学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

孫が来た。筋肉痛には二種類が

2023-03-31 17:08:43 | 日記
 最近の子供達はとにかく忙しい。時間がない。理由はお稽古事だの塾などと1週間のスケジュールがきちっと決められていて自由な時間が取れないのだ。そんな孫達が与えらえたたった1日のフリーな時間を利用して僕の家にやってきた。そこで考えたのが部屋の模様替え。僕が親からもらった立派な机、僕が社長机と呼んでいたものだ。とにかく重い代物で、部屋から部屋への移動はなかなか一人ではできない。そこで小学生の男孫と高校生の娘孫、そして僕の三人で移動を試みた。一旦は庭に運び出して玄関の広いドアから別の部屋に移動させるという作業である。部屋と部屋を結ぶ通り道が狭すぎて机を通す空間が確保できなかったからだ。なんとか1時間強で移動して部屋の模様替えは大体落ち着いた。今日は身体中が筋肉痛だ。
 ほんの数年前までは孫を抱っこする筋肉への負荷が、孫の成長とともに増してきて、孫の世話で筋肉痛を起こしたものだ。あの有名な川柳、「来て嬉し帰って嬉し孫の顔」をしみじみと味わったものだった。今回の彼らとの共同作業のひと時は今までに経験したことのない喜びのひとときで、彼らの成長がなんとも言えない幸せ感を僕に与えてくれた。孫という存在はなぜこんなに年寄りに肯定的な感情を呼び起こすのかを考えた。アメリカいる時、祖父母と孫の関係でなるほどと納得した説明を耳にした。“おじいちゃんやおばあちゃんが家にやってくると家の規則が窓から外に逃げていく (When grandparents enter the door, discipline flies out of the window.)” というものだ。何だかんだと言いながらおじいちゃん、おばあちゃんと孫は仲がいい。お小遣い、という存在もどこかに隠れているのかも。

情熱があるから頑張れる

2023-03-28 16:41:46 | 日記
 優勝候補、大阪の桐蔭高校が出場する甲子園、朝の8時30分から放送が開始された。素晴らしい青空もの下での試合で良かったとはいうものの、「なんとまぁ早うからご苦労様やなー」という思いが。それにしても「人生、高校時代が一番輝いていた」と言う人が多いと聞く。僕が高校生の頃はあの有名な舟木一夫の歌謡曲『高校三年生』などの青春モノの歌が流行った時代だった
 青春を賭けて野球に一生懸命の高校生達を見ていると、一つのことに懸命に挑戦する姿に心を打たれる。相手の能代松陽は秋田の高校だ。息を呑む接戦に“判官びいき”が顔を出す。別に能代高校が弱いと言うわけではないが、冬が長い秋田の高校生が懸命にプレイする姿に贔屓(ひいき)心が芽を出すのだ。「成功とは努力に負うところが多い Success is dependent on effort. 」と言ったのはあのギリシャの三大詩人ソポクレスだ。アメリカではウォルト・デズニーが「成し遂げたものがなんであれ、それはいろんな(人の)努力の結晶だ Whatever we accomplish is due to the combined effort. 」と言った。“成功”とは何をもって、と言う問題は残るが、兎にも角にも成功するにはまず一つのことに集中する強烈な興味が必要だ。熱中させる情熱というものが必要だ。高校時代という人生の一コマにはそんな情熱がある。だから高校野球は人の心に残るのだと思う。優勝候補の大阪桐蔭は1:0で試合を制した。校歌を歌う桐蔭の選手達、そしてその校歌を聞く能代松陽の選手達、お互いの心を行き交うものはなんだろうか。精一杯戦ったという満足感は情熱に基づいた頑張りというものががあるからだ。今朝はそんなことを考えていた。

