学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

打ち上げ花火に人生が見える

2023-08-29 16:14:34 | 日記
 先週の土曜日に東大阪市の花園ラグビー場公園で花火大会が催された。暑い、暑いと文句を言いながら、たとえひと時のことといえ、涼を求めて人々は夜の花火大会に足をむける。(本当は人手に圧倒されてますます暑くなるのだが)日本の各地で花火大会がたけなわだと聞く。日本に限らず外国でも花火の好きな人は多い。あの派手な打ち上げ花火は世界中のどの大会でも花形だ。どど~んと腹に響くような轟音があるかと思えばパチパチと人の注意を引きながら上昇して上空でドンと響く音、バンバンと表現できるような音、など様々だ。音は上空で光や色との共演の中で強調されて火の大輪の花を咲かす感動のひと時である。
 空を見上げて花火の行方を追いながら、花火は人間の一生を表現しているようなものだと感じた。若い時に社会に飛び出して行くように、上空に勢い込んで駆け上って 光を放ち、思いっきり爆発してそれぞれの道へ、そしてゆっくりと下降して、その姿は消えてゆく。人生のどこかで輝ける機会があることを願いながら若者は社会へ散らばっていく。輝けたら素晴らしい、いや、きっと人知れず輝いているのかも知れない。最後に残るのは突如として空を支配する暗闇の世界。大空で燃え尽きて暗闇の世界に戻って行く花火とは夜の芸術という名にピッタリだ。ところで、アメリカの人達にとっては花火は独立記念日と結びつく。イエイ!、ゴー、Go! “花火のように飛び出せ!Take off like fireworks.” と自らを駆り立てる何かがあるらしい。そういえば、花火は見上げる空の大輪の花、気持ちを昂らせる何かを感じさせてくれる刺激がある。

ゲリラ豪雨、嵐の中に立ってみた

2023-08-25 16:58:37 | 日記
 残暑などという程度の暑さを超えた暑さ(ややこしい暑さの表現)の続く毎日、ひと雨欲しいと毎日のように呟いていたら本当にひと雨が。ただそんなに狂ったように降ってくれとは頼んだ覚えはない。昨日の午後2時からの30分余り、僕の住む東大阪では強風に猛烈な雨、そして恐ろしい轟音(ごうおん)の稲光りと雷、あたかもこの世の終わりかと思わせるような天候に唖然とした午後のひと時であった。日本ではこの種の嵐には”ゲリラ豪雨”という名前がついている。暴風雨(rainstorm)と激しい雷雨(thunderstorm)の二つが一緒になったものと言えばそれがどんなものかを表現できるのではないだろうか。
  僕も物好きで、あまりのすざましさに思い切ってカーポートの下にしばらく立って水しぶきと激しい風、そして辺りを震わす雷の音を感じてみた。昔、アメリカ留学時に「アメリカ文学」の授業で音楽家や詩人、そして作家は荒れ狂う空や海に憧れる。彼らは嵐の中で感じる人のことをいう、などといったことについての意見交換というか発表会のようなものがあったことを思い出した。忘れられない授業の一つであったように思う。 感情の爆発からアイデアが生まれる。確かに荒れ狂う風と雨、そして稲光りと激しい爆発音は、自然の激しさや怒りに似たような表現で、それらを肌で感じる時に不思議な心地良さがあるのだ。3時を過ぎて徐々に嵐がおさまって、浄化されて澄んだ空気、掃き清められたような道路、嵐の後のこの静けさは一体何を意味するのだろう。西の空の雲の間に現れた太陽は雨の前よりはるかに美しい夕焼けを描き出していた。

