学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

全て変わらないものなし

2022-03-29 18:06:47 | 日記
 自治会の班の仕事に一年間関わって僕の住む近所で家族の変化が起こっていることを知った。気が付けば何軒もの家が老夫婦とは言わないまでも、高齢者夫婦だけの住まいになっているのである。子供達が成人して彼らの生業の場所が他府県だったり、遠く親元から離れた場所であることがわかってきたのである。実際に主人が急死して家を売って引っ越しをする人も出てきたのだ。コミュニテイがはっきりと目に見える形で変化し始めているのである。5年後はどうなっているのだろうか、などという話は出ているけれど、5年後どころか来年のことすら予測できるのだろうか。昔の人は「来年のことを言えば鬼が笑う」という言葉を残したけれど、どうやら何事にも変化が当たり前ということが本当に身近になって来たと感じる。
 『方丈記』の“ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし”が頭をよぎる。いつまでも変わらないものは何一つない。余程「先見の明」がなければ将来を見通すことなどできない時代、人は社会の流れに注意しながらうまく流れて機会を掴む、そんな生き方しかできないのかもしれない。
 英語の三つのサイト(—sight) をもう一度考えてみようと考えた。「先見の明(foresight) 」は物事を見通す力、「あと知恵 (hindsight) 」とは過去の経験から手にする知恵、そして「洞察力(insight)」は物事をよく観察してその本質を見抜くこと。できる限り健康を保ち、頭がしっかりしていることを祈りながら流れに逆らうよりは流れに乗って生きてゆかねばなどと考えた。

地球の上の隣人達

2022-03-25 16:41:28 | 日記
 大阪では桜の開花宣言、高校野球、プロ野球も今夜開幕、いよいよ本格的な春に突入だ。今年は寒い日が続いたのとコロナの影響もあり、やたらと待ち遠しかった春、それでも浮かれてばかりは入れない世界情勢がある。僕のこのブログは日常の出来事を中心にちょっとした学びを感じるものを記録に、と思って始めたものだが、テレビ、新聞と毎日報道されるウクライナ情勢にどうしても翻弄されて気が重い。日本で桜だの野球だのと騒いでいる陰で東欧の情勢は砲撃と破壊、そして日常を奪われて逃げまどう人々がいることを何かの拍子にふっと頭をよぎる。
 戦車だの大砲だのを操って破壊の一旦を負う兵隊さんも故郷には家族や兄弟や我が家というものがあるはずだ。そんなことに想いを寄せると戦争などはやっておれないことだろう。政治にふりまわされて血を血で洗うような状況に皆が疑問を感じてほしい。教育の現場でアメリカを始め世界の人々との文化交流などをやってきた僕には今回の紛争のバカらしさと無駄に本当に心が痛む。どの国の人々も皆、喜びや楽しみ、そして痛みと悲しみは共通のものでいい人ばかりだ。確かに世界の人々の間にはそれぞれ違いは存在する。しかし一方で我々はこの地球に住んでいる隣人であることを忘れてはいけない。共存共栄をもっと真剣に考える時が来ているように思う。国連は少なくとも自分の意見を言える機会と場を提供はしてくれる。しかし拒否権を持つ常任理事国が逸脱した行動に出た時は全く機能しないのがまた国連だ。“そんなものか国連は…”という声がそこら中で聞こえる。戦車や戦闘機をオモチャだと思っている指導者がどこかにいる。

「三寒四温」で右往左往

2022-03-22 16:02:19 | 日記
 奈良の東大寺二月堂のお水取りもコロナに影響されながらも終わっていよいよ春が、と衣替えをした途端にまた冬に逆戻り。葉書などでよく使われる「三寒四温の今日この頃お元気でお過ごしですか」と言う出だし文、使い方は大丈夫なのだろうか。というのはこれは冬に使われる晩冬の季語で寒い日が二、三日続くとそのお見舞いに使っていた言葉だという。お水取りも終わって今はもう春、僕も三寒四温という言葉をあまり深く知らないで使っている節があり少し反省。とはいえ三日ほど寒い日が続けば暖かい日が四日ほど続くという気温の繰り返しを言うわけだから日本の今の気候に使いやすい表現だ。出所は中国北部や朝鮮の冬に見られる現象だという。
 春分の日や秋分の日を境に暑さ寒さが和らいで過ごしやすくなると言う日本の諺 “暑さ寒さも彼岸まで” を信じてお彼岸の墓参りも済ませたが一向に暖かくなる気配がない。確かに春の天候も秋同様に気まぐれで“春に三日の晴れなし”なんて言葉もある。さて今年の春はどのように推移するのだろうか。江戸の俳人大島蓼太(りょうた)が詠んだように「世の中は三日見ぬ間の桜かな」の通り、気が付けば咲いていた散っていたと大騒ぎする桜の開花はどうなるのだろうか。ちょっと気になるほど寒さが戻ってきたようだ。東京では今日は雪が降るかも、などと言う天気予報が出ていて、大阪では冷たい雨が朝から降っている。「三寒四温」とは本当は何でも安心していてはいけない、変化に対して日頃から準備に怠りなく、つまり「備えあれば憂いなし」を我々に教えているのかもしれない。それでも周りではだんだん花が咲き春が始まっている “Blossom by blossom the spring begins.”という英語の言葉がある。

