1933年に中国で宣教師の息子として生まれたシュナイス牧師は、ドイツで神学を学び、1958年から日本で宣教師として活動。

2022-02-13 09:17:26 | 31朝鮮独立運動の教訓

独記者に取材を要請…

「5・18光州抗争」を世界に知らしめたシュナイス牧師が死去

登録:2022-02-12 04:29 修正:2022-02-12 07:08
 
ドイツの宣教師で1958年から日本で活動 
朴正煕政権時代、韓国民主化運動を伝えて追放 
日本人妻と共に「TK生」に資料を渡す 
1980年「5・18」ヒンツペーター記者に取材要請
 
 
                                     パウル・シュナイス牧師=資料写真//ハンギョレ新聞社

 5・18民主化運動などの1970~80年代の韓国の民主化運動を世界に伝えたパウル・シュナイス牧師が11日未明、ドイツで死去した。享年89。

 民主化運動記念事業会はこの日、シュナイス牧師の死去を発表するとともに「苛酷な軍事政権時代に多くの困難を甘受しつつも、韓国の民主化運動を支援し、世界に伝え続けた人物で、韓国の民主主義のための彼の献身に感謝しつつ、平和と正義は共にあらねばならないという彼の遺志を受け継いでいく」と述べた。

 1933年に中国で宣教師の息子として生まれたシュナイス牧師は、ドイツで神学を学び、1958年から日本で宣教師として活動。1970年からはドイツの宣教団体である東アジア宣教会の所属となり、韓国と日本を行き来した。

 同氏は、朴正煕(パク・チョンヒ)長期政権時代から韓国の民主化運動を国外に伝え続けてきた。1974年の民青学連事件、1976年の3・1民主救国宣言の裁判を欠かさず傍聴した。国外に滞在する人物と国内の民主化運動関係者との橋渡しも担った。1975年には、日本の時事月刊誌「世界」で「T.K生」というペンネームで「韓国からの通信」と題するコラムの執筆を主導していた池明観(チ・ミョングァン)東京女子大学教授に、韓国の資料を秘密裏に手渡した。

 シュナイス牧師は1978年12月、韓国政府によって香港への強制出国処分を受けた。その後、入国が禁止された同氏に代わり、日本人のサクライキヨコ夫人と子どもがソウルとの間を行き来した。1980年5・18の際には、ソウルで軍部隊の移動を目撃したという夫人の話を聞いたシュナイス牧師は、ドイツの放送局NDRの東京支局を訪れ、映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』の実際のモデルであるユルゲン・ヒンツペーター記者に光州取材を要請した。ヒンツペーター記者は撮影した5・18の映像の原本をドイツに送る一方、放送用ベータテープのコピーをシュナイス牧師に手渡した。このコピーがアムネスティ・インターナショナルなどに送られたことで、5・18が全世界に知れわたった。

 シュナイス牧師とその家族は200回以上も韓国との間を行き来しつつ、韓国の民主化運動に関する資料の収集と著書活動を続けるとともに、関連資料を韓国政府に寄贈した。その功労により、夫人とともに2011年に「5月の母」賞を受賞した。昨年には5・18記念財団から功労賞が、政府から民主主義発展有功部門国民褒章が授与された。

 
 
パウル・シュナイス牧師(右)と夫人のサクライキヨコさん=民主化運動記念事業会提供//ハンギョレ新聞社
イ・ウヨン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

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