学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

雑学:数字「3」の研究

2022-05-31 16:52:55 | 日記
 先週の金曜日は3割打者にみる人生の捉え方、「人生うまくいくのは3割、だから気楽にいこう」を書いていたが、その過程で気がついたことがあった。25日のセリーグの打撃成績1位は横浜DNAベイスターズの佐野恵太選手、打率は.333。あくる26日は同じDNAの牧秀悟選手で打率はやはり.333、そして27日にはまた牧選手の.333である。打撃10傑の一位が三日連続の3割3分3厘に不思議な数字「3」の雑学を思い出した。
 もう50年も前の話だが、数字の「3」は不思議な力を持っているということで「3の研究」をしていた人がいた。たとえば三角形はどの頂点から圧力をかけても壊れない強固な形、アメリカの自由の女神の内部構造も鉄骨がいくつもの三角形で強固に全体像を支えているという。日本の諺にも三が特別な意味を持っていることを示するものが多くある。「石の上にも三年」は特に仕事を中心に、忍耐強く三年辛抱しながら技術をマスターすることで冷たい石が温かくなって全てが好転するというものだ。そうかと思えば、三日で熱が冷めてしまう恋愛やダイエット。僕は昔、夜は7時から12時まで受験勉強、などと決めたくせに三日でギブアップ、これを「三日坊主」ということを身にしみて感じたことがあった。キリスト教の「三位一体」は神とその子、そして聖霊が一体という教理で三者が一つになって力となる。3の付く物語など、3を集め出したらキリがない。雑学的に研究や調査に興味のある人は3の付くものを集めると面白い発見がありますよ。新しい発想もまた「馬上、枕上(ちんじょう)、厠上(しじょう)」の三上から生まれるという。

「完璧」は存在しない

2022-05-27 16:00:35 | 日記
 新聞などに人生相談を投稿する人は理想主義者が多いのでは? 相談者のみんながそうだと言っているのではないが、相談に僕ならどう答えるかなどと考えているとそんな傾向があるように思うことがある。そもそも理想とは手を伸ばしても届かないものだから理想なのだ。それでも理想や完璧と言われるものに近づこうという努力は評価されるべきである。その過程で注ぎ込まれるエネルギーというようなものには我々を惹きつける何かがある。話は飛んでしまうが、僕がプロ野球をはじめとしてスポーツが好きな理由はまさにそのエネルギーを感じることができるからだ。選手たちが自分の技術を理想に近づけようと努力する姿に惹かれるのである。
 たとえばプロ野球。打者が目標としている打率に注目すると、大抵の彼らにとっての成功とは3割を超えて打率を残すことである。新聞のスポーツ欄の打撃部門を調べてみると、木曜日の朝刊では3割打者はセ・パともに各4人しかいないのである。今日、金曜日の朝刊ではセが4人、パが2人に減っていた。3割打者と言って賞賛される選手は10回の打撃で3回しか成功していないことに気づくのである。つまり人生は振り返った時に3割程度の成功で “良し” としなければならないのだ。理想や完璧を追い求めて自己反省ばかりをして悩んでいる新聞の相談者諸氏、この意味を考えて、もっと気楽に毎日の悩みに対応するのがいいのにと思う。自分の配偶者の文句を並べている人生相談者には、“もともと人は皆不完全であることに気づいていなかったあなたの不完全さに気づくべきである”。な〜んだ、やっぱり反省か…でも行き過ぎ…それダメ!

自分だけの持ち物

2022-05-24 18:46:56 | 日記
 天気も良くなってきて、庭に出て新緑を見ながら日々のことを考えていた。「いい経験になった」「いい教訓になった」と思う日は何かの失敗をした日であまり良い日だとは言えないのかもしれない。いい日というのは素直に楽しかったと思える日で、なんらかの思い出に残る日だといえる。自分の1日の行動をプラスに考えるか、マイナスに考えるかは生き方にまで影響してくる。もっと歳をとって「あなたの人生はどうでしたか」などと聞かれた時に、楽しかった、充実していた、などと答えることができるようにプラス思考で生きていければと思う。
 僕は物の見方や発想の転換を考える時は楽観主義(プラス思考)と悲観主義(マイナス思考)の考え方の違いでそれを学ぶのが一番わかりやすくて面白いと考えて、大学の授業でもよく利用した。当時はこまめにシステム手帳などにメモを書いて集めたものだ。亡くなった両親の家の片付けで最初にこのメモが生かされた。“楽観主義的考えは完璧を求めないから、少しづつ前に進めることができる”、しかし悲観主義的思考者は「無理!」と一言、手をつけようともしないという。他にも “楽観主義者は飛行機を発明しようとするけれど、悲観主義者はパラシュートを考える” などがある。この延長で、菓子のドーナツの真ん中の空間は無駄、その分食べるところが少なくなって損というのが悲観主義。(僕は中の空間が詰まったシュークリームが好きでよかった)
 話を戻して僕の人生とは僕が生きた毎日毎日。人生は自分だけの持ち物だ。存在しているだけにならないように、元気で人生を楽しむのに少なくとも後何年も(“しか”ではない)残っている。

