他人に大きな顔をして見せられるような写真は撮れないのだが、なぜか僕はカメラが大好きである。旅行などで外に出ると特によちよち歩きの子供から5歳程度の子供の動作や言動を観察する癖があってカメラを向けてシャッターを押す。日常の外出で最近はスマホで写真を撮れるようになって重い一眼レフを持ち運ぶ必要がなくなったので子供のスナップなどは容易になった。アメリカへ個人的に旅行する時も重いカメラを肩から下げていたし、仕事で学生を引率してアメリカの大学での語学研修などの際にも周りの風景や看板(大学で看板英語を研究していた)などを写真に納めていて、撮影した一連の写真の中には必ず子供の公園での遊び姿や保育園の先生に引率された子供の公園散歩の様子などの写真がある。街に出てはいろんな場面で子供の様々な状況に出食わした。とにかく子供は可愛い。もちろん可愛いだけがその理由ではない。海外での子供の観察ではどこかに子育ての違いを感じさせるような文化比較ができる面白さがある。腕に色とりどりの紐を巻きつけて公園を散歩する保育園の子供達グループ散歩の風景は、なんとなく紐で拘束されているように見えてあまり好きではなかった。でもそれがアメリカでは当たり前なのだ。日本なら男の子と女の子が二人づつ手を繋いで行列している光景が常識である。
写真には撮れなかったが昨日の外出時には例によってつまづいた男の子が泣かずに立ち上がってズボンを払い、そして母親の方にかけて行く姿があった。この子の母親は手助けをしなかった。だだ、「すごい!泣かなかったね」と声をかけたのだ。僕は逆にこの母親が「よしよしかわいそうに」と子供に声をかけなかったことを褒めてあげたい気持ちでいっぱいだった。子供が転ぶことには国による違いはない。アメリカの親はあまり「よしよしかわいそうに」は言わないように思う。自立が大切なしつけの一つだからである。転ぶということは世界中の子供の専売特許なのだから転んだことぐらいでメソメソするな、という精神だ。
“さぁ立ち上がって、パタパタして(ホコリを払って)、出直そう! (Get up, dust yourself off, and begin anew! )” 歳をとっても自立の精神を大切にしようと思っている。
写真には撮れなかったが昨日の外出時には例によってつまづいた男の子が泣かずに立ち上がってズボンを払い、そして母親の方にかけて行く姿があった。この子の母親は手助けをしなかった。だだ、「すごい!泣かなかったね」と声をかけたのだ。僕は逆にこの母親が「よしよしかわいそうに」と子供に声をかけなかったことを褒めてあげたい気持ちでいっぱいだった。子供が転ぶことには国による違いはない。アメリカの親はあまり「よしよしかわいそうに」は言わないように思う。自立が大切なしつけの一つだからである。転ぶということは世界中の子供の専売特許なのだから転んだことぐらいでメソメソするな、という精神だ。
“さぁ立ち上がって、パタパタして(ホコリを払って)、出直そう! (Get up, dust yourself off, and begin anew! )” 歳をとっても自立の精神を大切にしようと思っている。