学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

「ひと雨欲しい」と言うと土砂降りに

2023-07-28 16:26:22 | 日記
 日本列島が燃えている。猛暑は当面の間収まる気配はない、などとつれない言葉が聞こえてくる。26日の水曜日には埼玉県の鳩山町では39.7度、昨日は大阪の枚方市では39.8度などという気が狂いそうな最高気温を記録した。奈良では熱中症でなくなる人も出ている。昨日はひと雨欲しい、と空を見上げて「来たれ雨雲」と無言の雨乞いをしてみたりして午前中を過ごしたら、何と昼過ぎから曇り始め今にも雨が期待できそうな雰囲気になってきた。遠く奈良方面で雷鳴すら聞こえるではないか。結局、待てど暮らせど雨つぶは落ちては来なかった。
 雨に対する接し方は、日本とアメリカではまるで異なる。日本人は濡れるのを嫌う。留学中の経験ではアメリカ人は濡れることに大興奮で学生の中には大雨のキャンパスの芝の上で踊ったりもする者もいて、“外に出るぞ、さあ濡よう Let’s get out there and get wet. “などと騒ぐのをなん度も目撃した。プロ野球でも雨天中止になった球場では選手が大雨の中、ホームへの滑り込みを披露したりと、とにかく雨に興奮を覚えるらしい(「悪のり」というのはこういうことを言うのかなぁ)。でも本心は「雨は埃を洗い流してくれる。心配事も悩みも」という。(本当?)
 僕の雨乞いは…この暑さにちょっと涼(りょう)をくれればそれでいいというもの。昔のように風鈴の音がもたらす涼などと悠長なことを言っている暑さではないからだ。でも異常気象の影響で雨が欲しいと気楽には言えないらしい。ひと雨ほしいと言えば無茶降りで、九州の北部や秋田県では甚大な被害をもたらした。猛暑も大雨も、元を辿ればどこかに人災と呼べる要因が…。

蝉(セミ)や花は自分のペースで生きている

2023-07-25 16:52:58 | 日記
 家の周りを掃除しながらセミが大合唱をする木を見上げて考えた。セミのように自分のペースを守って生きていく人生についてである。自分のペースを守る…言うのは容易だけれど、生きる上でこれほど難しいことはない。必死になって努力はしてみたという経験はある。我々人間が自分のペースを守るということはいかに困難なことかは人生途上のどこかで学ぶことになる。
 考えてみれば夏のセミ達や季節の花など自然は自分のペースを守ることの重要性を黙って我々に教えてくれているのではないかと考えた。春夏秋冬、各季節に咲く花は本当に自分のペースで生きている。暑い夏の花はヒマワリや朝顔が代表だ。寒い冬にも咲く花がある。サザンカ、シクラメンなどを思いつく。早咲きの花や遅咲きの花という言葉もある。次いで開花すると言う言葉が思い浮かんだ。全国で進行中の高校野球の地方大会では「投手としての能力が開花した」だの「打者として才能」が開花しただのと一生懸命努力してきた成果が見える形で現れたことを告げる報道が各地の大会で見られるようになってきた。人間も花のようにゆっくりでもいい、ペースは遅くても、いつの日か追いつく日はやってくると若者たちに教えているようだ。
 考えてみれば優れたものほど時間がかかる。昔から受け継がれてきた伝統芸術品を考えてみればよくわかる。人生は自分のペースを守れたら何か立派なことを成し遂げられるのではないだろうかなどと思う気もする。時間と効率を強調して、タイパ(タイムパーフォーマンス)などの言葉も耳にする。特に都会人はこのせっかち時間の呪縛から抜け出せないのかなー。

「こんにちは」ではなく「暑いねー」が挨拶に

2023-07-21 17:01:52 | 日記
 近畿地方の梅雨が明けたらしいとの報道があった。“梅雨明け宣言”の後は暑い本格的な夏の気温で苦しむことになるのが例年のことだ。30歳代の宅配の男性とのひと言もやっぱり「暑いねー」だった。「“心頭滅却すれば…”の精神で頑張ってますわ」と返事が。「えらいことを言うなー」と感心しきり。「心頭滅却すれば火もまた涼し」誰の言葉だったっけ。有名な故事だったけどそれを調べるのは後にして、「どんな苦痛も心の持ち方次第で苦痛とは感じられなくなる」と言う意味だ。無念無想(雑念を退けて無心になること)の境地になれば火でも涼しく感じられる…う~ん、凡人の僕などにはちょっと無理かな、などと考えて苦笑い。
  暑さは即エアコンに結びつく。最近は熱中症対策ということで年寄りはあまり“もったいない精神”を発揮せずに適度にエアコンを利用するようにと勧告されることが多くなってきた。とはいえ、身体を暑さに慣れさせることも大事だと僕は考えている。アメリカではヘレンケラー女史が「我慢を覚えることはまず無理だ、もし世界に楽なことしかないとすれば―We could never learn to be patient, if there were only joy in the world. 」と言って愚痴ばかり言っている人々をたしなめている。そうなんだよなー、何でも簡単に手に入る今日この頃、文句や愚痴を言っているのは恵まれた環境にいる人だけなのかもしれない。でも、やっぱり、僕は老齢。最近では、ちょっと我慢していればだんだん慣れて…とは考えてはいけないらしい。それほど温暖化が進んでいるということだ。

