福島ズボラーヌ

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大阪市福島区(並びにその周辺)をうろうろ徘徊。

旧大阪大学医学部附属病院跡地

2013-06-02 | ・福島:風景・建築・史跡


中津藩蔵屋敷跡地は現在、「ほたるまち」になっています。
「リバーレジデンス堂島」には福澤諭吉の生誕地であることが縁で
慶應大阪リバーサイドキャンパスが設置されています。
また諭吉は大阪の適塾で学んでいましたが、
適塾は大阪大学の源流と言われています。
塾が閉鎖された後、教師や塾生達はのちに大阪大学医学部となる
浪華仮病院および仮医学校に移籍しています。

「wikipedia:適塾

浪華仮病院ははじめ、大福寺境内(上本町四丁目)に作られましたが
その後、代官所跡地(国立大阪病院付近)→北御堂→中之島常安町に移転。
堂島浜通、今の「ほたるまち」に移ったのは大正13年のことです。



「天保新改攝州大阪全圖」天保8年(1837年)。



「大阪市中地區甼名改正繪圖」明治5年。
藩屋敷跡地は「鉄道寮」になっています。
工部省鉄道寮は何度も所管や組織が変更され、1920年に鉄道省に昇格。
私が子どもの頃は、年配の人はJR環状線のことを「省線」と呼んでました。



「新版大阪細見全圖 」明治18年(1885年)。
鉄道寮の名称が「鉄道局」になっています。
お隣の「五代氏藍製造所」は明治9年に五代友厚によってつくられた
近代的な国産藍製造所「西朝陽館」。
残念ながら、明治16年に閉鎖。
阪大病院は黄色のマークの所。
明治12年に中之島常安町に移転してきました。



「最新大大阪市街地図」昭和12年。
「帝大附属病院」の隣に「山口病院」とあります。
山口厚生病院が正式名称らしく
大阪伏見町の裕福な木綿商、山口玄洞氏が作った病院のようです。
阪大病院の敷地内にあり、後に包摂されました。

20年ほど前に阪大病院は吹田へ移転。
私の周囲では、「これから通院どないしよかなぁ」と悩む人も多かった。
大阪南部や奈良から通う患者さんもたくさんいましたしねぇ。
何であんな不便な場所に引っ越したんでしょう。
高度医療は交通の便の良い所にある方がいいと思うのですが。

※「福島区の風景・街並み

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