「検事も判事も私の言うことを信じてくれませんでした」

2020-11-14 02:45:19 | 真の解決目指して

20年前の強盗殺人事件の冤罪…

「検事も判事も私を信じなかった」

登録:2020-11-13 02:47 修正:2020-11-13 10:04
 
「ヤクチョン交差点事件」冤罪で獄中生活送った被害者 
法廷で当時の警官に再会 
警察、15歳の目撃者を暴行し犯人に仕立てる 
検事、3年後に真犯人が現れたのに目をつぶる 
損害賠償訴訟に出廷の警官、謝罪はおろか 
「虚偽供述のせいで真犯人と疑った」激しく反論 
欠席の検事は弁護人通じて「すまない」
 
 
2016年に「益山ヤクチョン交差点殺人事件」で再審無罪を勝ち取ったCさんが記者会見を行っている/聯合ニュース

 「検事も判事も私の言うことを信じてくれませんでした」

 今月11日、ソウル中央地裁第559号法廷の証人席に座ったCさん(35)は、孤独と悔しさで胸が潰れそうだった20年前のことを思い出していた。当時15歳の少年だったCさんは、「ヤクチョン交差点強盗殺人事件」の犯人と決め付けられ、10年間の獄中生活を送った。Cさんと家族は、当時の事件を捜査した警察官と検事、そして国を相手取り、損害賠償を求めて裁判を起こした。ソウル中央地裁民事45部(イ・ソンホ裁判長)は同日、最後の口頭弁論を開いた。この日の口頭弁論には被害者のCさん(原告)、Cさんを犯人に仕立て上げた元警察官のL被告、真犯人を捕らえようとした元警察官のHさん(証人)が出席した。

 この事件は2000年8月10日午前2時ごろ、全羅北道益山市(イクサンシ)のヤクチョン交差点のバス停前で、タクシー運転手が運転席で刺殺された状態で見つかったことから始まった。当時、喫茶店で配達の仕事をしていてヤクチョン交差点を通りかかり、タクシーの運転手を見つけたCさんは、逆に犯人として目をつけられた。L被告ら益山警察署の警察官は、Cさんがタクシー運転手とけんかになり、腹立ちまぎれに殺害したと筋書きを立て、それに沿った自白を引き出すため、幼い少年を旅館に監禁し、殴って眠ることも許さなかった。結局Cさんは「自分が殺害した」と虚偽の自白をし、一審では容疑を否認したものの、懲役15年の判決を受けた。せめて量刑を軽くしようと考えて控訴審では容疑を認め、上告もあきらめて懲役10年が確定した。

 2003年、真犯人を捕らえる機会が訪れた。群山(クンサン)警察署が、ヤクチョン交差点事件の真犯人はCさんではなくKという人物だとの情報を入手。K容疑者の友人から「事件当日、K容疑者が血のついた刃物を持って自宅を訪ねて来て、罪を犯したと言った」との供述まで得たのだ。群山警察署所属のHさんは、K容疑者の自白を引き出し、拘束令状を申請しようとしたが、検察は非拘束で捜査を進め、事件を担当したK検事は最終的に容疑なしとした。こうして事件は葬られ、Cさんは2010年に満期出所した。Cさんが2016年に再審で無罪判決を受けた後に、ようやく真犯人のK容疑者は逮捕され、強盗殺人罪で懲役15年が確定した。

 この日の裁判で、Cさんの代理人パク・ジュニョン弁護士が「事件当時、犯人を目撃したと話したことを後悔していないか」と尋ねると、Cさんは「実際に見たことを見たと言っただけなのに、自分に向かって大きな矢として戻ってくるとは思わなかった」と述べて後悔した。「こんなに殴られては死ぬかもしれないと思った」と述べたCさんは、嘘の自白をせざるを得なかった理由について、「誰も私の言葉を信じてくれなかった。検事も判事も同じだった。私が生きる方法はそれ(虚偽の自白)しかなかった」と話した。

 裁判長は、Cさんを犯人に仕立てあげた元警察官のL被告にも質問と発言の機会を与えたが、L被告は全く反省の姿勢を示さなかった。むしろ当時、「なぜあの時『2人が逃げ去るのを見た』と虚偽の供述をしたのか」と述べてCさんを非難した。Cさんが嘘をついたために犯人だと疑ったという主張だった。これに対しCさんは「2人を見たから2人を見たと言っただけ」とし「この人を見ているだけでも腹が立つ」と声を強めた。この日、出廷しなかったK検事は弁護人を通じ、「当時、多くの状況を考慮して判断したが、Cさんに道義的に申し訳なく思う」と表明した。真犯人を捕らえようとしたHさんは「検察が書いた不起訴理由書を見ても、真犯人とその友人、参考人の供述がなぜ起訴へとつながらないのか、そうした部分はまったくなかった。(検察は)多分に形式的に事件の決着をつけた」と非難した。

チョ・ユニョン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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