憧れているだけでは勝てない

2023-03-24 16:19:25 | 日記
 WBC、野球の世界大会の決勝戦、対アメリカ戦を前にして、あの大谷翔平が今後も長く引用されるだろう名言を残した。スター選手が集まったアメリカチームを前にして『今日1日だけは彼らに憧れるのは辞めて勝つことだけを考えていきましょう。さぁ、いくぞ!』と全員を鼓舞した。数時間後、日本時間の正午少し前、WBCは日本の優勝で幕を閉じた。投打共にMVPを受賞した大谷翔平の凄さを再確認させれられた。テレビに映し出される選手と応援に来た人々の嬉しそうな顔、顔、顔。マスクをとって、地肌の姿をみせた人々の笑顔は本当に素晴らしい。まさに、球場の人々は勝利に大喜びだった (People in the ballpark were overjoyed by the victory.)
 あくびや眠気が伝染することは誰でも経験上知っている。これはいわば「負」の伝染だ。しかし、今回の伝染は「正」の伝染。人が喜ぶ顔を見ていると、自分の顔にも笑みが溢れてくる。プラスの伝染とは素晴らしいものだ。“喜びや幸せは外からやっては来ない。それは自分の内から出てくるものだ” とよく言われる。自分の本当の喜びは人から与えられるものではなく、自身の内から自然発生的に湧き上がって作られるものだと教える。しかし、外からやって来て自分に乗り移ってくる喜びもある。そんなことを知った日本チームの優勝だった。
 喜びという感情だけではなく、人生を左右するものは全て心の持ちようだ。生きる途上で降りかかってくるいろんな苦難、それを不幸と呼ぶか教訓と呼ぶかも、やっぱりその人の心の持ちようだ。難しい理屈づけは必要なし、今回は野球ファンと共に素直に大喜びだ。

忘れかけているものを思い出す

2023-03-21 16:26:43 | 日記
 春分の日、そして春のお彼岸、例によって今年もあまり僕の心にあることを思い通りに先祖に伝えることもできずに我が家の古い墓へのお参りを済ませた。ただ今年は少し今までと違って後期高齢者の新人の弟と後期高齢者のベテラン87歳の姉の三人でそろって墓参りを済ませることができたこと。ある意味、珍しいことだし喜ばしいことだ。先祖があるから今の自分がある、僕はそんな気持ちでいつも墓の前に立って手を合わせる。たったそれだけだ。
 先祖の供養をすることで、僕の家族を想う心と、感謝の思いが心の中に湧き上がる。やっぱりお墓参りは子供や孫、次の世代に受け継いでいくべき大切な日本の文化なのだと思う。ご先祖の皆さんは僕が会ったこともない人達だ。それでも心のどこかに彼らが生きているという気持ちを墓の前に立つことで表せたらそれでいい。僕という人間が生きている限り先祖の存在があり彼らは僕の一部なのだと思う。苦しい時、悩みがある時など、何度か墓前で手を合わすことをした。先祖の存在とは、激励、インスピレーション、を与えてくれるもので、墓の前で手を合わせることで、なんとなく心の整理ができるような気がするのだ。ところで、アメリカの墓碑には個人の名前に添えて、“愛に溢れた思い出の中で In Loving Memory ”などと刻まれているものが多い。僕が留学時代に世話になったご夫婦の墓石には “あなたがたはいつも私達と共に。神の愛の下での冥福を。You are always with us. Rest in God’s loving care.”などと刻まれている。古今東西、大切にしなければならない何かがお墓にはあるようだ。(知らんけど…⁇)

ツクシん棒は物静かに顔を出す

2023-03-17 16:34:35 | 日記
 朝起きて新聞を取りに庭に出たときに、その日の気温がなんとなく推量できる。最近は本当に冬の冷気がすっかりなくなって、春を肌に感じるようになってきた。冬の寒さが和らいで桜の開花時期が世間を賑わすこの時期は実はツクシが顔を出す時なのだ。現役の頃、大学の校内の駐車場に続く土手に生えてくるツクシ採りを何度か学生と楽しんだことがあった。ツクシは漢字では「土筆」と書く。筆の毛の部分が上にあって棒の部分が土に刺したように生えるからだという。ツクシが最近は目にすることがなくなってきた。近代化の波がツクシの生育の権利を奪い、陽光の当たる土手が各地で亡くなってきたのがその理由だと聞いた。郷愁を呼び起こす物は人によって違うだろうが、お浸しにして卵とじにしたりして食べたツクシが懐かしい。
 ウイル・ロジャースというネイティブアメリカン(チェロキー族の血をひくカーボーイ)は、映画俳優として、また社会評論家などとして19世紀後半から20世紀前半に活躍した人だが、以下のような名言を残している。“本当の文明は他の者(物)の権利を認めることを知って初めて成り立つ—-We will never have true civilization until we have learned to recognize the rights of others.”—-熊や猿が伐採による食糧不足で人の住む地域に出没するようになったと騒いでいる我々、考えてみればあまり気にも留めない声無きツクシの生育場所を奪っていることには更に気付いていない。都会とは“気付き”を失わせる所なのかもしれない。どうかどこかの田舎で生き延びてほしいと思う。「たかがツクシ、されどツクシ」である。