学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

他者は皆教師

2021-01-29 15:56:28 | 日記
何十年も昔、大学で教え始めた頃、教育関係の本を求めて大阪梅田にあった「旭屋書店」にあしげく通った時期があった。その頃に手に入れた一冊の本の一文が自分の教師生活を何度も支えてくれた。“私は何も学ぶべきものを持たない人に出会ったことがない”という一文だ。現在、山のように増えた本の整理をする時は必ずというほどその文が書かれた本を探すのであるがどうしても見つけることができない。どこかの箱に仕舞い込んでいるのだろう。誰か昔の偉い人が言った名言なのだと思うがそれすら思い出せないので、本の整理をするときには少しイライラを感じてしまう。いずれ何かの拍子に見つかるだろうと今はあまり必死に探すことをやめている。この名言のことだが、要するにどんな人からも一つや二つ教えてもらえることが必ず存在するということだ。自分に不足していることに気づかせてくれるのは身近な人も含めて自分が人生で出会う人々であるということだ。「はっ!」と気付かされる瞬間こそ学びの瞬間である。他者はすべて自分の持っていないものを教えてくれる教師だと思っていたいものだ。
自由に街歩きに出かけることができない最近はもっぱら情報収集はテレビに新聞、そしてラジオである。最近はラジオを聞くことも面白くなってきた。人々がコロナで苦しんでいるこのご時世で、新しい取り組みを始めた人達や今までの自分の考えを変えるような提案に素直に反応する人達の話題やニュースが放送されて学ぶことが多い。キッチンカーでお弁当販売に乗り出す若い経営者、京都では種類ばかり多い小さい「おばんざい屋」さんが「おばんざいカレー屋」に転身したりする話は胸がときめく。「もう無理!」と言えばおしまい。なんとかしようと取り組む人は素晴らしいと思う。生きるとはそういうことだから。僕が妻や子供をかかえアメリカ生活を成功させようと誰にも言えない葛藤の中で学んだ苦しまない方法は、出会う人のどんな生き様にも、とにかく一旦黙って心の中でイエスと言う癖をつけるということだ。人は皆、何か学ぶべきものを持っている。そんな気付きを基に工夫はそこからの出発だ。あとはうまくいく方法を必死になって考えることを学んだ。

1 コメント

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父に教えてもらいました (高田裕美子)
2021-01-29 17:57:32
  先生、お元気そうですね。 今日のブログの言葉ですが、作家の吉川英治さんの言葉で、我以外皆師なり だと思います。私は昔父からその言葉を教わりました。亡くなって2年たちます。広島の庄原の古い戸籍を辿って、父の立派さをいま改めて感じています
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