2歳の娘を残し朝鮮戦争で戦死した26歳の父親…
73歳の娘のもとに「帰還」
清道郡の農民、朝鮮戦争で戦死
娘「実感わかないが、 父が帰ってきてとても嬉しい」
来年1月の「護国英雄行事」後、国立顕忠院に埋葬
2歳の娘を残して参戦した父は遺体となり、70歳を過ぎた娘のもとに帰ってきた。
1925年12月4日に慶尚北道清道郡大城面(チョンドグン・テソンミョン)で、7人きょうだいの3人目として生まれ、農業をしていたチョン・ウォンシクさんは、20代半ばの1951年に朝鮮戦争に参戦した。妻と2歳の娘を残してのことだった。しかし、戦場で亡くなった彼の遺体すら、家族のもとには帰れなかった。
チョンさんの遺体の発掘は思いがけない情報提供で実現した。2014年に京畿道加平(カピョン)に住むソン・スンモクさん(73)が、「朝鮮戦争の際に負傷した2人の兵士を自宅で世話したが、亡くなったので先祖の墓近くの林の窯跡に埋めたという話を幼い頃に聞いた」という話を国防部遺骨発掘鑑識団に伝えてきたのだ。
発掘団は翌年、この情報をもとに現場調査を行い、頭蓋骨を含む完全な遺体を発見した。ボタン、安全ピン、くしなどの遺品23点も発掘された。しかし、当時はこの遺体が誰のものなのかさえ確認できなかった。
国防部遺骨発掘鑑識団は17日、2015年に京畿道加平郡北面沐洞里(プンミョン・モクトンリ)一帯で発見した朝鮮戦争の戦死者の遺骨を、故チョン・ウォンシク一兵(軍の階級)のものと確認したと発表した。昨年11月に採取した故人の70歳を超える娘と遺体の遺伝子を比較分析し、69年前に別れた親子の関係が最終確認されたのだ。2000年4月の遺体発掘事業の本格化後に身元が確認された戦死者は157人となった。
故人は国軍第8師団第10連隊所属で、1951年2月、加平地区での戦闘で戦死したものと推定される。国防部は「当時、故人が所属していた国軍第8師団は、発掘地域から60キロ離れた横城(フェンソン)地域で戦闘中であり、1・4後退(中国人民軍の介入により連合軍が退却した事件、1951年1月4日にソウルが共産陣営よって陥落した)の時に中国軍と交戦し、加平に流入したものとみられる」と発表した。
国防部によると、娘のチョン・ジョンスクさん(73)は「まだ実感がわかないが、父が帰ってきたことがとても嬉しい」と語ったという。故人は来年1月の「護国の英雄帰還行事」後に、国立顕忠院に埋葬される。