[コラム]非核化は“一本勝負”ではない
登録:2019-01-04 07:26 修正:2019-01-04 07:38
登録:2019-01-04 07:26 修正:2019-01-04 07:38
北朝鮮の金正恩国務委員長が今月1日、新年の辞を発表している//ハンギョレ新聞社
昨年、ある討論会で、ある北朝鮮の核問題の専門家が非核化交渉の終着点は結局「平和体制が確実に定着し、北朝鮮がたとえ核兵器をいくつか隠しておいたとしても、使い道なないような状況」だと述べた。「平和プロセスによる北核消滅論」ともいうべきものだが、出席者の相当数が激しく反発した。「朝鮮の核を認めようということなのか」とし、1つの核も北朝鮮に許してはならないという反応が続いた。
別の会合では、ある専門家が、歴代の核保有国の場合、核兵器開発から15年ほど経つと、その効用が変わると話した。開発当初は攻撃手段だった核が、防御手段に変わるということだ。北朝鮮は200年代初め、核開発を本格化し、2017年下半期にその時点に達した。当時、北朝鮮は核の呼び名を「万能の宝刀」から「平和の宝刀」へと変えた。
多くの専門家が同会合で、北朝鮮が実質的な核保有国という点を指摘した。非核化の方法論においては「制裁派」と「交渉派」に分かれたが、こうした基本認識は大同小異だった。「核を保有する北朝鮮とかなりの間共存するしかない」、「北朝鮮の核を何とか管理しながら付き合っていかなければならない」という話が出た。北朝鮮はこれまで毎年、プルトニウム6キログラムとウラン80キログラムを生産してきたものと推定される。北朝鮮はもはや核開発国ではなく、核保有国になった。
北朝鮮の元外交官テ・ヨンホは1994年の朝米枠組み合意当時、北朝鮮外務省でこれを守ると信じていた人は誰もいなかったと証言した。北朝鮮は当時、対外的には「我々の目標は朝鮮半島の非核化であって、核開発ではない」と主張したが、実際には金日成(キム・イルソン)主席が死亡し、大洪水に見舞われたため、時間を稼ぐための苦肉の策として合意したということだ。今思い返すと、この発言が必ずしも間違っているとは思えない。
盧武鉉(ノ・ムヒョン)は2005年頃、韓国の核開発を検討した。9・19合意が漂流したことを受け、やられっぱなしではいけないとして、核燃料問題を提起しようとしたが、周りに引き留められた。米国が容認するはずがなかったからだ。当時、外交長官だったソン・ミンスンの証言だ。盧武鉉は“プランB”を考えていたが、思うようにはいかなかった。
金正恩がソファーに座って発表した新年の辞を聞きながら、彼の言う「完全な非核化」は何なのかが気になった。「核兵器を作ることも、実験することも、使用することも、拡散することもしない」というのは、前向きに捉えると「核凍結の約束」だが、見方を変えれば「核保有宣言」にも聞こえた。金正恩の「完全な非核化」というのが、北朝鮮が朝米枠組み合意の時に掲げたものと異なるとしても、その時点や条件が何なのかは不明だ。少なくとも、西側が考える“速戦即決・無条件降伏”の非核化ではないようだ。
金正恩の本音がどうであれ、これといった方法があるわけではない。盧武鉉流の“プランB”を考えるのは難しい。米国が北朝鮮を核保有国として認めるとは思えない。北朝鮮への先制攻撃が容易ではないことは、トランプがあれだけ公言しておきながら、諦めたことからも分かる。だからといって「核のない朝鮮半島」の夢を諦めるわけにはいかない。北朝鮮が恐れるのは綿密な制裁と米国の戦略資産だろう。このムチと経済協力というアメを適切に交えながら、非核化への長い旅に出るしかない。楽観も悲観もせず、淡々と、勇気をもって進まなければならない。
ペク・キチョル論説委員//ハンギョレ新聞社
昨年1年間、国際社会はこうした北朝鮮の核をめぐる“ジレンマ”に、徐々に気づくようになったかもしれない。朝米首脳が会ったから、核問題がすぐ解決されるだろうという考えは、非現実的であることが少しずつ明らかになった。韓国も非核化が民主化のように“一本勝負”ではないことを思い知らされた。
もしかすると、“プランB”はこうした現実を認めることから始まるのかもしれない。北朝鮮にただ一つの核もない世界は、当分の間、私たちの前に開かれないだろう。核を持った北朝鮮と何とか付き合っていかなければならない。北朝鮮の核をめぐる現実を直視する“真実の瞬間”が私たちの前に迫っている。
ペク・キチョル論説委員(お問い合わせ japan@hani.co.kr)