8703の部屋

「ハナマルサンの部屋」です。音楽、スポーツ 世相 等々 気ままに綴ります

わが合唱歴⑥~岩見沢東高校で15年~1.

2011-10-16 21:56:25 | 合唱
岩見沢東高校へ赴任したのは1971(昭和46)年、30歳の時であった。そして、15年間勤務した。15年間を⑤までのように書き進めて行くと、ますます自分史的な内容に傾斜し、長くなりそうなので、出来るだけコンパクトにまとめてみたい。

岩見沢東高校では音楽部顧問に就任した。音楽部には合唱と器楽(吹奏楽)があり、ごく一部の生徒が両方に所属して活動していた。しかし、実態は二つの部が存在していると同じであった(後に、それぞれ合唱部、吹奏楽部として独立することになった)。そして、音楽部以外にも、軽音楽部と卓球部の顧問も兼務することになった。しかし、私にとっては、教員になって8年目にして合唱部顧問としての本格的な始動であった。したがって、以後の内容は合唱部顧問としての立場での記述が多くなる。

合唱部はそれなりの伝統があり、部員が自主的に活動する習慣も身についていた。部員は20名ほどであったが、部長を中心に練習も真面目にやっていた。ちなみに私が着任した時の部長は大嶋恵人君(現、札幌合唱連盟副理事長)であった。前述の通り、私にとっては合唱部の顧問、指導者としてはほとんど初心者のようなものであったので、しばらくは様子を伺うことにした。普段は、練習の始まるころに一度顔を出し、その後は卓球部で卓球をやって終わるころにまた顔を出す、といったような状況がしばらく続いていた。しかし、無関心であったわけでもなく、やる気が無かったわけでもなく、当分はその方が良いと判断していた。なぜかと言えば、部の運営や練習について一定の形が出来ているので、当面はそれを継続して行く中で状況を見極めつつ徐々に自分の色を出して行こうと思ったのである。結果として、わたしはそれで良かったと思っているが、当時の部員の中には「熱心でない顧問」という不満を持って卒業した人もいたのではないかとも思っている。

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