真の姿は裏面に

2022-05-20 17:23:54 | 日記
 カンカン照りの下での草刈りは耐えられないが、しばらく曇りの日が続いたので裏庭の草刈りが例年になく進んだ。僕を悩ますのは“毒ダミ”という酷い名前をつけられた雑草である。毎年5月のこの時期は多分彼らにとっての最盛期なのだろう。濃い緑のハート型の葉っぱから茎、そして白い愛らしい花まで引き抜いたり踏みつけたり、なんらかの傷を負わせれば独特の悪臭を放つ。厄介なのはあたり一面に張り巡らせた地下茎だ。これを根絶することは不可能で毎年庭の塀などに沿って繁茂するのだ。嫌われ者のこのドクダミを刈る時にはいつも思い出すことがる。
 子供の頃に祖母に煮たドロドロの葉を軽くすりつぶして傷口に塗りつけられたのを思い出すのだ。軽い腎臓病を患った時には煎じてお茶にしたものを飲んだことも記憶している。つまり昔の人はドクダミを火傷(やけど)や化膿した傷の治療に解毒薬として使っていたのだ。葉を軽く乾燥させてから煎じてお茶のようにして飲むと利尿や便通などにも効能がある。悪評の裏に人の役に立つ薬としての効用があり、まさに 二面性を持った(two-faced )雑草なのだ。
 人や物の真の姿は見た目や評判ではなく隠れた裏面にある。電車の中で強面(こわもて)のお兄さんに席を譲られたことがある。ドキドキと恐縮と嬉しさを同時に味わったことを思い出す。勲章メダルには裏と表があると英語(Every medal has two sides.)ではいう。戦争の英雄に贈られる勲章は敵の殺害という裏の面がある。プーチンが兵士に送るメダルにはどのような裏面が隠されているのだろうか。戦争で叫ばれる愛国心、愛と憎しみは同じコインの裏表(うらおもて)…

老脳を刺激した「ぶっちゃける」

2022-05-17 16:19:22 | 日記
 朝は皆が黙々と目的地に向かう。先日は新一年生だと思われる子供が二人、黙って肩を並べて学校に向かって歩く姿を目撃した。ランドセルがピカピカで真新しいからそう思った。後ろ姿はまるでランドセルから足が生えたのかと思わせるほど背中のランドセルが大きく見える。手には何やら布袋を下げていて、一年生とはこんなに小さくて可愛いのだと目で追った。
 今日は別の新一年生の三人組が僕の家の前を家路に向かって賑やかに通り過ぎた。ところが30メートルほど先でどうしたのか突然一人が何かにつまづいて両手を地面に前のめりに倒れ込んだ。あっという間の出来事で、背中のランドセルから中の教科書、鉛筆などが道路に飛び出したようだ。ランドセルの蓋の部分をきちんと止めていなかったのだろう。「だいじょうぶ?」という後の二人の声と「たけちゃん、ランドセル“ぶっちゃけた”」と隣を歩いていた子が叫ぶと、なぜか三人が大笑い。気まずい気持ちを笑いで誤魔化しているのだ。倒れた本人も立ち上がって大笑いでひとまず安心した。「ぶっちゃける」という言葉がなぜか僕の耳に残った。
 「ぶっちゃける」とはいろんな意味を持つ言葉。“本音を隠さずに話すこと” などと辞書にはあるが、確かにカバンなどの中身をすっかりぶちまける時にもこの言葉は使われる。僕の断捨離は机の引き出しをまず床の上にぶちまけて、引き出しを空にすることから始まるのだ。“ぶっちゃけ”、引き出しの中には後生大事に大切にしなければならないものなど厳密にはほとんどない。歳をとるとはそんなものを早く整理、身軽になることだと気づくことだ。