学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

散歩とは何かの発見を生み出すもの

2023-10-31 16:17:44 | 日記
 早朝6時過ぎ、今日の日の出の時刻が数分でやってくる時間、空は雲ひとつ無く真っ青で”天高く”とも“空深し”とも表現できそうな気がする。夜露の湿り気と冷気でなんとなく周りの家々に引き締まった清涼感があるのが好きである。近所の数ブロックを約10分ほどかけて一回りする。杖を持って歩く男性の後をゆっくりとついて歩いている女性(多分奥さん)と出会う。ただ「おはようございます」と挨拶の一言で通り過ぎた。
 「早朝の散歩はその日の“神の祝福”」と言ったのは僕の好きなアメリカの有名な思想家ヘンリー・D. ソローである。この人の話をすると長くなるので単に『ウオールデン・森の生活』という森での自給自足の生活を記録した本が有名だとだけにとどめておく。町を嫌った‘早朝の散歩派’である。もう一人、小説が売れずに苦労を重ねたおなじみ『ハリー・ポッター』の作者、J.K.ローリング女史。街のカフェで執筆しながら「夜の散歩ほどアイデアを刺激してくれるものはない」と夜には歩道を歩きながら小説の展開を考えた’夜の散歩派’である。
 人によって散歩の時間やその意図は違うとはいえ、爽やかな気持ちで周りを観察しながら歩き、足元の靴の音を聞いている、などという文学的心は嫌なことを忘れさせてくれる。歩きながら、現役真っ只中の生活をふと思い出す。とにかく忙しくて時間に追われているうちに、自分の人生がどこに向かっているのかを忘れてしまうようなことが幾度かあったように思う。ゆっくりのんびり、人生を楽しむという心の余裕を思い出させてくれるのは散歩というものだと思う。

本とドア、開けば何かが見えてくる

2023-10-27 16:42:23 | 日記
 スーパーへの買い物や近くの医院に血圧の薬をもらいにいくなど、毎日少なくとも何かすることはあるのだが、今日に限っては本当に何も予定がない。そんな日の予定は新聞の囲碁の対局を碁盤の上に再現しながら”ひとり時間"を楽しんだりするのだが、今日は読書日ということに決めた。今日から読書月間が始まることと偶然重なった僕の暇な一日のことを考えていると、「読書の秋」などと最初に考えた人は今日の僕のような心境の人だったのかもしれない。
 最近は大学時代の授業などに関する書籍から離れて、全く別の分野の本を楽しんでいる。例えば磯田道史著の『日本史を暴く』(中央公論新書)や『バカの壁』(新潮新書)で知られる養老孟司氏の一連の著書などである。今日はそんな系統のものからも離れて気楽に読める『47都道府県おんな一人で行ってみよう』(益田ミリ著、幻冬社文庫)を選んだ。本屋さんの入り口に山積みされていたから数日前に買ったものだ。女性に限らないだろうが、一人旅というのは誰にとってもなかなか難しいところがある。一人で入る食堂やレストランはなぜか勇気がいるし、泊まる場所だって旅館は場所によっては予約が難しいかもしれない。でもこの種の本はそばで女房の見るテレビがついていても読めるし、場面などいろいろ想像できる面白さがあって気楽である。本とは不思議な力を持っていて、読みたいという欲望を持っている人ならどんな人でも持ち合わせている想像力を刺激してくれるものだ。我々は実際にモノを見て触って学ぶことが多いように思うけれど、読むという行為によって理解という本当の学びの領域に入っていけるのである。