群衆の中の不思議な空白感

2023-07-18 17:02:54 | 日記
 連日35℃前後の暑さが続く中、社会とは、人々の活動とは、などを考えた。まず一つ目は、我が家から徒歩5分未満のすぐ近所で大火事があった。先週の土曜日の深夜11時ごろからくすぶり始めた化粧品梱包会社の倉庫は翌日の日曜日も一日中燃え続けた。とにかくあたり一面に表現し難い嫌な臭いが立ち込めて、我が家から100メートルほど先の家々は風が運ぶ煙の通過道となり時々停滞する煙は本当に周りを“燻製状態”に陥れた。消防車とサイレン、消防士の人達の慌ただしさと、火事場の野次馬、そして警察官の交通整理、大混乱の現場で、一人一人が消えていく。消化活動は、少しは気温の下がった夜まで続けられ、何とか鎮火に漕ぎ着けた。
 もう一つ、炎天下での一大イベント、京都の祇園祭の熱気が全国に伝えられる。京都観光協会が今年始めた特別プレミアム席はなんと一席40万円。観光富裕層をターゲットに、お酒やおばんざいなども提供されるということらしい。祇園祭は僕も二度ほど見物に出かけたが、ただ人混みの中で喘(あえ)いでいただけの思い出しかない。みなさんのお祭りへの熱情に水を差すようで恐縮だが、少し大袈裟に言うと汗とホコリで首から身体中が砂をかぶった様な不快感だけが残った記憶がある。おまけに大阪への帰りの電車の混雑がこの不快感に拍車をかける。花火大会をはじめとして、僕が人出が多い夏のイベントや夏祭りを嫌うきっかけにもなったと思っている。周りの喧騒と群衆の中で気をつけなければ個々が踏み潰されていく。群衆の中でふと“興”が覚めて自分の中に「白け鳥」が鳴き始めるのはなぜだろう。(僕は陽気な性格だと思っているのに…)

蝉(セミ)の一生に哲学を学ぶ

2023-07-14 16:24:03 | 日記
 夜に降る雨のせいで羽が乾かなくて飛び出しに失敗したりなど、気象の影響を受けているのだろうか、今年は庭の木の蝉の鳴き声が例年のように騒々しくない。蝉の大合唱が騒音に変わるに従って、「蝉は何のために生きているのだろう?」と近所の人達となん度も話題にしたことを思い出す。不器用な飛び方をする蝉が何かにぶつかって命を落とすことが多々あって、亡骸に蟻が群がっているのをなん度も目にしてきたから、広い意味で食物連鎖の一環なのだろうとは思うが。
 若い時、友人とアメリカ横断ドライブ旅行をしたことがある。休憩で車を道路脇に停めて、広い牧場に立つ一本の木の影に何頭もの牛が口だけをモグモグさせながら休んでいるのを見ていたことがある。「彼らはすることがないんだよな」、ポツリと友人が言った言葉を何度も思い出すのは不思議なことだ。数年後日本に帰って養鶏場を見学したことがあった。長い鶏舎に何十羽、いや何百羽ものニワトリが自分の体の幅ほどの檻(オリ)?に閉じ込められて騒々しい声を立てながら餌をつつく姿を見たことがあった。アメリカの牛を思い出して、「彼らは他にすることがないんだ」と僕は呟いた。最近では近くの公園の散歩中に、ベンチに座っていた初老の男性がコンビニで買ったというおにぎりとお茶で文字通り一服していたことがあった。「誰も遊んでくれへんからな」と言って二人で大笑いしたこともある。そう言えば人間だって、存在理由や存在価値を問われたら、そんなに胸を張ってできる説明も見つからないのだ。それぞれ道は違っても、結局は同じことの繰り返し、蝉の一生より少しは複雑なものであるだけのことかもしれない。