学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

エライコッチャの一大事

2020-11-27 16:12:00 | 日記
“緊急事態”は英語では emergency(イマージェンシー) である。この単語の最適な訳は大阪弁では私的にも公的にも大変なことが起きたときに度々使われる“エライコッチャ”。便利な言葉で大阪では日常に耳にする表現である。新型コロナの感染拡大が止まらない。22日の日曜日には大阪の新感染者490人、エライコッチャ!東京の知事さんは「5つの小」などと会食時の注意を呼びかける。少人数で小一時間、小声で会食、料理は小皿に、小まめにマスク、などと得意そうなドヤ顔。会食は会話を楽しむためのもの、「5つの小」を本気で完璧には守れるはずはない。
完璧といえば面白い光景に遭遇した。今日もまた我が家の前の薬局で自転車を止めて話すポニーテイルのママ友の二人。「おはよう。ええ天気やね」と声をかけられた若いお母さん。お腹の前には赤ん坊がぶら下がっている。聞こえてくる会話は、「あかん、今日は主人も家にいるしエライコッチャ」、「上の子は幼稚園、この子は風邪気味、主人は家でテレワークで洗濯したらすぐ昼の用意…」と声をかけられたお母さん。大阪弁ではこのような大変な時は「エライコッチャ」と状況を表現する。彼女にとっては予定の家事をこなす時間がなくてバタバタと追い立てられるという一大事であるようだ。仕事や家事で追い立てられるバタバタは誰もが経験したことがあるだろう。英語のプラス思考ではこの状況を作り出しているのは自分自身であるという言葉がある(You are creating your own emergencies!)つまり時間管理は適当に省くことから時間を作り出すことができるということを暗示しているのだ。何もかも完璧にやり遂げようと思ったら走り回って時間との追い駆けっ子の状況にハマってしまう。完璧主義の人がハマってしまう落とし穴だ。エライコッチャの逆は要領よく手抜きでサボルこと。やり残したことは明日でもいい時間のある時にやればいいと気楽に対応するという姿勢だ。
話を元に戻してコロナの一大事。高齢者の僕と弟は昼間にチョット出かけて会食する楽しみを奪われたら本当にエライコッチャ。さてどのように対応するか「思案投げ首」、良い考えが浮かばず困り切っている状態だ。

"今”に集中

2020-11-24 16:42:14 | 日記
日曜日、大相撲秋場所が大関貴景勝の優勝で幕を閉じた。相撲は今日の一番に集中することを要求される競技だ。勝ったお相撲さんのインタビューは決まってハーハーヒーヒィと呼吸を整えながら声にならない声を絞り出しての姿がテレビに映し出される。インタビューを受けているお相撲さんが気の毒になることが度々ある。ファンのためのものとは言え投げかけられる質問に工夫がなく特に聞く必要もないようなものばかりだからか。
貴景勝という人のコメントを翌日の新聞で確かめながら集めてみた。理由はこの人の受け答えがいつも淡白で勝ち負けに執着がないと思わせるほど短くて淡々としているからだ。「きのうは昨日、今日は今日」「一日一日全力集中」中盤で唯一負けた9日目のコメント、明日に向けて切り替えることは、という質問に「切り替えることはない。9日目はどれだけ考えても帰って来ない」と素っ気ない。笑えば博多人形のような可愛さがあるのに土俵の上ではいつもしかめっ面だ。初場所の千秋楽に幕尻の徳勝龍に敗れたときも「自分が弱いから負けただけ」という調子である。「期待に応えるのも裏切るのも自分しだい」と自然体で集中することだけを強調する。
どんな人にも過去、現在、未来、という時間のセットが毎瞬間ごとに移動する時間軸がある。僕の時間軸に関する考え方は大抵の人と同じだと思うが、「過去は失敗などを未来に活かすため、生きるためには現在に集中すること、未来は目標や希望だ」。お相撲さんの世界では、極度に現在つまり今の瞬間が強調されることが習慣化されて貴景勝の考え方が生まれるのだろう。それでもなぜか不思議とこの「現在“今”至上主義」に惹かれるところがある。現役の頃を思い出してみると僕たちは毎日スケジュールをこなすために未来への時間に追われていたことを思い出す。アメリカから日本に帰国して日常で一番変化を感じたことは「日本は忙しい」であった。それでも “今” に集中している時は余分な考えに惑わされることなく案外楽しい満足感や充実感を味わえていたのは不思議なことだ。

