緊急事態が解除されてまん延防止措置に移行して日常が少しは気が楽になるのかなとほのかな望みをもった途端に先日の日曜日には大阪心斎橋通りは人の群れに埋め尽くされたとテレビや新聞で報道されている。「人は刺激を求める動物である」と言われるように若者を中心に一気に人出が街に集中する現象だ。私たちの多くは常に忙しくしている必要性があるらしい (Many of us feel a constant need to be busy.)というワールド・ニュースを数週間前に見て考えていた。世界中でネット情報ばかりに頼る人々が増えているのは我々の心のどこかにニュースに遅れまいとする欲求があることを示している。スマホはいつでもどこでもほんの数分の隙間の時間を利用して一瞬のうちに日本はもちろん世界のニュースにアクセスすることができるのだ。
とはいえ、便利な反面、いったんこれにとりつかれるとスマホは厄介な長物(長過ぎて用をなさないもの、必要以外のもの、無駄なもの)と言っても過言ではない物に変身するのだ。例えば僕のスマホには歩数計と血圧を記録するアプリが入っている。最近はこの二つの計測をやめた。歩数計は家の中に居ようがトイレに行こうが、とにかく持ち運びをしないと「最近は計測していません」などという注意が出るのだ。血圧の記録は大した変化もない曲線グラフが毎日毎日記録されることだけではなく記録する事に追われることが虚しくなってくるから不思議である。
もう一つ、スマホが証明しているものは「人は沈黙を嫌う傾向にある」ということだ。送られてくるメールやLINEに必ず答えなければという強迫感がつきまとって返信がおくれようものなら罪悪感が何時間もつきまとう。こんな便利なものはないのであるが取り憑かれるといわゆる「スマホ依存症」になる。外敵はコロナ、内なる敵はスマホ。やれやれ厄介なご時世だ。
とはいえ、便利な反面、いったんこれにとりつかれるとスマホは厄介な長物(長過ぎて用をなさないもの、必要以外のもの、無駄なもの)と言っても過言ではない物に変身するのだ。例えば僕のスマホには歩数計と血圧を記録するアプリが入っている。最近はこの二つの計測をやめた。歩数計は家の中に居ようがトイレに行こうが、とにかく持ち運びをしないと「最近は計測していません」などという注意が出るのだ。血圧の記録は大した変化もない曲線グラフが毎日毎日記録されることだけではなく記録する事に追われることが虚しくなってくるから不思議である。
もう一つ、スマホが証明しているものは「人は沈黙を嫌う傾向にある」ということだ。送られてくるメールやLINEに必ず答えなければという強迫感がつきまとって返信がおくれようものなら罪悪感が何時間もつきまとう。こんな便利なものはないのであるが取り憑かれるといわゆる「スマホ依存症」になる。外敵はコロナ、内なる敵はスマホ。やれやれ厄介なご時世だ。