学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

完璧は目指すものではない

2018-07-30 19:40:45 | 日記

けったいな方向に進む台風12号が通り過ぎても、やっぱりまた暑い。
高校野球の地方予選がいよいよ大詰めを向かえている。前代未聞の暑さの中で、熱中症などには素知らぬ顔で、高校球児が汗だくになりながら甲子園を目指している。僕は野球好きで、甲子園を目指す地方の予選、そして甲子園でひたすらに一つのボールを追う球児達が躍動する高校野球が大好きである。若いことのすばらしさは、この一途の思いだと考えているからである。ベストを求めて努力することはどんな分野に自分がいてもすばらしいことだ。自分を成功や勝利に向かわせるには絶対に必要な姿勢である。
でもこれを間違って理解している人が時々いる。ベストと完全とは別のものなのに完全主義の落とし穴に落ち込む人がいる。間違って理解して、欠点や欠陥を無くす“完璧”を目指す人がいるからだ。完全な人間などいないのに、どこで間違ったのか完璧人間を目指す人がいる。

It’s wrong to expect you to be flawless. (自分に欠点がないことを期待することは間違いである)

間違って完璧人間を目指すと何が行く手に待っているかというと「挫折感」と「欲求不満」である。常に完璧であることなど人間には不可能である。人間は始めからそのようには創られていないのだ。Accept imperfection in yourself ! (不完全であることを受け入れよ!)

偉そうにこんなことを書いている僕自身、ある時期、欠点を無くすことに時間を費やし過ぎて、不完全なのが人間であるということを理解するのになんと時間のかかったことか。その頃を思い出しながら、今頃になって、やっと人生とはとか、人が生きるとは、などということがチョットだけ、ほんのちょっとだけ解ってきたように思うのである。

人生の窮屈さを考える

2018-07-27 20:17:30 | 日記

相変わらずの高温が続く大阪。テレビのスイッチをONにしたとたんに画面に天気予報士さんが映っていて、「手元の温度計ではこの温度を示しています」と局のビルの前だろうと推測される所で報告をしていた。昼間にビデオに収めた温度だと思うのだがテレビをつけたとたんで時間は定かではない。37度を超えた温度を示していた。ネクタイを締めて、スーツを着て、温度を示すiPadのようなものを見せているのだが、そんな暑い真っただ中で、なぜその恰好なのか?もう少し気楽な服装の方がいいのでは、と思わず声に出してしまった。

もうずいぶん昔になるが、アメリカ留学中の女性運動が盛り上がっていた頃、アメリカでは気楽な服装を、という運動があった。女性解放の主張のひとつに服装があった。なぜこんなことを言うかといえば、僕の最初の論文が女性学に関する物だったのである。当時、アメリカで勉強している時には、女性学が本当に新鮮なものだった。ネックレス、ハイヒール、ベルト、など、とにかく何らかの形で女性が身につけるもので女性を縛るものにはNOを突き付けていたのを思い出す。
当時の彼らの主張は次のようなものだった。
I want to dress for comfort. Life is too short to be uncomfortable.
(気楽な服装をしたい。窮屈でいるには人生は短か過ぎる)

今日の学びは、女性学の話しではない。どんな人も気を楽に日々を送りたいとおもっている。
しかし、なんと社会は、人生は、窮屈なことか。仕事をはじめ、さまざまな分野で自らを解放するにはどのような方法が考えられるだろうか。ちょっと一息入れて、考えを巡らすことは大切なことだ。やっぱり自分の得意分野を自覚して、その道を歩むことなのかなぁ。

ハッピーエンドを想像する

2018-07-25 20:25:20 | 日記

やっぱり歳なのかなぁ。なぜか昔のアメリカ生活が不意に夢に出てくることが多くなった。
大昔(?)、怖いもの知らずの精神でアメリカへ行った。50年以上も前のこと。アメリカ留学を果たしたそんな頃、“留学生のための夕べ”と呼ばれるパーティーに出かけた。そのパーティーの後援者の1人に町の有力者、レストラン経営のMr. Tweel という人がいた(現在、彼の店は息子が継いでいる)。Tweel氏に挨拶に行って、いよいよスタートした僕の留学生活の不安や将来の目標などを話した(曲がりながらでも英語は少ししゃべれていた―チョット自慢)。この人の協力で「バイト許可証」をもらって町のコダック写真館のバイトを手に入れた。それからというもの本当にたくさんの人の助けをもらって大学を卒業して、更にもうちょっとだけ勉強を続けてみたりして、それから現在にいたっている。(もっと細かい話をすると面白いのだが、その話は長~~~~~~~~いぃぃことになってしまうので端折る(はしょる)ことにせざるを得ない。

