8703の部屋

「ハナマルサンの部屋」です。音楽、スポーツ 世相 等々 気ままに綴ります

わが合唱歴⑦~出会いと転進~1.

2011-10-20 04:54:43 | 合唱
結局、私は1986(昭和61)年3月をもって岩見沢東高校を去ることになった。在任15年目、最後の部長が横山琢哉君というのは奇遇であった。奇遇といえば、1985(昭和60)年8月13日に作曲家青島広志氏が岩見沢東高校へやって来ました。前夜に日航機墜落という大事故があった翌日でした。目的は「教育音楽」(音楽之友社)の特集記事取材でしたが、随行記者として同行して来たのが松下耕氏でした。青島氏は新進の作曲家として売り出し中、松下氏はメジャーデビュー前、音友でアルバイトをしていた時代です。その後、お二人は現在に至るまでそれぞれの道で大活躍されています。

1986(昭和61)年4月から、私は静修短期大学(現札幌国際大学)へ転進することになった。前年の12月20日頃、我が家に某氏(ご本人から名前を明かすなといわれている)から電話があり、「静修短大で仕事をしませんか?ついては、出来れば一週間以内に返事が欲しい」という内容でした。あまりにも突然であり、大げさに言えば一家挙げての大騒動とも言える数日間でした。静修短大は、わが師である荒又綾子先生、そして上元芳男先生が以前勤務されていました。迷いに迷う最中、上元芳男先生にご相談申し上げたところ「貴方にとって、マイナスになることは無いと思います。重大なる支障が無ければ決断されてはいかがか」というお言葉をいただき転進を決意した。
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