〇〇光年の世界

2020-11-20 16:53:46 | 日記
民間による宇宙開発がいよいよ幕を開けた。日本の宇宙飛行士、野口聡一さんがまた国際宇宙ステーション(ISS=International Space Station)に向けて出発、すでに18日の水曜日には宇宙船内での活動を開始した。宇宙の時間軸は日常の悩みが馬鹿らしくなるほどとてつもなく長い。宇宙だの星だのと話が天空はるか彼方に向けられると僕が必ず思い出す本がある。
リチャード・カールソン(Rihard Carlson)著の『小さいことにくよくよするな(Don't sweat the small stuff)』である。sweat(スウェット)はスゥエット・シャツのスェットで、汗をかく、という意味や、心配する、不安がる、という意味もある。もう思い出せないほど以前にアメリカの本屋さんで出回り始めた頃に手に入れて、帰りの飛行機の中で夢中になって読んだ本だ。僕はやや完璧主義者的なところがあって、それが良いのか悪いのかがわからないまま、適当なところで手を打つということはあまり得意な方ではなかったように思う。割と細かいことろまで気にする性格があった。小さいことで極度にくよくよしたり心配症とかいう程度の深刻なものではないのだが、気を回しすぎてちょっと悩むという側面が時々顔を出すことがあった。当時はそんな性癖を打開するためにプラス思考だの積極思考だのと勉強し始めたふしがあるのだ。カールソンのこの本の中に “自分に質問してみなさい。これは(この悩みは)一年後にもやはり問題になっているだろうか?” という章がある。どうでもいいような小さな問題に悩まされて短い人生の時間を奪われている人は世の中にはたくさん存在する。現役の頃、悩みを僕の研究室に持ち込んでくる学生のほとんどの悩みは「小さいことにくよくよしている」的なものだった。彼らの悩みを聞きながら、自分自身にも注意を喚起していたことを思い出す。カールソンの “the small stuff” とは、要するに小さいことで、宇宙に目をやると自分が悩んでいることが小さいことで馬鹿らしい、ということに気がつけばもっと気楽に生きられる。人生に気になることが出てきたら夜空を見上げて星に目を向けてみるとよい。宇宙の○○光年の世界(1光年=光が真空中を一年かけて進む距離)を考えてみると本当に自分の悩みが小さいことで馬鹿らしくなってくるから不思議である。

