ソウルに住んでいたBさんも1973年10月10日、警察に捕まり、麗水の旅館、光州の対共分室などで1カ月間暴行と水責めの拷問を受けたと証言した。

2024-07-13 09:09:16 | 歴史に照らして整合性を!
 

「拷問で捏造」のスパイ容疑、

50年後に晴らす…「うれしいというより虚しい」=韓国

登録:2024-07-11 06:17 修正:2024-07-11 07:59
 
麗水の巨文島一家、50年ぶりに無罪  
再審裁判所「拷問のせいで虚偽の自白」
 
 
9日、光州高等裁判所の前で1973年スパイ事件の無罪を言い渡された被告と市民団体のメンバーたちが喜びを表している/聯合ニュース

 「『無罪』という二文字を勝ち取るために、50年間あれほど努力したのかと思うと、嬉しいというより虚しいです」

 9日、光州(クァンジュ)高裁の前で、Aさん(70)は国家保安法違反事件の再審で無罪判決を言い渡された後、虚しいという感想を述べた。この日、光州高裁2刑事部(裁判長イ・ウィヨン)は懲役刑を宣告した原審を破棄し、AさんとAさんの親戚のBさん、Aさんの父親(1914~1986)、母親(1917~1994)など一家4人に全員無罪を言い渡した。

 全羅南道麗水市巨文島(ヨスシ・コムンド)に住むAさんの家族は、北朝鮮の指令を受けてスパイ団として活動した疑いで1973年に起訴された。

 当時、警察と検察は、Aさんが1972年10月に北朝鮮にいる叔父に拉致されてから帰ってきたことを根拠に、スパイの濡れ衣を着せた。Aさんが北朝鮮で洗脳と工作訓練を受け、両親と親戚関係のBさんなどに工作金を渡して抱き込み、スパイ団を作りあげたという捜査結果を発表した。

 Aさんらは捜査初期には事実ではないと抗弁したが、長期間拘禁され拷問を受けた末、「北朝鮮の工作員である」という虚偽の陳述をした。控訴審でAさんは懲役15年、BさんとAさんの父親は懲役5年、Aさんの母親は懲役3年6カ月が確定した。

 再審判決文には、Aさんが虚偽の自白をせざるを得なかった状況がそのままあらわれている。

 1973年10月5日、麗水警察署の情報課の警察官らに捕まったAさんは、旅館に連れて行かれ、ひどい虐待を受けた。Aさんは「旅館の部屋に入るやいなや警察が服を脱がせて『お前のような共産主義者を捕まえて殺すために警察官になった』と言って、ベルトでめちゃくちゃに殴った」とし、「他の部屋では両親が拷問される音がはっきり聞こえてきて、両親も連行されたという事実が分かった」と陳述した。Aさんは「3日後、警察が麗水警察署の地下室に連れて行き、鉄製のベッドに手足を縛って顔にタオルをかけて大きなやかんで水を注ぎ始めた」とし、「ある瞬間、息が止まり、楽になったことを感じたが、胸を押さえつけるような苦しみで正気に返った。後で分かったことだが、人工呼吸を受けたことに気づいた」と証言した。

 判決文には、Aさんが出所後、一生母親と距離を置いていた事情も含まれていた。捜査当時、警察はAさんに「母親に性的暴行を加えた」という供述を強要した。Aさんは「顔に血が飛び散るほど太ももを棒で殴られ、恐怖のあまり虚偽の自白をした」とし、「その時の恥辱を忘れることができず、出所後に母親をまともに見ることができなくなり、家を出た」と語った。Aさんの姉は「母親は大邱(テグ)刑務所の近くに小さな部屋を借りて暮らしながら、弟の出所を待っていた」とし、「家を出た弟を恨んできたが、再審を準備する過程でその話を聞いて気を失いそうな衝撃を受けた。一言も言えず、弟の前で泣くしかなかった」と話した。

 ソウルに住んでいたBさんも1973年10月10日、警察に捕まり、麗水の旅館、光州の対共分室などで1カ月間暴行と水責めの拷問を受けたと証言した。

 生涯無実を訴えてきたAさんらは2022年9月、また別の「巨文島スパイ団事件」の被害者が無罪を言い渡されるのを見て、再審を申請し、裁判所は昨年9月に再審を受け入れた。

 再審裁判所は「Aさんらは拘束令状もなく長期間不法拘禁された状態で、拷問などの苛酷行為と萎縮した心理状態により虚偽の自白をし、自述書を作成したものとみられる」とし、「原審法廷でAさんの国選弁護人は意見書など書面を一度も提出しておらず、無罪主張や拷問などの不法捜査に対して何の弁論もなされなかった」として、無罪宣告の理由を明らかにした。

キム・ヨンヒ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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