかけた。「ちょっと厚かましくて迷惑かもしれませんが、LINE のつなげ方を教えてもらってもいいでしょうか。僕たちは兄弟で1時間もあれこれやっているのですがうまくいかないのです」と。驚いたことに二人とも大喜びで一緒にスマホの操作を教えてくれた。QR コードをかざすという簡単な操作だった。二人とも嬉々として助けてくれたのだ。
「本当にありがとう。じゃましたことゴメンね」とお礼をいった。二人は本当にうれしそうな顔をして「全然だいじょうぶです」と言った。They helped us out of sheer kindness.(彼らは心からの親切心で僕たちを助けてくれた)。多分、僕たちが出て行ってからは、厚かましい二人の老人の事で話の花が咲いたことであろうと推察する。
僕はラインがうまくいったことのうれしさもさることながら、少なくとも二人に面白い話題を提供できたのではないかとうれしくなり、残りの日曜日は一日中ワクワクした気分が続いたのだ。