引越しとは新しいドアを開くこと

2023-10-24 17:48:51 | 日記
 近所の年寄りたちが各々自分なりの散歩で足を鍛えているようだ。僕も遅れを取ってはいけないと、毎日ではないが気が向けば早朝に近所を歩いてみて驚いた。日頃は注意もしなかったけれど、あちこちに更地が目立つだけではなく、新築の建売住宅が新しい住人を待ち受けているように建っているのだ。そういえば引っ越しセンターのトラックが走っていくのを割合頻繁に目にするようになってきたような気もする。新しい家に越してくる人は多分若い新婚さんだろうか、いや狭いマンション住まいに子供が増えるに従って手妻になることを予測しての引っ越しだろうか。今朝は二歳ぐらいの男の子と犬を連れて散歩をしている親子に出くわした。「近くに越してきたので…」というこの親子に朝の挨拶だけで済ませてお互い笑顔で通り過ぎた。
 人間は一生のうちに何度引越しを経験するだろうか。僕の場合はアメリカに住んでいる時、大学の夫婦寮の部屋を数回移動したことと、卒業とともに住む場所を東部から西部に大移動したこと、そして帰国に際しての引っ越しなどを経験した。アメリカの人たちは引越しを頻繁に繰り返す傾向がある。家計の増減に合わせて彼らは気楽に仕事も変わるし住む場所も変える。それから忘れてはいけないことは彼らは引越しを全般的にプラスとして理解していることだ。若い周りの家族などが自分の夢を追って引越しを繰り返すのをよく目撃したものだ。「人生は自転車に乗るようなもの。未来をよくするために足を動かし続けなければならない」と言った友人に刺激された日のことが思い出された。

秋は来年への準備の季節

2023-10-20 16:13:32 | 日記
 朝6時、庭に出てみると空気はキュッと身が引き締まるような爽やかさである。秋の空は青さが深く、まさに天高く…を実感できる雰囲気がある。僕の秋はこのブログにも何度も登場させた庭の二本の木犀(モクセイ:高さ約4.5m)とともにやってくる。二本というのは金と銀の対になった木犀である。早朝には特にあの香水のような甘い爽やかな香りをあたり一面に撒き散らす。金木犀の小さな花は橙色(だいだいいろ:赤みがかったオレンジ色)、銀木犀の方は真っ白に近いが薄い黄色が混じったような小さい花だ。翌年に向けて、たった一週間ほどの命なのだが道行く人は必ずといっていいほどちょっと見上げて匂いを嗅いで通り過ぎていく。汚染された空気の中では花を咲かせないといわれる敏感な木犀は秋の空気の素晴らしさを教えてくれている。
 木犀は常緑樹で他の色づく木々とは違って葉をある時期に限って落とすことはないように思う。それでも枯葉が根元に溜まるので年中掃除が少し大変である。家の庭から遠くに目を転じると、生駒の山の紅葉が季節の変化を教えてくれる。まだ時期は少し早いが紅葉する木々は人生を表現しているように感じる時がある。紅葉する木々の葉が自分の一生をそれぞれの色付けで終える様子に感動を覚える。木々は葉を落とすことで次の年、未来につながる断捨離を断行する。英語でAutumn leaves don’t fall. They fly.(秋の葉は落ちるのではなく翔び立つのだ)といわれることがある。詳しい解説は避けるが、これは洒落た言い回しで、"autumn も fall(落ちる)” も秋を表す単語だ。「終わりを美しく」、自然界では世代交代が本当に見事だといわざるを得ない。

新聞で自分の生存を確認する?

2023-10-17 16:22:45 | 日記
 今朝もまた最初の行動は新聞を取りに郵便受けに向かうことだった。聞くところによれば、新聞はなぜか老人と結びつくらしい。特に理由などを考えたこともない習慣だったのだが、年寄りに新聞好きが多いという話を耳にしたのである。なぜだろう…ちょっと考えてみることにした。
 新聞の素晴らしさというものは日本、そして世界で起こっている出来事の主たるものを約30ページの紙面に網羅していることである。情報の欠如から世間に置いてきぼりにされることを恐れる老人達は新聞を読むことである種の安心感を覚える。情報収集はテレビでもできるのだが、年寄りのペースではない。じっくりとフォローできるのは新聞なのだ。そこで、自分の興味を刺激した記事は切り抜いてノートなどに貼り付けるなどという作業を楽しむようになってくるというのが一般老人がハマる習慣であるらしい。気がついてみれば何か特別な理由があるわけではなく単なる癖と呼ぶ方が当たっているとさえ思える行動となる。(現役の人の新聞の切り抜きは仕事に関係する記事の収集などで老人のそれとは中身が異なる)次に考えられる新聞との付き合いは、忘れる傾向にある漢字を確認するということである。現在の世間の傾向や考え方を確認できるだけでなく漢字の反復練習にもなって今度は忘却という恐怖から少しは解放されるのである。
 素直に年寄りの新聞との関わりを考えるとこういうことになるのだが、新聞にだって偏りがあることを忘れてはならない。それでも自分の意見の形成のためにはいろんな記事に露出されることは大切だ。老人と新聞、それは自分が生きているという確認の習慣なのかもしれない。