アメリカ文学の授業を教えていた先生が、さかんにアメリカン・ドリームやプラス思考の話をしてくれた。その先生の授業スタイルが、その後の僕の授業スタイルとなった。「きっとうまく行くさ」とこの先生に教えてもらった英語がある。苦しくなった時にはよく声に出して言ったものだ。
I believe in happy endings. Why? Because I am the author of the story of my life.
(僕はハピーエンドを信じている。だって人生という物語の作者は自分自身なのだから)
“人生という物語の作者は自分自身”という英語が好きである。生きるという意味はいろんなことが起きるという意味だ。そのいろんな出来事のひとつひとつに、パピーエンドを探すという努力を欠かさないことだ(おせっかいかも知れないけれどハピーエンドは和製英語)。
すべて物事は考え方しだい――どんなものでもハピーエンドを想像すれば物事は徐々に変化し始めるのだ。

勘という内なる力

2018-07-23 11:24:21 | 日記

暑い!ここ日本は熱帯の国か!子供の頃の宿題の夏休みの日記には「今日の温度」という欄があって書き込んでいた温度は暑い時でも32、33度ぐらいではなかったのかな。自信がないので、時間がある時に60年以上も前の温度を調べてみようと考えている。
人々の生活圏から田畑や緑がどんどん消えて、アスファルトの道、そしてコンクリートの建物などに囲まれて、車で移動する毎日を考えると、環境の変化が夏の暑さを更に厳しいものにしているのだろう。

熱中症の話題がテレビを賑わしている今日この頃、電車待ちの駅でこんな話を耳にした。大阪にあるUSJからの帰りの駅では母親は本能的に子供の体調が分かるという。駅のベンチでおとなし過ぎる子供、公園で走り回る元気そうに見える子供を見ていて母親はすぐに子供の体調の変化に気付くという。母親はなぜ子供が病気かどうかわかるのだろうか。そういえば我々はみんな、独特の“気づき”というのだろうか、勘や直観を持ち合わせている。これこそ個人の持って生まれたパワーだと時々思うことがある。直観的にうまく行くと思う仕事があるかと思えば、「それダメ」と勘が教えてくれるものもある。(今日の学びはこれに決めた!)
この本能に近い勘や直観こそ自分を信じて前を向いて突き進むべし、と自分の人生の道をどちらに進むべきかの方向を教えてくれるものなのかもしれない。
Instinct―it is the power we all have within ourselves.
勘(直観)-それは我々が内に持ち合わせている力である

今日もやっぱり暑っ!えーい、もう一回「暑っつう!」。昨日の夕刻、歳は40歳頃のおじさん、駅前のコンビニで缶ビールを二本買うのを目撃した。家に帰って、「あなた、呑み過ぎよ」と言われる前の予防策か。勘か何かかしらないけれど、他人の生活をかってに想像するな、と言われそう。

失敗の積み重ねが人生だ

2018-07-20 13:42:06 | 日記

僕の人生に大変なインパクトになった大先生が埼玉県浦和にお住みである。昨日この先生に会うために新幹線で出かけて行った。別に悩みがあったわけではない。もちろん理由はあるのだが、説明すると長くなって面倒だからやめることにする。僕はこの先生のことを自分勝手に“Professor Experience(経験先生)”と名付けている。
人生いろいろ、問題は山積みである。どんな人でも自分一人で対応できないものもたくさんある。そんな時に“経験先生”が自分の周りにいると気が楽である。悩みや問題を聞いてもらっているだけで、あ~ら不思議、問題が軽くなったような気がするのだ。

英語で表現してみると…
We don’t have to confront every problem alone.
(人は独りで問題に立ち向かう必要はない)
It is often wise to seek out help and advice.
(ヘルプやアドバイスを求めることは賢明なことであることが多い)
…ってなもんである。

聞いてもらっているだけでという意味は、結局は自分で解決策を探りながら話していて、なんとなく落ち着く先が見つかるのである。
(くどくど自分の悩みを喋っているとどんな経験先生だって居眠りしてしまうことがある。別に僕の経験先生のことを言っているのではない。一応誤解のないように)。

ま、とにもかくにも失敗や‘ダメ’が多いのが人生というものだ。気楽に生きましょう。明るく朗らかに、というのが僕のモットーで、そんな明朗人達が僕の経験先生の近くにいるのも一つの理由で出向いて行ったのである。