学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

貧乏ゆすりと癖

2019-11-22 18:07:51 | 日記
電車を待っている時に駅のベンチに座った若い男性がスマホに熱中しながら休むことなく貧乏ゆすりをしていることに気がついた。それもかなり激しい貧乏ゆすりである。気づかないうちは気にもならなかったことが、気づいたとたんに妙に気になり始め、途端に神経にきだした。とうとうベンチを立ち上がってホームを歩いて別の車両に乗ることに決めた。この男性と同じ車両に乗りあわせてしまったら、これでは電車が揺れるのでは(?)などと考えてひとりニヤッと心の中で笑っていた。
貧乏ゆすりというのは不思議な行動で、これをすることによってストレスを発散することが出来るなどということを何かの本で読んだことを覚えている。そうかもしれない…でも、周りの人には何となくストレスになるのは不思議なことだ。
アメリカで或る家庭に夕食に招待されたとき、19歳の息子さんがとにかくこの貧乏ゆすりの癖があり、食事中に何度も父親が「貧乏ゆすりをしているのは誰?Somebody is shaking…」と注意していたのを今もはっきり覚えている。テーブルが震える程度の貧乏ゆすりだから、かなり激しいものだった。(Shakeシェイクとは‘震える、揺さぶる’、などの意味である)
特に貧乏ゆすりとは直接の関係はないのだが、“癖(くせ)”と言えばもう一つ、アメリカの大学に通っていた時、妙に心に残っていて、ある種学んだと思うエピソードがある。「どんなことでも習慣、癖になればそれがその人の進むべき道である」と話していた級友を思い出す。彼はとにかくギター演奏が大好きで常に自分の左手の指をそろえてギターの弦に見立てて右手で弦をかき鳴らすように揃えられた左手の爪をカシャカシャかき鳴らして歌うのが癖のようであった。この変なギター弾きの隣にはまた変なドラマーがそばにいて二人で最近はよく耳にする“エアー演奏”というのか、をやっていた。このドラマーはとにかく周りにあるものをなんでも鉛筆とボールペンでカチカチとたたいてまわるのが癖であった。何十年も前の昔の本当の話し、僕が留学していた頃の話しだが、彼らは今はどうしているのだろうか。もう歳をとっているだろうが、若い時にはギターリストとして、ドラマーとして成功していたらいいのに。