前途に何か良いことが

2020-11-17 17:39:51 | 日記
新型コロナの感染状況が毎日報道されていて、大阪では水曜日についに256人の過去最高の人数を記録した。感染集団(クラスター)の発生が歓楽街に限らず様々な生活場所に拡大しているという。時々しか外に出ない僕は電車に乗っても車内は割と空いていると思うし、乗客の皆さんも全員と言ってよいほどマスクを装着している。ほとんどの店が消毒スプレーを設置していて街中でかなり真剣に感染防止に取り組んでいると感じていたので、今回の第3波が起こっているという報道にはショックを受ける。気温が下がってきてコロナは元気が出てきたのだろうか、それとも人間の「密」に対する対応が思っているほど徹底していないからだろうか。いよいよクリスマスと大晦日、そして初詣の季節、世間の皆さんはどのような計画を立てているのだろうか。
われわれ高齢者に特に目立った計画のようなものはない。体力を維持するために近くの公園などを両手を勢いよく振って歩くことを習慣にしている人、ラジオ体操のように腕や足腰を動かして朝の新鮮な空気を広場で楽しんでいる人など健康維持が日常の目標の一つだ。少なくとも外に出向いて外気との接触を心がけている人たちはプラス思考の人達だと思う。先日出かけたJR京都行き列車の四人がけ優先座席。僕の向かいに座った初老のご婦人二人がお互いの主人のだらしなさについて語りは始めた。僕が向かいの席で目をつむって聞いているのに(いやぁな感じ。ご主人達、定年退職でもされているのだろうか)。家の中でゴロゴロ、自粛生活を逆手にとってとにかく足手まといだということで二人の意見は一致した。話を聞きながら、僕はといえば家事の手伝いもするし庭の掃除にも精を出す(良かった、僕は彼女達のご主人よりはマシだ)。会社仕事から解放されてだらだら過ごせるのはある意味では魅力があるかもしれないけれど、やっぱり家事であれなんであれ、なんらかの仕事をすることは不思議な満足感を与えてくれる。部屋の整理などのような小さな仕事でも終わった時に味わう成就感が僕は大好きだ。趣味であれなんであれ、自分が好んで取り組める何かをするようにお二人のご主人には提案したいと思った。物理の力学的に言えば、仕事(=力が物体に及ぼした位置移動)つまり何かをすること、働きかけること、運動だ。“仕事とは満足感をくれるもの(Work gives satisfaction. )” と僕は理解している。

「仕事」の本当の意味

2020-11-13 17:41:29 | 日記
新型コロナの感染状況が毎日報道されていて、大阪では水曜日についに256人の過去最高の人数を記録した。感染集団(クラスター)の発生が歓楽街に限らず様々な生活場所に拡大しているという。時々しか外に出ない僕は電車に乗っても車内は割と空いていると思うし、乗客の皆さんも全員と言ってよいほどマスクを装着している。ほとんどの店が消毒スプレーを設置していて街中でかなり真剣に感染防止に取り組んでいると感じていたので、今回の第3波が起こっているという報道にはショックを受ける。気温が下がってきてコロナは元気が出てきたのだろうか、それとも人間の「密」に対する対応が思っているほど徹底していないからだろうか。いよいよクリスマスと大晦日、そして初詣の季節、世間の皆さんはどのような計画を立てているのだろうか。
われわれ高齢者に特に目立った計画のようなものはない。体力を維持するために近くの公園などを両手を勢いよく振って歩くことを習慣にしている人、ラジオ体操のように腕や足腰を動かして朝の新鮮な空気を広場で楽しんでいる人など健康維持が日常の目標の一つだ。少なくとも外に出向いて外気との接触を心がけている人たちはプラス思考の人達だと思う。先日出かけたJR京都行き列車の四人がけ優先座席。僕の向かいに座った初老のご婦人二人がお互いの主人のだらしなさについて語りは始めた。僕が向かいの席で目をつむって聞いているのに(いやぁな感じ。ご主人達、定年退職でもされているのだろうか)。家の中でゴロゴロ、自粛生活を逆手にとってとにかく足手まといだということで二人の意見は一致した。話を聞きながら、僕はといえば家事の手伝いもするし庭の掃除にも精を出す(良かった、僕は彼女達のご主人よりはマシだ)。会社仕事から解放されてだらだら過ごせるのはある意味では魅力があるかもしれないけれど、やっぱり家事であれなんであれ、なんらかの仕事をすることは不思議な満足感を与えてくれる。部屋の整理などのような小さな仕事でも終わった時に味わう成就感が僕は大好きだ。趣味であれなんであれ、自分が好んで取り組める何かをするようにお二人のご主人には提案したいと思った。物理の力学的に言えば、仕事(=力が物体に及ぼした位置移動)つまり何かをすること、働きかけること、運動だ。“仕事とは満足感をくれるもの(Work gives satisfaction. )” と僕は理解している。