真夏の日差しとヒマワリの花

2023-08-22 16:13:28 | 日記
 とにかく暑い。先週の台風7号が近畿地方を縦断した日の近辺の気温以外は大阪では平均34度~37度の間を行き来する暑さである(ちなみに昨日は37.7度)。この暑さの下で野球をする高校球児達はプレイすることを楽しんでいるようだが、僕などには “修行”という表現が当てはまるのでは、とすら思ってしまう。僕の行動と気温を記録する日記を調べてみると、一昨年、昨年のこの時期は平均すると大体33度程度となるからいかに今年は暑さが異常なのかがわかる。
 真夏の日差し(sunshine サンシャイン)を庭で感じると頭に浮かぶのは向日葵(ヒマワリ)だ。別に特別な思い出があるわけではないが子供の頃に麦わら帽をかぶった近くの農家のオッちゃんが僕の背丈を超える背の高い向日葵を数本育てていて、よく太い幹を触らせてもらったものだ。向日葵は栄光の象徴といわれて花言葉は「憧憬」だという。すっくと伸びて僕を見下ろすこの大きい黄色い花を見上げていると、何となく晴れ晴れとした気分になって確かに何とも言えない憧憬の念に近いような感覚を覚える。太陽と日差し、麦わら帽子、そして向日葵と並べると暑い真夏を表現できる。35度を超えた気温はそんなノスタルジックなことを言っているような呑気な気温ではないけれど、”今日を元気に! Live for today!” と花が声を掛けてくれる。そう言えばアメリカ留学中、”Hi, sunshine! ”と声を掛けてくれる大学の先生がいた。「よぉ、お元気さん!」とでも訳すのかな。暑い、暑い、とばかりに口にしてへばるより、ちょっと他のものに注意を向けるのも暑さを忘れるコツかもしれない。(それにしても、やっぱり暑っつ!)

「先延ばし」しても良いことがある

2023-08-18 16:28:45 | 日記
 ハワイのマウイ島のラハイナ市の惨状と日本の台風7号の爪痕がテレビのニュースで映し出される。自分の家が焼失したり、洪水や土砂崩れで家が消失したりした人々が「明日はどうなるのか…」と途方に暮れる姿に、“明日” という言葉に敏感に反応している自分がいることに気がついた。僕が歳をとって明日という日を気にするようになったからなのだろうか。(断っておくが僕はまだ人生の残りの日にちを数えるような切迫した状況にはない)
 明日という日が来るのかどうか分からなくなるような出来事が身に降りかかってきた時の心境の表れが「明日はどうなるのか…」と呟く時だ。今日という日が信じられなくなると明日のことなど考えられない。今日があって明日への計画が明確にある時には気持ちが高まってやる気が引き出されるのが人間だ。アメリカ行きを決意した60数年も前に学んで僕の座右の銘のひとつになった言葉がある。「夢が上流にある限り、泳ぎ切らなければ流されて夢はどんどん遠ざかる」
 (僕のことはさておいて)世界中でさまざまな試練を経験してきた人々は、諦めては何も起こらないということを知っている。今日は厳しく、明日も厳しいかもしれないけれど、明々後日(しあさって)には何か光が見えてくるかもしれない。途方に暮れる人々にとって、昨日がただの苦い思い出でとなり、明日が今日の夢になる日が1日も早く来るように祈るだけである。本心ではないにしても「もう死にたいよ」という人には、死にたいと思うことだけは “先延ばししても良い” と伝えたい。(日常生活での“先延ばし禁止主義者”の僕が言うのだから間違いはない)

「地震雷火事親父」に台風がない?

2023-08-15 16:20:18 | 日記
 アメリカでは見知らぬ人がすれ違う時には「ハイ!」で済む。「どう元気?」ぐらいの声掛けがあるかもしれないが。大阪での声かけは皆が人懐こいのである。昨日の朝、家の前を自転車のおっちゃんとおばちゃんがすれ違った。「台風来るで」「ホンマや、きつうなかったらええのにな」となる。知り合い同士だとは思うが後は会話なし、自転車はそのまま通り過ぎていった。
 そして今朝5時、和歌山に上陸した台風7号はゆっくりと時間をかけて大阪へ、そしてさらに北東に向かって進んでいるという。僕の済む地域では10:00現在、風雨は断続的に強くなったり弱くなったりを繰り返しているが特に危険レベルではない。ところで、僕は台風が来ると「地震、雷、火事、親父」を思い出す。例えば親父が怒り出したら、じっと我慢、怒りが通り越すのを待つことが賢明だという教え。なぜ台風がこれに含まれていないのか、いまだに不思議でならない。台風ほどじっと通り過ぎるのを耐えて待つという教えにぴったりなものはないのに。
 英語格言に“嵐は木々にしっかりと深く根を張らせる Storms make trees take deeper roots.” というのがある。僕が生まれる前からある庭のカシや木犀の木が風に煽(あお)られながらじっと耐えて嵐が通り過ぎるのを待っている姿は、過去に何度も大風に耐えて土中深くにしっかりと根を張っている姿だと思って見つめていた。台風をはじめ自然現象は人にいろんなことを教えてくれる。“雨の後には虹があり、嵐の後には静けさが、夜がくれば朝が来る、終りがあれば始めがある”、外の風の音を聞きながら、そんなことを考えていた。