学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

スマホが証明すること

2021-06-29 16:25:41 | 日記
 緊急事態が解除されてまん延防止措置に移行して日常が少しは気が楽になるのかなとほのかな望みをもった途端に先日の日曜日には大阪心斎橋通りは人の群れに埋め尽くされたとテレビや新聞で報道されている。「人は刺激を求める動物である」と言われるように若者を中心に一気に人出が街に集中する現象だ。私たちの多くは常に忙しくしている必要性があるらしい (Many of us feel a constant need to be busy.)というワールド・ニュースを数週間前に見て考えていた。世界中でネット情報ばかりに頼る人々が増えているのは我々の心のどこかにニュースに遅れまいとする欲求があることを示している。スマホはいつでもどこでもほんの数分の隙間の時間を利用して一瞬のうちに日本はもちろん世界のニュースにアクセスすることができるのだ。
 とはいえ、便利な反面、いったんこれにとりつかれるとスマホは厄介な長物(長過ぎて用をなさないもの、必要以外のもの、無駄なもの)と言っても過言ではない物に変身するのだ。例えば僕のスマホには歩数計と血圧を記録するアプリが入っている。最近はこの二つの計測をやめた。歩数計は家の中に居ようがトイレに行こうが、とにかく持ち運びをしないと「最近は計測していません」などという注意が出るのだ。血圧の記録は大した変化もない曲線グラフが毎日毎日記録されることだけではなく記録する事に追われることが虚しくなってくるから不思議である。
 もう一つ、スマホが証明しているものは「人は沈黙を嫌う傾向にある」ということだ。送られてくるメールやLINEに必ず答えなければという強迫感がつきまとって返信がおくれようものなら罪悪感が何時間もつきまとう。こんな便利なものはないのであるが取り憑かれるといわゆる「スマホ依存症」になる。外敵はコロナ、内なる敵はスマホ。やれやれ厄介なご時世だ。

立花隆;本に囲まれて

2021-06-25 17:34:01 | 日記
 ジャーナリスト、評論家、立花隆(たちばなたかし)さんが80歳で亡くなったと知った。4月末に亡くなっていて小さなお葬式、家族葬のあと樹木葬で埋葬されたと新聞記事があった。一時代を風靡した僕たちの時代の有名人が亡くなると、その人を知らない若者も居て時代というものを意識せざるを得ない。立花さんの功績や業績はスマホでも調べればいくらでもあるのであえてその辺は端折ることとする。僕は大学で教えていた時代から立花氏にある種の憧れを抱いていたのは彼が数万冊の本を読み、本に囲まれながら自身も緻密な調査、研究を通して100冊余りの著書を出しているということだ。「知りたい」という情熱を前
面に好奇の塊といえる彼の生き方に惹かれたが、僕自身はそれだけの執念や忍耐がないことで時には自責の念に駆られたものだ。「自分の知らないことは知っている人に聞く」という彼の調査の姿に随分と触発されたものだ。
 どんなことでも「学び」の原点は自分が知らないことを自覚して人に聞き、話を通して知識や技術を習得するということだ。学びのプラスアルファはそんな姿勢から知恵という貴重なものを手にすることができるのだ。何度かこのブログで引用したアメリカ第26代大統領の言葉が好きだ「私は今まで読んだすべて(本)の一部である I am a part of everything that I have read. 」。音楽の分野でもあのマイケル・ジャクソンも本が与えてくれる想像の世界が夢やインスピレーションを引き出してくれることを知っていて「本の中には全く新しい世界がある There is a whole new world in books. 」という言葉を残している。立花隆という偉大なジャーナリストの冥福を祈りながら、スマホの便利さに負けて読書や書くという作業が軽視されている現代に静かな自分だけの時間を確保して本のページをめくる楽しさを思い出さなければと考えていた。

成功の予感

2021-06-22 17:41:08 | 日記
 日曜日の朝10:25、読売テレビの「地球便」という番組で徳之島で“理想の国産コーヒー”作りにはげむ宮出博史さんのことを知った。諸事情から一旦離婚して今も仲良しの元妻内山信代さんは徳之島の出身だ。多分その影響だろう、徳之島に「コーヒーの木研究所」を立ち上げて森の木々と共生するコーヒーの木を育てながら理想の国産コーヒー作りに励んでいる。ふるさと創生をも念頭にコーヒー好きの仲間と島の人々の支援を得ながらのコーヒー作りにとり憑かれた男が宮出さんだ。気温や台風に悩まされながらコーヒーの木を育てる難しさを工夫と忍耐、そして執念で乗り越えてきた人だ。将来の明るい結果の予感が番組を通して感じられた。
 成功した人達の名言を調べて比べてみると宮出さんの執念との共通項が見えてくる。“明確な目標を定めた後は執念だ。閃きも執念から生まれる(安藤百福 日清食品創業者)”とカップラーメンを世に広げた安藤氏の言葉だ。さらに協力者や支援者の重要性を解くのはディズニーランドでお馴染みウオルト・ディズニーだ。“正直に自分の無知を認めることが大切だ。必ず熱心に教えてくれる人が現れる”。さらに南アフリカで人種差別と闘ったネルソン・マンデラ氏(政治家、弁護士、大統領)は“成功するにはどこから始めるのかではなくどれだけ高く目標を定めるかである”と説く。目標を高く物作りに燃えるような情熱が必要だと説くのはアップル創業者のスティーブ・ジョブスだ。“偉大な製品は情熱的な人々からしか生まれない”と彼は力説した。
 僕はコーヒー党ではないけれど宮出さんのように何かをやり遂げようと執念を燃やす人にはいつも可能性を感じる。近い未来に何かすごい喜びが待ち受けているという予感は多くの人が忘れかけた若かりし頃のワクワク感とはどのようなものだったかを思い出させてくれるのだ。