破壊が生み出す無力感

2022-03-18 16:54:20 | 日記
 16日の夜中に宮城県と福島県でまた激しい揺れが。昨日のニュースでは東北新幹線は脱線、相馬市では神社の鳥居などが破壊され、停電や断水の追い討ち、そして避難を余儀なくされる多くの人々の様子が報道されていた。今回の地震はプレートでの発生の場所が異なるだけで東北大震災の規模と決して劣らないものだと新聞に報道されていた。地震といえば関西人にはやはり阪神淡路大震災を思い起こさせる。朝の活動が始まる直前の時間の激しい上下の揺れで飛び起きた僕の目に飛び込んできたのは天井からの埃が煙のように噴き出している情景だった。そして同時に頭をよぎったのは当時はまだ健在だった老いた両親のことだった。僕の家族は庭を挟んで両親とは別棟に住んでいたので血相を変えて様子を見に庭をかけていったものだ。時間の経過とともにテレビの画面に映し出される凄まじい破壊に言葉を失った無力感を昨日のことのように思い出さす。
 破壊といえば昨今の世界情勢の中でロシアによる軍事侵攻が続くウクライナだ。天災による無力感とは異なりこちらの方は人が故意に作り出す破壊から来る無力感だ。21世紀の真っ只中に全く理不尽な破壊が日々繰り返されている。テレビ画面に映し出される住宅や劇場、そして火や立ち昇る煙、さらに砲火から逃げ惑う人々の姿を見ていると、古い昔の話で恐縮だが、1947年に製作されたチャップリンの『殺人狂時代』という映画を思い出す。戦争に反対して製作されたこの映画の終盤、貧しい家族を持つチャプリン演じる殺人者の主人公が刑の執行を目前に発する名言がある。『一人を殺せば犯罪者、百万人を殺せば英雄となる』…この視点に立てば絞首刑に処されなければならない歴史上の英雄は一体何人いるのだろうか。

卒業とは「始まり」のこと

2022-03-15 16:40:54 | 日記
 気温が20度を超える日が二、三日続きいよいよ春本格化である。世間では梅だの桃だの桜だのと季節感の経緯に騒いている中、忘れてはならないのが子供が関わる卒業式。僕の奈良に住まいする孫も中学を終えて先日卒業、いよいよ高校生となる。「あの赤ちゃんだった子がとうとう高校生に」などと喜びに感動している影で、我々年寄りの残り時間が刻々と失われていく。
 僕は教育の場で人生の大半を過ごしてきた。何度も卒業式に参列して沢山の学生を見送ってきた。卒業こそあたらしい世界への始まりだということを忘れないでほしいといつも考えていた。当然のように卒業式は4月の入学式や入社式にバトンが渡され新しい生活が始まる。アメリカでは卒業に際してはコメンスメント(commencement) という単語が使われる。この単語、“卒業”という意味と“開始”という意味を同時に持っているのである。新しい生活の第一歩が本当は卒業式の日、僕が関わった大学生には特に人生の物語はここから始まると伝えていたものだ。言い古された言葉だが、人生は山あり谷あり、七転八倒、転んだら起き上がる以外に他に方法はない。倒れた時には気づくことが必ずある。じっと地べたに寝ていたら道ゆく人に目立つだけだ。
 かつてスナックなどでカラオケが盛んに歌われていた昭和の頃、井上ひろしという歌手(誰れ、それ?古ツ!)が歌う『別れの磯千鳥』という歌謡曲をいつも歌っていた友人がいた。きっと、何らかの理由で恋人と別れてしまうという経験があったのだろう。“♪逢うは別れの初めとは 知らぬ私じゃないけれど…♪” 異常に心を込めて歌っていたのを思い出す。彼にとってはそれも一つの卒業式。彼は今、どうしているのかなー。歳をとると変なことを思い出すものだ。