学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

暁と黄昏のトワイライトゾーン

2024-06-28 16:46:54 | 日記
 昨日の夕刻7時20分庭に出てみた。理由はこの時期にしてはあまりにも過ごしやすい22度、外ではまだ明るさがあって驚くことしきり。その10分後、7時半にはとっぷりと暮れて急に庭の木々の葉が見えなくなって電柱の蛍光灯が突然明るさを増したように感じた。気象や太陽の動きとは本当に不思議なものだとまた感心する。天候によって左右されながら必ずやってくる夜明けと夕暮れ時は一日の中で僕の大好きな時間である。
 英語のトワイライト(twilight)は不思議な単語である。先ずは”夕暮れ時"と訳すのだが、"始まり”という意味もある。トワイライトゾーンという時間帯は明るさが残って入るけれど暗くはない、周りが刻々と時間の経過と共に姿を変えていく時間帯のことをいう。周りの明るさが勢いを無くしていくに従って自分の”瞳孔"が開き始めて僕の想像力や感性が不思議な刺激を受ける時間となのである。今日という一日が終わろうとしている。その日がどんなに素晴らしい一日であったとしても、その日は終わらねばならない。人生に終わりのないものはない。全てはどこかで終わりを迎えなければならない。さて、トワイライトという英語の単語は別に"始まり"を表す黎明期(れいめいき)とも訳される。新しい時代や文化などが始まろうとする時期、つまり夜明けに当たる時期とも訳される。人は生まれた瞬間に死への時間を刻むように造られている。夜明けや日没が不意にやってこないように、人生の始まりと終わりは徐々に時間をかけて変化していかなければならないものなのだなぁ。

嘘はついてはいけないというけれど

2024-06-25 18:38:51 | 日記
 「うーそだ!」学校帰りの小学生が背中のランドセルをガチャガチャ鳴らせながら走り去った。道路角で別れた子供が「バイバイ」と手を振っていた。仲の良い友達同士だろうと推測した。ただ、ぼくはこの「うっそだ!」という別れ方を目撃したのは最近では二度目である。軽く笑いを誘うタイプのものだから深刻には考える必要はないのだが、子ども達の間ではやっている言葉なのだろうか。僕などは子供の頃、嘘はついてはいけないと教えられて育ったように思うのだが。歳をとって平気で年令を誤魔化す嘘を連発するようにはなったけれど(⁇)
 「歳をとれば正直に日々を暮らし、ゆっくり歩いてゆっくり食べて、年令を数年若く誤魔化して生きる」これが長生きの秘訣だと87歳の知り合いに教えられて二人で大笑いしたことがあった。それから思い出すのがアメリカのメイン州のバンゴア市、あの有名なホラー作家スティーブン・キング氏が住んでいたという家を見物に行ったことがある。薄気味の悪い印象の家と黒くペイントされた塀の角に止まっているカラスや黒猫の彫刻に囲まれた敷地に、世界的に有名なあの推理作家は住まいしてアイディアを練っていたのかと感心したものだ。彼の有名な言葉を思い出した。“小説とは嘘の中の真実である Fiction is the truth inside the lie. ”…なんとなく分かったような分からないような。でも小説という虚構の世界の中に真実が書かれているという意味のことを言いたかったのかなぁ。だって、嘘はついてはいけないというけれど、言ってはいけない真実もあるのだから…ムズっ!