本当の“発明の母”は?

2021-06-18 16:19:51 | 日記
「じゃまくさい、面倒くさい」は料理を男性が表現する言葉なんだって。そう言われれば…思い当たる節がある。僕の場合は朝食のパンやバターや卵の準備をすることすら「じゃまくさい」と感じる。ただ誤解されては困るが僕は腰が軽い方で毎食後の皿洗いであれ、ゴミ出し、庭掃除であれ、部屋の片付け、宅急便のピンポンへの対応にしろすぐに立ち上がるし面倒と思ったことはない。女房が脳梗塞を患ったりしたことから自分が動くことに違和感はない。退職して運動不足になりかけている日常の運動だと思って率先して体を動かすことをむしろ楽しんでいるのだ。
 「じゃまくさい」「面倒くさい」とは手数がかかって煩わしいこと、面倒でできれば避けたい こと、また現代風に言えば「うっとうしい」と思うことである。昔、マクドラルドのアメリカン・ドリームについて学生と調査研究したことがあった。大阪人は「マクド」と言うこのファストフード店はナイフ、フォーク、皿なしに時間短縮、素早く食べる方法を生み出した(McDonald’s introduced a way to eat food without knives, forks or plate.)とアメリカでは言われている。アメリカ人の独特の「邪魔くさい」を回避する方法で成功を収めた。しかしその一方でアメリカではないけれどお隣の国カナダでは“忍耐は美味しい料理の秘訣である(Patience is the secret to good food. )”とマクドへの嫌味のような言葉で料理を表現してゲイル・シモンズ(フードライター)は成功した。“自分は面倒くさがり”だと言うことを英語では「 I am lazy. アイ アム レイジィ;自分はやる気がなく(怠慢な性格)である」と表現する。随分と否定的に「じゃまくさがり」や「面倒くさがり」を表現する。それでもこの“邪魔くさい”という言葉が数多くの工夫や発明のきっかけになったという事実は面白い。世の面倒がり屋諸君、面倒がらずにコロナ禍の日常生活に工夫を加えて楽しみましょう。何かの発見、発明があるかも。

「居眠り」と「うたた寝」

2021-06-15 16:41:05 | 日記
 最近はなぜか昼間に眠気に襲われる回数が増えてきた。コロナの自粛で外に出れないので退屈しているのかと思ったらどうやら老化現象の現れであるらしい。不思議と気候の変化が起こる6月は老人には眠気を催す月であると本で読んだ。(あれっ5月ではないの)僕の経験から言うと授業中に学生が居眠りをするのは5月の連休が明けた頃だ。お陰で、話し方や授業を工夫して随分勉強になったと思っている。いずれにしても睡眠は人生の3分の1を占めると言われている。我々の体は休息を求めていて睡眠はあらゆる健康療法の中でも最良のものであると聞いて、僕は毎日居眠りを楽しんでいる。夜よりもぐっすりと眠れるのが不思議である。
 ところで「居眠り」と「うたたね(転寝)」は似ているが別物であると言う。違いはその体勢にある。「居眠り」とは、その場で座ったままウツラウツラと眠ることで、居眠り運転や勉強中に机に向かった状態で眠ることをいう。一方、うたた寝はソファに横になってTVを見ながら寝てしまったり、春を楽しむように公園のベンチで横になってうたた寝することを指す。漢字がそれを表していて寝転がってと言う姿勢が転寝(うたたね)なのである。
 若い人はそれほど親近感はないかもしれないけれどあの有名な映画俳優マリリン・モンローが「眠る」と言う行為について残した名言がある。“眠りは私にとって最高のもの。その時に少なくとも私は夢を見ることができるから。(The nicest thing for me is sleep, then at least I can dream. )”——彼女はきっと眠っている時にマスコミなどから解放されて自分の自由な空想の中で幸せを感じていたのだろう。僕はと言えば夜の睡眠中にあまり嬉しくない夢を見ることが多いのできっと睡眠の質が悪いのだろうと思う。だから昼に居眠りが多くなるのだ。テレビを見て居眠りは止めようは思うのだが芸能人やタレントと言われる人達の仲良しパーティのような番組が多くて時間の無駄に思えてくる。やっぱり居眠りが一番 Z z z…Z。