ウェイン・ワン監督の母が亡くなった。「この映画を作ったのは、母の死に対して贖罪する私なりのやり方だったということです」

2019-10-10 04:11:49 | 私が話します。
[インタビュー]
「アジア系米国人の人生、背負った荷のようなもの」

登録:2019-10-09 10:40 修正:2019-10-09 16:39


ウェイン・ワン監督「カーミング・ホーム・アゲイン」レビュー&インタビュー 
韓国系米国人作家イ・チャンレのエッセイを映画化 
がん闘病中の母親を看病する息子の物語 
歌手イ・ムンセの歌「昔の恋」の挿入に注目 
 
亡くなった母に贖罪する作品 
移民家族の映画製作が難しい状況 
資本の干渉の少ない作業をしたい


           

ウェイン・ワン監督の新作「カミング・ホーム・アゲイン」のワンシーン=釜山国際映画祭提供//ハンギョレ新聞社

 ウェイン・ワン監督が雑誌「ニューヨーカー」でイ・チャンレ作家のエッセー『カミング・ホーム・アゲイン』を初めて読んだのは1995年だった。韓国系米国人の作家ががん闘病中の母親を看病した時代の記憶を書いた文章だった。「彼の自伝的物語から真実が感じられて、とても大きな感動を受けました」。ウェイン・ワン監督は最近、ハンギョレとの電子メールインタビューでこのように語った。「ジョイ・ラック・クラブ」(1993)や「スモーク」(1995)で世界的名声を得たウェイン・ワン監督は、当時イ・チャンレの作家とともに日本軍慰安婦問題を扱った彼の小説『ジェスチャー・ライフ』の脚本作業をしていた。しかし、敏感な素材の映画に投資するという人はなかなかいなかった。結局、プロジェクトは立ち消えとなった。

 2014年、長い間パーキンソン病を患ってきたウェイン・ワン監督の母が亡くなった。「映画の作業に忙しくて、母が亡くなる直前の最後の数週間を一緒に過ごせなかったため、大きな罪悪感を感じていました」。ずいぶん前に読んだ『カミング・ホーム・アゲイン』がふと大きな響きとなって迫ってきたののはそのためだ。彼は去年の夏、イ・チャンレ作家に会い『カミング・ホーム・アゲイン』を映画にしようと提案した。二人が脚本をつくり、あちこちから資源を総動員して独立映画のように仕上げた。「この映画を作ったのは、母の死に対して贖罪する私なりのやり方だったということです」

 映画は6日、第24回釜山国際映画祭で巨匠の新作を紹介する「ガラプレゼンテーション」セクションで上映された。ウェイン・ワン監督は直接釜山に来て記者会見をする予定だったが、突然の健康問題で訪韓を取り消した。「ひげを剃ってできた傷が悪化してブドウ球菌に感染しました。状態がかなり悪かったんですが幸い二日で急速に良くなりました」。残念な思いから、ワン監督は映画を作ったきっかけなどを説明した映像メッセージを映画祭側に送った。この映像は映画の前に挿入された。

          

韓国系米国人の母子の物語を描いた映画「カミング・ホーム・アゲイン」を演出したウェイン・ワン監督=釜山国際映画祭提供//ハンギョレ新聞社

 映画の中のチャンレ(ジャスティン・ジョン)は胃がんで闘病する母親(ジャッキー・チョン)の介護をするため、ニューヨークのウォールストリートの職場をやめてサンフランシスコの実家に帰る。教授である父親は学校の仕事でしょっちゅう不在で、姉は韓国で働く。カメラはチャンレが母親を介護する姿と、過去の回想場面をゆっくりとした呼吸で繰り返し撮る。母子の間には特別な事件も、長いセリフもない。だが、彼ら母子を遠くから観照すると、いつの間にか深い感情の谷にはまった自分を発見することになる。

 「観客が自分の人生と病気になるかもしれない親や家族について考えてみてくれればと思います。人の人生はいつでも変わる可能性があり、死さえも人生の変化の一つとして受け入れなければならないという事実に気づいてもらえれば」

 映画にはイ・ムンセの歌「昔の恋」がメインに使われる。母親がこの歌を口ずさむが、実は過去の夫の浮気を直感させた、良くない記憶がこもった歌だ。「いい歌が悪くなるなんて…不思議だわ」と母親はつぶやく。ウェイン・ワン監督は「韓国の古いラブソングをこの部分に使いたかった」と話した。彼は22年前、香港で「チャイニーズ・ボックス」を撮影する際、韓国人スタッフがこの歌を聞かせてくれて初めて知った。その時、撮影監督のビルコ・フィラッチが「昔の恋」のメロディーをたどって歌いながら涙を流したと言う。ウェイン・ワン監督は著作権者である作曲家のイ・ヨンフンの息子ジョンファン氏に手紙を送り、使用権を得た。この歌は映画が終わってエンディングロールが上がるときにも流れる。

          

ウェイン・ワン監督の新作「カミング・ホーム・アゲイン」のワンシーン=釜山国際映画祭提供//ハンギョレ新聞社

 中国系米国人であるウェイン・ワン監督は「ジョイ・ラック・クラブ」で中国系移民者の家族を取り上げたのに続き、今回の映画で韓国系移民者の家族を取り上げた。同じアジア系米国人に対する連帯感のようなものを感じるかという質問に、彼はこう答えた。「それは背負った荷のようなものです。どの製作会社も真実さのあるアジア系米国人映画を作ろうとしません。最近になって“エセ”アジア系米国人映画があふれていますが、それは“フェイクニュース”みたいなもの。背負った荷がますます重くなっています」

 ハリウッドの商業映画をいくつか演出したこともある彼は、「今後は『カミング・ホーム・アゲイン』のように資本の干渉が少ない独立映画の形で作業を続けていきたい」と語った。心に響くアジア系米国人の話をさらに何本か映画にするのが彼の願いだ。いつか彼が作った日本軍慰安婦映画を見ることができるかもしれない。
ソ・ジョンミン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

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