アメリカでは本当に1日1個のハンバーガー

2024-06-21 16:53:22 | 日記
 今日の朝刊にチラシが7、8枚入っていた。その中の一枚、ハンバーガーの美味しそうな大きな写真をみながら思い出した。実をいうとこの種のチラシが入る度に僕は思い出すエピソードがある。現役の頃、自分の留学経験などを絡めながらアメリカ文化や社会問題などを講義していた頃の話だが、授業が終わって一人の学生が近づいてきた。私の父は「家族みんなで夕飯にマクドナルドを食べに行こう」という提案に、“そんなことをするのなら離婚だ”と父親が騒いだと笑いながらではあったが報告する学生がいた。(そうなの?離婚って案外簡単なんだ⁇⁇)
 僕は当時から今に至るまでハンバーガーは大好きで80歳を超えた現在でも月に一度は女房と昼食に食べに出かけることにしている。日本では特に手の込んだ料理を崇拝する文化があって、料理は愛情を表すといった信仰があるように思う。本当はアメリカにも同じような考えはあるのだが、アメリカではやはりハンバーガーがソールフードだと言えるだろう。“1日1個のバーガーは幸せの秘密である A burger a day is the secret to happiness.”といったキャッチコピーのようなことを言う人はたくさんいる。私はアメリカ人、最後の晩餐はハンバーガー、フレンチフライ(ポテト)、そしてコーラだと言った有名人もいるほどだ。そんなことはさておいて、奥さん、お母さんにたまには手抜きをさせてあげて、外食、マクド(大阪ではそう呼ぶ。東京ではマックと言うらしい)で家族団欒も楽しいよ、などと僕は言いたいけれど…たぶん大バッシングを受けるハメに陥るかな。後で皿洗いもしなくても済むし、それもええんちゃう?

“ステレオタイプ”という先入観

2024-06-18 16:15:16 | 日記
 女房に付き合ったスーパの肉売り場での会話。「うちは男の子が3人、とにかくガサガサ騒々しくて…」と若い二人の主婦の会話が耳に飛び込んできた。男3人と言うことで褒められているのか羨ましがられているのか、あるいは自慢しているのか、なんとなく微妙な会話に興味を惹かれたたがやっぱりその場を退散することとした。男の子とは…女の子は…といった男女類型化に関する会話は要注意なのだが、人はあまり気にもせずに話のネタにすることがあるように思う。
 “ステレオタイプ”という言葉があって、それは、多くの人に浸透している先入観、思い込み、固定観念、などレッテルを貼る傾向にあることを指すものである。なぜこんな傾向が人にはあるのだろう。よく耳にする話だが、例えば日本人は…中国人は…やれアメリカ人は…と類型化してしまうことでその国の人の行動のパターンが容易に予測できるからだと言われている。つまり対象となっている人々の行動を予測するのには便利な指針を与えてくれるのだ。ところがこれは人を語る上で要注意の最たるものなのだ。男の子、女の子、そして外国からの観光客など、十把一絡げ(じゅっぱひとからげ)に捉えることで、個々の人の特性などを無視していることになるからだ。人は皆、一人一人が持つ個性、ユニークさがあるはずだ、と気付かなければならない。
 ところで、僕の家は女の子ばかりの女子優勢家系、僕の弟の家族は逆に男ばかり、なんと孫まで男子三人だ。なんでそんなにはっきりと女系男系で分かれるの?こっちの方が興味がある。

若い時の苦労は買ってでも

2024-06-14 16:02:10 | 日記
 テレビで野球をみているとレギュラーと言われる人たちの動きがなぜか惰性の繰り返しのように見える時がある。みんなそれぞれ自分のプレーに努力しているのだろうけれど。そんな中、新人の若者が活躍するたびに感じることがある。囲碁や将棋の若者の活躍は爽やかさを感じさせるものがあるなかで、スポーツなどでは躍動感が観るものに元気を運んでくれるように思うのだ。
 年寄り仲間に昔の若い時代に戻りたいかと聞けばほとんどの人が特にそうは思はないと言う。「若いことはいいことだなー」と若さを讃美する一方で、もう一度あの時代に帰りたいとは誰も思っていないようなのだ。それぞれの境遇の中で必死に頑張った苦労、厳しさ、“しんどさ”を皆が知っているからだろうか。人生経験は貧弱でいわゆる“青い”と言われる青春とは「心の若さ」である」などと言ったのは「若さ」という詩で有名なサミュエル・ウルマンと日本の松下幸之助氏である。そうだあの頃、もう半世紀以上も昔に吉田松陰や渋沢栄一が言うように、僕は「夢なきものに成功なし」などと鼓舞されてアメリカ留学などと情熱を注いだ頃を思い出す。「若い時の苦労は買ってでもするべきだ」と教えられたこともある。若い時の苦労とはお金を払ってでも買いに行くだけの価値がある、と言う意味だ。具体像の見えない成功を夢見た頃が懐かしい。今、歳をとって思うこと、それは「人は学ぶのをやめた時から老い始める。学び続ける者は若いままだ」と言ったアメリカの自動車王、ヘンリー・フォードの名言だ。